第六章 過去
冷静に話すクリスの言葉に、リチャードは沈黙する。グレーの軍服に身を包んだ彼は、何かを思案しているようだ。
腰に差した剣の柄に手をやる素振りを見せたが、それは挑発だとクリスは受けとった。身構えもしないクリスの反応に、リチャードは手を戻す。
「丸腰でわざわざ出向いて来た理由がわかったよ……だが、勘違いするな? あれを消したいのはお互い様だが、お前達と手を組む必要は無いのだからな」
リチャードの言葉に空気が冷たくなる。言い知れぬ威圧感を感じて、クリスは彼の背中を睨みつけた。自分でも殺意を垂れ流しているのがわかる。
「……」
――刀を置いて来たのは間違いだったか……
クリスがそう考えながら歩いていると、リチャードが急に立ち止まった。
彼の足元にはオレンジ色に輝く魔法陣が描かれている。リチャードが身体ごとこちらに振り向きながら言った。
「この魔法陣から会議室まで転送する」
「来客用か? 内部構造を知られない為の」
「……わかっているならさっさと乗れ」
溜め息をつきながらリチャードは半歩後ろに下がった。魔法陣は大きく描かれており、二人が乗ったところで窮屈さは感じない。クリスも魔法陣の真ん中まで行ってやる。自然とリチャードとの距離が近くなる。
背は高い方のクリスだが、リチャードは更に一回り大きい。傍まで寄ると、自然に見上げる形になる。少将様ねぇ、と値踏みするように見上げると、彼も警戒した目でこちらを見下してきた。
この国の人間には珍しい色白の肌は、頬に傷がある以外は至って綺麗だ。人を見下す美しい茶色の瞳には、知略を巡らせる光がこもり――
「……」
そこに見知った光を見つけたような気がして、クリスは息をするのも忘れて食い入るようにその瞳を見詰める。
そんなクリスに、リチャードは動揺したのか顔を背けて魔法陣を起動した。甲高い起動音が響く中、リチャードは探るような目をこちらに向けてきた。
「……フェンリルは人間的に問題のある奴らの集まりだと聞いていたが、性的にも問題があるのか?」
「まさか。こんな所で発情する程、俺は餓えていない。俺の仲間はどうか知らないが」
魔法陣が起動し、すぐに目の前の様子が変わる。やや広めの部屋に無機質な机と椅子が並んでいる。軍の会議室らしい、いかにもな部屋だ。高級品の類いはない。敢えて、かもしれないが。
リチャードはクリスの言葉を鼻で笑い、席を薦めてきた。長細い机の一番手前だ。リチャードは対面する席に座る。
「それでは、失礼します」
クリスはそう断ってから席に着いた。リチャードはそれを見て一瞬目を細めたが、すぐに話を始めた。
「普段はもっと人が多いんだが、今回は居ない方が良いだろうからな」
「少将様がこんな席に座って問題にはならないのか?」
「そう思うなら口の利き方を改めたらどうだ? 軍内での会議とは違う……お前と俺は対等ではない」
「それはそれは、申し訳ありませんエルメスミーネ様」
「……先程の話だが」
口論するつもりはなかったのか、リチャードはすぐに本題に入った。クリスとしては嬉しい限りだが、目の前から発せられるプレッシャーに、掌がじんわりと汗ばむのを感じた。
こんな感覚は久しぶりだ。レイルが不覚を取るのも頷ける。
「お前達の目的はあの塔の破壊、と解釈したら良いのか?」
「そうだ。この国としても“あんな物”が国内に隠されていたと、世界中に知られたくはないはずだ」
「……確かにそうだが、仮にお前達が抵抗しようが、お前達を殺してから塔を浄化しても問題はない」
余裕を崩さないリチャードの言葉に、クリスは無表情で返す。
「“どうしてここに俺達がいる”んだ?」
冷たい視線と共に投げかけられた言葉に、リチャードは返答しようとして黙った。
本部の特務部隊に所属しているクリス達は、常に本部からの指示で各地を飛び回っている。その行く先々には本部が煙たがる問題が転がり、それを解決したいのは本部の人間ばかりではない。
デザートローズが人体を腐らせる悪魔の兵器を秘密裏に開発し、おまけにゼウス計画のコアまで手に入れれば――この国は世界的に孤立する。
ガリアノはそれを望んでいたようだが、もし仮に全面戦争に突入すれば、中身の腐敗しきったこの国では辛勝すらも難しいだろう。
ここにいたフェンリルを始末するということは、本部とそこに属する全ての存在を敵に回すということだ。多少愛国心が強すぎたが、勇猛果敢、戦力の三分の一以上を担っていた陸軍を失ったこの国に、他国と戦争をする程の力は残されていない。
ましてや今いる空軍や貴族達は、ただ国力だけを消費する戦争を嫌っている。内乱を抑えるだけで手いっぱいの状態だ。
「……陸軍へのテロ行為として処分することは出来る。脅しは止めろ。俺の方が正論だ」
リチャードが苦虫を噛み潰したような顔で言った。自分でも苦しいというのはわかっているのだろう。
「……そうだな。だが、処刑は出来ない。お前が望む処分は下されない。この国には、“穏健派”が多いんだろう?」
ニヤリと笑いながらクリスが言うと、リチャードの瞳に明らかな殺意が映った。相変わらず心臓に悪い光だ。だが、ここで弱気になっていては交渉事は出来ない。
たっぷりの沈黙の後、リチャードが重い口を開いた。
「……仮に、光で浄化したとして、その後はどうするんだ? 打ち砕くのか?」
クリスは内心胸を撫で下ろした。仮にでも話が進んだら、それは了承と同じだ。表情には出さずに即答する。
「光で浄化すればあれはただのクリスタルの塊となる。おそらく水を媒体にした結晶……その輝きはどんな宝石にも勝るとも劣らない」
「まさか宝石商人にでもなれと言うのか?」
鼻で笑ったリチャードに、クリスは冷静な表情を崩さずに続けた。
「それこそまさかだ。この作戦は国外に異変を悟られないのが絶対条件だ。“お互い”にとってのな。だからこそ、その“クリスタルの破壊”を収穫祭の目玉にする」
クリスの言葉にリチャードは最初は固まっていたが、すぐに意味を理解し、自分自身で整理する為か反芻するように言った。
「……今、陸軍は軍事演習の為にあの塔を出現させたと国民には伝えている。悪意を形にしたような醜い歪な塔だ。あれを光の力で清らかなクリスタルへと変える。それを打ち砕くことによって、弾け飛ぶ破片は綺麗な流星のごとき幻想を夜空に見せる」
「収穫祭にピッタリの出し物だ」
追い撃ちをかけるクリスに、リチャードは待った、と片手を突き出した。
「ただ打ち砕くだけでは駄目だ。元は悪意なる結晶……全てを完膚なきまで砕かなければ……」
「なら、花火なんてどうだ?」
「……花火、だと? 何を悠長なことを!?」
思わず机を叩き付けて怒鳴るリチャードの姿に、クリスは内心ほくそ笑む。
良い傾向だ。彼の心は今、計画をどう実現させるかに躍起になってくれている。
「軍隊らしく、上空に散ったクリスタルの破片を射撃や魔法で撃ち抜いていくのはどうだ?」
「……今日の夜に決行する」
「ここに魔術師は在籍しているのか? 空軍の狙撃兵だけでは足りないと思うが?」
「宮廷魔術師達に援軍を頼む。それに、俺に考えがある」
そう力強く言い切ったリチャードは、急にクリスに冷たい視線を向けて続けた。
「要請が通り次第俺も塔に向かう。計画の終了まで勝手な真似は許さん。守れないようなら、命はないと思え」
「……それはお互い様だ」
「ふん……俺もすぐに行く。魔法陣に乗れば元来た場所に出る。送りに部下を付けよう」
リチャードはそう言って立ち上がった。
「お心遣い感謝致します」
クリスもそう返して立ち上がり、魔法陣の上に乗った。魔法陣の起動音が響くなか、これからの算段を考えているであろうリチャードに、クリスは声を掛けた。
「そうだ。これは良くしてくれた御礼だと思って聞いて欲しい」
「どの口が言っている?」
機嫌の悪い声が返ってきたが、クリスは気にせず言葉を続けた。
「あんたを撃った人間の名前を教えてやろうか?」
隠せない笑みは、隠さないことにした。こちらを貫くように見詰める彼も、瞳の輝きは隠せないのだから。
「……エルメスミーネ」
魔法陣に掻き消える視界のなか、リチャードの驚愕の表情だけが、クリスの目に残像のように焼き付いた。