第二章 脱出、船
クリスが出て行き、ヤートは一人部屋に残された。
軍人として、ある程度の精神鍛練の訓練もしていたが、やはり猟奇殺人鬼に捕まるという状況は、想像以上にヤートを不安にさせた。今更ながら身体が震えてくる。これはおそらく、先程クリスが垣間見せた、人殺しの気配のせいだろう。
軍人相手にも感じないような、強烈な殺気を放つ彼らは、日常生活においても常に独特の雰囲気を纏っている。笑顔の奥にある殺気に、心臓を捕まれたように動悸が乱れることがある。
気持ちを落ち着ける為にベッドに横になると、無機質な感触に心が更に寒くなった。ベッドと同じく冷たい部屋の風景に、ヤートは壁の方を向くことで対処した。扉に背を晒し、完全に無防備だ。
ごろりと寝返りを打つと、肩に硬い感触が当たった。双女神の腕章だ。国を守る美しい女神達の横顔は、ベッドに押し付けるには最適のような罰当たりのような……
「美しき二人の女神は、王子を守る為に身を投げ出した」
国に伝わる伝承が、自然と口に出た。
城塞都市に古くから伝わる伝承。守護の力を持つ二人の女神が、愛した王子を守る為に敵陣に自ら身を投げ出したという内容だ。
まるで自分のようだ、とヤートは思う。
王子は彼女らの好意を胸に、国を強きものにすると誓ったが、王政すらも今現在では廃れてしまっている。誰も、何も守れていないのだ。
しかも、この話には裏がある。二人の女神は王子を愛するが故にいがみ合っていたのだ。一人が片方の身体に火を放ち、爆発を起こして敵陣を壊滅に陥れた。そして生き残った女神は天界から堕落した罪として、その場で大地に還されたと。
この裏の伝承については、住人達の間で噂話程度に話されていたことだが、現に彼の地は昔からは考えられない程大地が潤ったらしい。女神が地に還ったからだと言う。
「見捨てた人間は罰を受ける……」
あの科学者達も罰を受けたのだろうか。自分を兵器にした挙げ句に見捨てて逃げた人間達は、天なのか地なのかわからない場所に消えてしまった。
無、なのかもしれない。それはおそらく、本当の恐怖だろう。
ヤートがそこまで考えた時、船室の扉が静かに開いた。完全に思考の世界に入っていたヤートは反応が遅れた。慌てて仰向けの体勢に戻るが、侵入者は既にベッドの側まで来ていた。
やや小さい細長い手に口を押さえられる。呻こうとして抵抗したら、侵入者がぐっとヤートを覗き込んで来た。美しいエメラルドグリーンの瞳と目が合う。彼女は小さくニヤリと笑うと、ようやくヤートを解放した。
「わりぃ、騒がれるとマズかったんでね」
そう悪びれもなく彼女は言うと、先程クリスが座っていたテーブルに座った。彼女の動きは性格に合っているような気がした。普段の彼女は、年頃の女性としては品は足りないのかも知れない。
「なんで今更騒ぐんだ」
ヤートは服や髪を整えながら言った。今更ながら、短い金髪がボサボサだったことに気付く。
「んー。なんとなく、ちょっと猟奇殺人鬼を意識してみた」
そう洒落にならないことを笑いながら言うレイルに、ヤートは脱力感を覚えた。
「……意味はないのか?」
「ない。ロックやリーダーだって、意味もなくイチャついてきただろ?」
断言する彼女にヤートは、クリスの時はなかったと伝えるべきか迷う。
「……それで? ここに来た理由もない、のか?」
訂正するのは諦めて、質問することにした。ロックの話のせいか、変に彼女を意識してしまう。
「さすがに理由はある」
目の前に座るレイルの瞳が、一瞬鋭さを帯びた。
「ゼウス計画の被験者は、貴方一人?」
「プロトタイプなら、君が殺した」
ヤートの言葉に、レイルの眉間にシワが寄った。
「……つまり今は、一人だけ?」
「そうだ。このコア自体が複製品の無いオリジナルだからな」
ヤートはそう言いながら、自身の頭をコツコツと指で叩いた。
「なるほど。ならもう一つ。こっちの方が大事なんだけど、この計画は外部に流れていた?」
「……君達が来た時点で流れてるんじゃないのか?」
レイルの瞳の鋭さが増した。一瞬だけ、暗い殺気が冷気のように流れてくる。
「……私ら……いや、本部の情報網は特別だ。そこらの組織と同じにしてもらっちゃ困る」
「おそらく、君達だけだとは思う。これは俺の調べだが、あの国と秘密裏に同盟を組んでいたデザートローズでも、この計画は察知されていなかった。軍部の資料を閲覧したから間違いない」
「それは科学者の話だろ? 手が加えられている可能性がある。証拠が無きゃ信用出来ない」
「……証拠ならある」
まだ確定は出来ないが、ヤートには証拠を見せる力があった。
ゼウス計画によってこの船にある端末にアクセスすれば、そこから中央塔のラボにアクセス出来る。あの塔は崩れていなかったので、まだ通信インフラ、そして情報セキュリティも生きているはずだ。
「この船の端末を今、クリスが探してくれている。そのコンピューターにアクセスして証拠を見せてやる」
「そりゃあ、嬉しい限りだ」