第十一章 犬と狐
フォックスが『広場』と呼んでいたので、エイトはてっきり街中の公園みたいなものを想像していたのだが、彼に案内された場所はどこからどう見ても『墓場にしか見えない湖』だった。
「確かに醜いものが浮かんでるな」
「ちょっと、いくら死体も一緒に沈んでるからってストレート過ぎひん?」
もうちょっとこうさぁ、と笑うフォックスに、しかしエイトは同じように笑うことなど出来るはずがなくて。
案内されたのは銀の鏡と呼ばれる湖で、湖とは名ばかりの人工物の匂いがプンプンの『造られた水溜まり』という形容がしっくりくるものだった。確かにその水面に映る様は、まるで人間の汚れを全て写し取ったような光景ではあるのだが。
「これのどこが『美しい』んだ? オレは生憎、建物や遺跡の類には美なんて感じ取れねえぞ? 胸糞悪い」
水底に沈んだ人とその営みを見下しながら、エイトは溜め息と一緒に“感想”を述べる。今までに受けた芸術系の授業だって、今よりマシな感想文を提出出来ていたと思う。胸糞悪い、その一言で片付けて良い光景ではなかったが、この感情を適切に表す言葉を探し出せずにいた。
人の悪意に淀んだ水面は、緩く吹く風に揺らぐこともせず。ただただエイトの足元の金属との境界線を、その淀みによって明瞭にしている。ここから先は『人の世界ではない』のだと、まるでエイトの心に警告しているかのようだった。
――人の世界ではない、か……確かにそうなのかもな。どう考えてもこりゃ、都を挙げての集団自決だろ。こんなことしなきゃなんねーのは……
「綺麗やろ? 狂犬になりきれんエイトさんなら、わかってくれるって思っててんけど?」
湖の“境界線”に立つエイトの背に、フォックスが抱き着くようにして、甘い声でねだるように言った。その仕草がまるで仕込まれたようにエイトの情欲を刺激するのは、きっと雷による繋がりが出来てしまっているからだろう。
フェンリルのメス犬が狂犬で、この幼き特務部隊がその名の通りに狂った獣<狐>であったとしたら、自分はいったい何者を名乗るのだろうか。狂人か、そもそも人と名乗ることが今更出来るのか。だが……ケダモノの名を冠することを、今程疑問に感じたことはない。
きっと今が、人と獣の境界線なのだ。
そして――犬と狐、どちらにつくかの境界線。
足元の金属は、鈍く光るだけだ。磨き抜かれたかのように不自然なまでの光沢が、エイトの背で起こる異変を映した。
「何人死んでるんだ?」
この後起こるであろう状況の“規模”を想定するためにそう尋ね、その質問が今更意味があるのか考え――
「知らんわ。そんなん。ボクらがやったわけちゃうし」
フォックスの答えに思わずエイトは振り向いてしまった。雷をその身に纏い、今にも暴発しそうになった少年の顔を見下し、掛ける言葉を一瞬探す。
少年はボクらではないと言った。それはつまり、“下準備”をしたのは別の誰かということになるわけで。
「……誰がこんなこと、やったんだ?」
「“生きてる人間”じゃない、とだけ言っといたるわ。この都の秘密、クリスから聞いてへんの?」
相変わらずなリーダーさんやなと、幼き狐は笑って言った。