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第十一章 犬と狐


 銀の鏡と呼ばれる湖は、拠点から三十分程歩いたところにあった。
 金属の色合いが目立つ街並みが途切れ、その湖は突然姿を現した。人工的に造られた湖らしく、その畔には草木の気配が感じられない。
 これまで街の観光スポットと言えば、自然豊かな緑地帯等しか経験のないヤートからすれば信じられないが、銀の鏡には自然、というよりはまるで『命』という存在すら感じることが出来なかった。
 道路と同じく冷たさを感じる金属が、土の代わりに鈍く光る湖の畔を形作っている。湖は円の形を模しているらしく、対岸はこちらからでも目視出来た。流れ込む川のようなものは見えない。これだととてつもなく巨大な水溜まりという形容が一番正しいだろうか。
 都の中心部を通ってここまで来たが、人の姿は相変わらず皆無であり、それはこの観光スポットも同じくだ。恐ろしいまでに、人<命>の気配がない。
 人工物らしくくっきりと仕切られた湖との境界線に立ち、ヤートは同じく隣に立ったコメイに目を向けながら言った。
「ここが……確かに『鏡』だな」
 ヤートは最初、水面に覗き込んだ己の姿が映り込むために鏡という名称がついているのだと思っていた。それこそよくある自然の観光スポットのような気楽さで。
 だが、ここは人工の気配が支配する機械達の都だった。本来ならば自然の産物であろう湖ですらも造り物であり、その水面にはどろりと揺れる『営み』が映っている。
「っ……これって……湖の下に、街があるんですか?」
 隣で零されたサクの声には、ヤートが感じているのと同じように恐怖と――興奮の色が浮かんでいて。
「凄いでしょ? この街の昔の住人達が街ごと沈んでるんですって。だから少し建物の形式も違うのよ。ほら、あそこに見えるビル、ここから見ても金属の質が違うでしょ?」
 湖に張った気味が悪いまでに透明な水面の下には、街並みが丸ごと沈んでいた。
 湖の深さはそれ程でもない。現にコメイが指差しているビルは、その身を水底から半分生やした状態になっている。生活のための道路は水底に埋まってしまっているらしい。その底が泥や砂でないことは、この街の環境が証明しているというのに。
「……この街に生きている人間が少ないのは……?」
 頭に浮かんだこの光景に繋がる原因を否定したくてコメイを見ると、彼女は大袈裟に肩をすくめてみせた。
「やーだ、怖い顔しないでよ? 天変地異でも戦争でも、ましてや内乱でもないわよ」
「疫病か、何かですか?」
 サクもそう呟くように問うが、その目は水底から離れていない。彼にとっては生命の活気溢れる街中よりもよっぽど、この全ての気配の潰えた光景の方が好みなのだろう。
「病でもないのだけど……“病”的というには充分な程に、急き立てられていたのかもしれないわね。この湖には役割があってね。ここで祈りと命を捧げることで、この街に封印された召喚獣を呼び出すことが出来るのよ」
 さらりと明かされた街の秘密に、ヤートだけでなくサクも今回ばかりはその目を慌ててコメイに向けた。彼女は何も前置きしなかった。その話が伝説でも言い伝えでもないことを。
「命は既に差し出されたわ。あとは、『鍵』を使うだけ。狂犬でない貴方達には……この結末は不本意かしら?」
 湖に背を向けてこちらを射抜く視線を放つコメイに、ヤートとサクは反射的に飛び退いて距離を取る。その身からは殺気なんてものは放たれてすらいないのに、どうしてこうも――背筋が冷えるのか。
「お前達が殺した、いや……住人達を扇動したのか? その命を使って召喚獣を行使するためにっ!?」
 狐の口元がつり上がり、その青と紫のグラデーションに稲光が歪に走った。
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