第十一章 犬と狐
二人して浮かない表情をしていたのであろうか。
扉を開けるなりコメイは年相応の穏やかな笑みを湛えて、ヤートとサクを部屋の外に連れ出そうとしてくれた。
「二人共、この都は初めてなんでしょ? だったらちゃんと観光しないと勿体ないわよー?」
そう明るい調子で言って、ヤートにはその言葉通りさっと手を差し出してくれたのに、何故かサクに対しては視線を投げた瞬間にげんなりした顔をして見せた。
「えっと……な、なんですか?」
そのあまりの態度の違いに、サクも面食らったように抗議の声を上げる。
するとコメイは言葉にすらも出したくないと言わんばかりの苦い顔で、しっしとその手を払う動作をして答えた。
「あんた……誰の、とは言わないけど、臭いのよ! 待っててあげるから、さっさとシャワー浴びてきなさい」
「あっ、はい! い、行ってきます!」
「場所わかる? お姉さんがついて行きましょうか?」
くすりと悪戯気にそう言ったコメイだったが、当の本人はその冗談にも気付けない程に慌てていたようで、「だ、大丈夫です!」とだけ返して慌てて廊下に飛び出していく。
サクが飛び出した後の扉は、音もなく自動で横にスライドしていき、無音のままヤートとコメイを二人きりにする。
「カワイイ男の子ね。やっぱり新人ちゃんってカワイイわぁ」
「本部からの情報によると、まだ人も殺していない本当の意味で新人らしい。特務部隊の“お姉さん”からすれば、まだまだ子供のようなものかな?」
少し馴れ馴れしかったか、と言葉にしてからヤートは思った。城塞都市にいた頃には絶対に出なかったであろう類の挑発に、自分自身が一番驚いていた。その一番の原因であろう狂犬達は、今はいない。
「あら、あたしからしたらあなただって、カワイイ男の子と変わらないわよ? そんなに“経験”、ないんじゃないの?」
くすりと悪戯気に――しかし先程とは確実に違う笑みを浮かべるコメイに、ヤートは曖昧な返答は避けるべきだと判断した。
「ああ。まだ、数える程だ」
数えれるだけの、自分で覚えていられる範囲の数だった。人を切った数は。殺した数。それをまだ、覚えていられる自分は幸運だと思う。
目の前の女はその言葉に、ふっと口元を歪ませただけだった。これまでフェンリルに感じていたものとはまた別の圧を感じる。それは今まで散々浸された人殺しの圧でもあるものの、それに加えて余裕めいた落ち着きすらも感じる闇だった。
こちらの心を見透かしそうな狐色が、グラデーションのかかった個性的で、それでいて誘惑の色に揺れる髪に見え隠れしている。その目の色合いがどうにもヤートには苦手に思えて、そこでようやく自分達がまだ部屋の入り口で向かい合ったままだったことに気付いた。
「俺の部屋ではないが、座って待ったらどうだ? その……女性を立たせたままというのは、少し……」
言葉を探すふりをして、意識的に目を逸らす。それをコメイがどう捉えるかはこの際考えないことにした。生半可な誤魔化しが効かない相手ならば、ヤート本来の拙さを見せてやれば良いだけだ。任務上でもプライベートでも、特務部隊に色恋の経験値で勝れるものではない。
「ふふ、あなた優しいのね。さっきのやり取り、聞いたでしょ? 皆あたしのこと、女だって思ってないのよー。婚活ばばあも女なんですー、ってね」
そう言いながら今度こそ、本心からの笑顔を零すコメイに、ヤートもようやく苦笑交じりに「お互い、大変だな」と年長者同士の言葉を返すことが出来た。さすがに年齢は聞けないが、十は離れていないだろう。
緊張と、警戒の衣を脱ぎ捨てたコメイは、どっかりとリティストが普段使用しているであろう椅子に腰掛ける。ヤートはその正面にあるソファに座って、彼女の指先が机を撫でるのを見ていた。
恐ろしく長い、例えは悪いが、それはまるで魔女の指のようだった。指だけでなく、その先端を彩る青く塗られた爪も長い。髪色だけでなく服装や化粧も寒色系で揃えているようだ。女性は大変だなと、言い直したくなった。
「全てを視通す力を使うのがあなたなら、あたしも安心よー。間違っても短絡的なレイルやルークにはその頭、渡しちゃ駄目よ? あ、ロックもだわ。あの子は別の意味で危ない子だし」
コメイの言うことはもっともで、ヤートも異論はなかった。うんうんと頷いてから、「クリスはどこでも信頼されているんだな」と苦笑すると、コメイから予想外の言葉が返って来た。
「あたしは……あの子のことは苦手なのよ。本当に、何考えてるかわからないもの……獣は確かに群れを大事にするけど、あの子達の統率は異常よ。あれじゃ、あたし達の方がポンコツみたいじゃない」
ふんとむくれたのも一瞬で、コメイはその次の瞬間には穏やかな大人の笑みを浮かべている。
「本当に、あの子達には……幸せになって欲しいのよ」
ぽつりと零された言葉の意味を問おうとした瞬間、扉を開けてサクがまだ乾ききっていない頭で戻って来た。