第十一章 犬と狐
男性陣が部屋に消えたことを確認し、その扉がしっかりと閉じられたことまで確認し、ようやく目の前の女――コメイはレイルを自室に招き入れてくれた。
まるで隠し事でもあるかのようにそそくさと部屋に入り、レイルを招き入れ、そしてそのままの勢いで扉を閉めて施錠までして、ようやく――
「――あーん、もう! やっと二人になれたー! レイルってば本部からの連絡が来ても全然来ないんだもん! 待ちくたびれたわよー」
「あー、くっつくなババア! どうせ滞在中、私はこの部屋なんだろ? いくらでも相手してやっから今は休ませてくれ。つーか、シャワー浴びてくる」
部屋に入るなり飛びついてきたコメイをそのままに、レイルはそう言いながらジャケットを脱ぐ作業に入る。
コメイが“こう”なのはいつもの通りなので無視だ。こいつはいい年して異性の恋人がいない。そのくせ若い頃の遊び癖が抜けない為に、同性へのちょっかいが我慢出来ないどうしようもない女だった。本人が一番結婚したいと焦っているのに、傍から見るととてもそうは見えない。損するぞとレイルが注意しても、いつもこんな調子である。
「ちょっと! あんた、こんなベタベタなままシャツ着てたの!? あたしの部屋に男の匂い持ちこまないでよね!? 本命が寄り付かなくなっちゃう」
ジャケットと共にシャツまで脱いだところでコメイにバレてしまった。ここに来る道中にはシャワーを浴びるタイミングがなかったので、レイルの身体には砂走の籠の中で散々楽しんだ“跡”がまだべたつきと共に残っている。独特な匂いを嗅ぎ取るのは女の嗅覚だが、別にギャーギャー騒ぐ必要はないだろうに。
「シャワー浴びれば問題ねえだろ。つーか、本部のお偉いさんにも言われるって、ある意味すげえよ。結婚してえ本命、出来たのか?」
「いたらとっくに既成事実作って結婚してるわよ! 縛り上げてでも夫にするんだから。もう手足の一、二本無くても気にしないわ」
「こえー、首まで落とすなよ。でもよ……どうせ私らは子供出来ねえんだから、“男と結婚”に固執する必要なくね?」
シャツを脱ぐために振りほどいたコメイが、すっと口を噤んでレイルを見詰める。狐色の瞳には、いつもの揶揄いも浮ついた光も見えない。レイルやルークよりも高い身長に、ジャケットの下に合わせた薄紫色のブラウスがよく似合っている。タイトなスカートの下から覘く太ももは、魅惑的な黒タイツに包まれていてそれだけでレイルの欲望を刺激した。
「別に男に執着してるわけじゃないわよ。ただ、結婚には執着してるわね」
コメイはレイルと同じくバイセクシャルだ。本人曰く、どちらかというと女の方が好きらしいが、年齢を重ねると共に異性への欲求<結婚願望>が強くなってきたらしい。
年齢が一回りは違う――本人は絶対に口を割らないが本部からの情報なので確実だ――ので、そこのところの女心がどうなのかはレイルにはまだわからない。もしかしたらレイルだって、彼女くらいの年齢になれば世間一般的に言う『丸くなる』のかもしれない。
「……結婚なんて、縛り付けておかなきゃいけねえ相手にしかする必要ねえよ」
「……確かにあんたは、縛り付けておかなきゃいけないわね」
吐き捨てたセリフに返された言葉は、年齢故の余裕を感じた。
「うるせえ……」
「何拗ねてるのよ? ほら、こっち向きなさい。婚約おめでとうって、ちゃんと目を見て言わせなさいよ」
一回り年下の軽口を、いつも流してくれるのは、年齢故の余裕か……それとも奥底に潜ませた深く真なる愛情故か……
ややメルヘン趣味なベッドに腰かけたコメイの膝の上に座らされて、レイルは仕方なく照れ隠しにフリフリ感満載のブラウスの胸元に頭を埋める。豊満な膨らみに腰に回した腕が反応しそうになる。
しかし、すぐにコメイは両手でレイルの頬を挟んで、視線を無理やり合わせてくる。根本は青なのに毛先につれて紫にグラデーションの掛かった派手な髪が、やや大きめのウェーブを掛けて肩に流れている。その毛先を指先で弄ると、目の前の狐色が優しく微笑んだ。
「母親みてえ……」
「……最近よく言われるのよね……お母さんより奥さんになりたいのだけど、なんだかフォックスと歩いてると母親に間違えられることが多くて……」
そこでしくしくと泣き出したので、レイルは思わず噴き出してしまった。がしっと細い腰を抱き直して、その狐色を覆った瞼に口づける。
「こんな色気抜群の母親なんてそうそういねーから大丈夫だって。それに……私らはある意味、家族みてえなもんだろ?」
言い聞かせるようにして、その瞳を覗き込んだ。そこには想像通りの闇が浮かんでいて、自分達に埋め込まれた楔の血生臭さに、レイルは反吐の代わりに笑いが出る思いだった。
同じ人間の身体を埋め込まれたのだ。同じ血を共有する、それを家族と言わずになんと言えば良い?