第十一章 犬と狐
後ろ姿を見た時から、そうではないかと思ってはいた。
ルツィアは“あの日”から逃げ続けている。己の罪と向き合うことを。そんなルツィアのことを嘲笑うように、現実はその『罪』を人の形にしてぶつけてくるのだ。
「っ……」
嗚咽として零す権利が自分にないことはわかっていた。だから、それだけは我慢した。泣いて良いのは自分ではない。ルツィア<己>の罪の為に泣いて良いのは、被害者<リティスト>だけだ。
心ではそう強く思っているのに、膝が勝手に崩れ落ちた。がっくりと膝をついた自分の姿は、さぞかし滑稽に映ることだろう。それでも、ルツィアは己の目に溢れる雫をせめて零さないようにすることしか出来ないでいた。
「どうかしましたか? お嬢さん?」
目の前のリティストが驚いた表情で駆け寄って来る。そんな、優しいところまでこの男は“彼”――リティストにそっくりだった。
“彼”とは唯一異なる狐色の瞳が、ルツィアの姿を映している。その瞳の中の自分が、膝を抱えた学生時代の自分に見えた。
ルツィアは自他共に認める優等生で、そう言われるだけの学生時代を過ごした。裕福な家に生まれ、それ相応の教育を受けたルツィアは、大陸東部の有名高校に入学する。
そこでルツィアは、ある罪を犯した。己の罪の証拠を隠滅する為に、そこに教師として潜入していたリティストを見殺しにしたのだ。いや、違う。あれは殺したも同然だった。間接的に殺した。ルツィアが、殺した。だって、実行犯はもう死んでいる。罪を被るのは、残っているルツィアだけだ。
目の前の男はきっと、殺した彼の血縁だろう。年齢的に兄、だろうか。殺した彼はせいぜい二十代半ば程度だった。表向きは数学教師として潜入していた特務部隊のリティストは、あまり戦闘能力自体は高くないようだったが、目の前のリティストはここのリーダーを務めていると言っていた。
――頭、おかしくなりそう……
目の前の狐色が揺れる。三十代半ばか、少し上程度だろうか。疲れを感じさせる顔色の悪さがせっかくの整った顔立ちをぶち壊しているのは同じだが、彼には大人の男特有の色気があった。それは年齢相応の余裕のためか、それともルツィアの罪を見透かしたが故か。
ほんの少し、心の片隅で憧れを抱いた年上の男<教師>だった。一度くらいは寝てみたいと強がって、結局は“彼女”諸共見殺しにした。実行犯はもう死んでいる。罪を被るのはルツィアだけだ。
「もう……許して……」
ぎゅっと目を瞑り、懇願した。あれからずっと口には出さずにいた願いだった。強がりで我儘で、家の利益の為に学園と国を欺いた女は、今ではこんなにも――弱くなってしまった。
本当の愛情を知ってしまったから? 違う。あの人達が囁く愛は、本当の愛なんかではない。 本当の愛情はもっと真っ直ぐで、“彼女”に貰ったようなもののことを言うはずで……
「なんだか、怖がらせてしまったのでしょうか? 大丈夫。ここはもう、安全な場所ですよ。ここにはフェンリルの皆さんだけじゃなく、僕達もいます。だからどうか、安心して」
リティストに優しく抱き締められる。ルツィアにはもう、これ以上感情を抑えることは不可能だった。