第十章 異に接する都
「そういや、ゼウスのオッサンは“故郷”じゃ防衛隊の隊長さんだったんだよな? じゃ、経験者じゃねえの」
群れの頭が眠ったことで静寂が訪れた籠内にて、獣になり損ねた狂人が問い掛けてきた。
充分若い狂犬達よりも更に一、二歳は年下であろう彼の言葉には、ヤートに対する挑発の色が滲んでいる。わかっている。彼に自分の実力が認められていないことぐらい。
「……それよりも、さすがにその呼び方はないんじゃないか? 俺の名前はヤートだと言ってるだろ。オッサンなのは認めるが、“作戦名”を呼ばれるのは都合が悪い」
わかっているからこそ、ヤートはそう、それだけ返した。まだまだ守るべき子供の気配すら漂わせる彼の方が、ヤートよりも遥かに強いのだ。その事実はわかっている。だからこそ、それだけ告げた。
『ゼウス』という名は城塞都市の科学者たちの切り札だった。大陸全土への反逆の牙の名だった。その『作戦名』は極秘情報として“上”では処理されたのだろうが、むやみに口にすべき名前でないことは確かだ。
「……あんたって、マジで怒らねえな。軍人の“大人”って、皆そうなのか?」
目の前で揺れる赤の色合いが変わった。その気配の変化に気付いたヤートは、席に座り、エイトにも隣を勧める。さすがに目の前で休んでいるクリスの隣は空けてやりたいと思ったからだ。
エイトもそれはわかっているのだろう。素直にヤートの隣に座ってくる。
並んで座ると体格差がよくわかる。ヤートもそれ程身長が高い方ではない――身長だけならクリスの方が高い――が、エイトは平均的な身長よりも小柄に感じる。筋肉はしっかりとついているが、若いしなやかさの方が印象としては強く、痩せた野生の肉食獣のようだ。腹をすかせた獰猛なる獣。彼にピッタリな印象だ。
「“故郷”の陸軍では『責任感が強く真面目だけが取り柄』と馬鹿にされて、城塞都市では『人を纏める力だけはある』と褒められた。同じ軍でも所属する場所、上に就く人間が違うだけで、俺の評価は正反対だ。エイトくんが知らないような『怒りっぽい』大人もたくさんいる。大人が皆、怒らないわけじゃない。皆、『怒り方が上手い』だけさ」
「うはー……その受け答えが『大人』だっての。オレは今まで『自分より弱い奴の下になんて絶対無理』だって思ってたけどよ、あんたを見てると違うんだなってわかった。多分皆が皆そうじゃねえだろうが、少なくともあんたは『指示をすることが出来る人間』だ」
隣に座った幼い身体が、すっとヤートの肩に寄り掛かった。
「……あんたが『頭』だったら良かったのに……」
赤を向けられたわけではない。小さく零されたその本音に、縋るような響きがあっただけ。きっとエイトはこう言いたかったのだろう。『ヤートが、もっと強ければ良かったのに』と。
――それは、俺が……一番痛感しているさ。
静かに目を閉じたままの『頭』の前で、エイトは身を寄せたまま続けた。
「狂犬部隊には憧れだってあったけどよ……オレは『人間の暖かさ』がある頭に従いたい」
「クリスはちゃんと……俺達のことを想っているさ」
「……」
その沈黙は肯定か否定か。閉じられた赤は何も告げない。
ヤートは小さく息を吐き、若き青年の言葉の意味を考える。
自分の戦闘に関する能力が高いとは、ヤートだって思ってはいない。城塞都市でも評価されたのは指揮能力に関することばかりで、身体能力や剣術はやや高いと言えれば良いくらいだった。
隊長となれたのは、その唯一評価された指揮能力があってのことだ。南部の陸軍では何も言われなかったのであまり自覚はないのだが、城塞都市や本部でそう評価されたことは素直に誇らしいと思える。
これまではあまり馴染みのない遠い世界の人間達からの評価しかなかったが、今こうして隣に座る青年から直に慕われたという事実は、ヤートの心に確かな自信と、更なる向上心を植え付けた。
いつかは愛しい彼女と肩を並べられるようになりたい。そう考えてこの数日は特に訓練に励んでいたが、なにも肩を並べる方法は、強さを求めるだけではないのだ。
――作戦指揮能力、か……
ゼウスを持つ自身には、これ以上ない適役かもしれない。自身の新たな可能性に想いを馳せるヤートの目の前で、冷静なる獣の口元が小さく笑った気がした。