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第八章 歪な群れ


 自分よりも身長のある人間が、胸にしがみついて泣いている。このような事態はしばしばあるので慣れている。自身が他よりも小柄なのだから仕方がないし、それで何か不都合があったこともあまりないので気にしていない。強いて言うならリーチが他人より短いくらいか。
 ルツィアが落ち着くまでただ見ていようと考えていたレイルだが、あまりに彼女の泣き顔が美しいために、ついついその頭に手を回して抱き締めていた。
 バイセクシャルであるレイルにとって、ルツィアは充分に『好みの女』だ。出会った当初は嫌われているのもわかっていたが、ちゃんと心の武装を解いてやれば、こんなにも従順な女になる。普段のツンツンした態度だって、この姿を見てからなら愛しさすら覚える。
――あいつが好きそうな女だぜ。もちろん、私も好きだけどよ。
 茶色の甘くカールした髪を撫でる。しっかりと毛先まで手入れされているその髪は、見るからに金持ちのお嬢様といった具合だ。金が掛かっている。サラサラとした感触を楽しみ、未だ涙に濡れる瞳を見下す。
 その瞳に浮かぶのは恐怖と後悔、そして――疑念の色だった。この色の意味をレイルは知っている。彼女は、レイルを疑っているのだ。
 それは彼女の過去<罪>のことだ。
 彼女はレイルを疑いつつも、罪の重さに耐え兼ねて自らその断片を告白していた。『東部の有名校』の『優等生』で、レイルも『知っている』。
 そう。レイルはルツィアを知っている。その『名』を貰う前の彼女を。
 直接会ったわけではない。この女は東部所属の特務部隊の同僚の殺しに関与し、その罪を暴くために近づいたロックと恋仲になった。ロックはもちろんレイルもまた、その同僚のことは気に入っていた。それは性的な意味でもそうだし、その明晰な頭脳や志の高さでもあった。
 特務部隊という裏側の仕事を円滑に行うために紛れ込んだ表の仕事すらも真面目にこなす同僚のことを、ロックはいつも『真面目ちゃん』と揶揄っていた。配属された地方が違うため頻繁に顔を合わせることはなかったが、それでも幾度か身体を重ねる程度の機会はあったし、ロックに至っては地方に仕事で出掛ける時はマメに同僚の元に顔を出す人間だ。
 後方支援担当のスナイパーというポジションは、前線の味方との連携が肝だ。派手に暴れるだけの任務に単独で放り込まれることも多いレイルとは違う。彼は円滑に仕事を行うために出来る手間を惜しまないし、元より社交的でそれ以上に下半身の緩い人間だ。
 純粋な恋愛感情ではなかったにしろ、気に入っていた同僚の殺しに関与した人間と関係を持つとは、本当に彼は狂っていると思う。その煮え滾るような心の内を欲望に代えて吐き出す様を想像し、レイルもまた身体の芯がゾクゾクと疼いた。
 抱き締める手を腰まで下ろし、欲望を受けた身体の感触を楽しむ。
――お前はどんな顔をして、“あいつ”の死に顔を見ていたんだ? 教えてくれよ。
 潤んだ瞳がレイルを見上げる。女のこの瞳を見るのが一番好きだ。心の中を自分でいっぱいにした瞳だ。女は、この表情が一番色気があるのだから。『あなた無しでは生きられない』と、ロックは言葉で言わせるが、その言葉は瞳で語らせるのが一番のお気に入り。
 彼女は同僚の死に顔を見ていた。南部の軍人が紛れ込んでいた東部の有名校にて、優等生をしていたルツィアの目の前に、同僚の死体が転がっていたはずなのだ。
 現場にはフェンリルが踏み込んだ。しかしそこに残っていたのは同僚の死体と、彼女の同級生達だけだった。辛うじて息のあった同級生二人をフェンリルは極秘裏に“助けた”。本部には報告していない。瀕死の重傷を負っていたので、クリスがよく“世話になっている”闇医者に放り込んで、その後は一人をレイル、もう一人をルークが部屋で“飼っている”状態だ。
 レイルが引き受けた同級生は女で、少しずつ、本当に少しずつ――あれからもう数年経っているというのに、事の全容を聞き出せたのはごく最近だ。軍から支給されている自室にてその悪行を聞いたレイルは、今と同じようにその女を抱いていた。
 今抱いている女とは真逆のような女だった。身長はルツィアよりも更に高く、平均的な男性と並ぶ程度だろう。男勝りな性格で引き締まった身体がこれまたそそるイイ女だ。レイルのストライクゾーンは基本的には広い。下半身で考えているので仕方がない。
 泣いている女は美しい。その涙を意味ごと掬い取ってやりたい。溢れた感情が零れ落ちたその心に、自分を強く植え付けたい。
 すすり泣く声がようやく止んだ。入り口の軍人に伝えた時間的にも、そろそろ扉の先に行きたいのが本音だ。
 この扉の先には大きな空間が一つだけだ。部屋割り的には研究機材の部屋として手前にスペースを設けているものの、その区切りは壁ではなく魔法障壁があるだけ。不可視なるその障壁は、壁というよりはカーテンに近しい。
 おそらくイグムスを守る“兵士”達は、その手前のスペース、つまり扉の先をうろついているはず。
「……ごめんなさい、もう大丈夫」
「そうかよ。泣いてる顔も可愛いから、まだこうしてても良かったのに」
 ヘラヘラと笑いながら離れると、予想通りその愛らしい頬を膨らませて睨まれた。拒絶の言葉はもう出ない。リーダーの目論見通りだ。後は……
「なら、気合入れていくぜ。お前はまずは敵の攻撃を避けることに集中しろ。敵の数は“四体”だが、連携には気をつけろ。出来るだけ私が引き付けるが、さすがに素直には釣られてくれねえだろうからな」
「れ、連携? それもイグムスの思考なの?」
「いや、これは取り込まれたモノの思考だ。類稀なる連携能力を持ち、同時に悪意に塗れた人間の残骸だ」
「……どうして、そんなに知ってるのよ?」
 不安そうに後ろについた彼女には、敵の“正体”を伝えても良いだろう。もちろん無線の向こうのリーダーは、これすらも織り込み済みで自分達をここに送ったのだろうが。
「敵はデザートローズでの作戦中に交戦した陸軍の軍人と、私らフェンリルをコピーしたモノの残骸を混ぜた出来損ないだ。私らの敵じゃねえよ」
 敵じゃないなんて大嘘だったが、それでも勝算がないわけではない。きっと、自分達“二人”ならば、敵の部隊を殲滅することが出来る。それが出来なければ“狂犬”ではない。
「“今度”こそ最後まで見せてやる。本当の狂犬の戦いをよ」
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