落陽異伝 -邂逅
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落陽異伝(らくよういでん)本作品の夢主は「終焉なき」本編と異なる”可能性”を辿った同一人物であり、英国出身です。
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[3. 光と闇]
敦の暴走に太宰は何も言わなかった。けれど捕虜として捕らえていたミミック兵が何も吐かないまま死んだという事実には僅かながらも眉をしかめたようで、「ポートマフィアの人間が拷問すらもまともにできないなんてね」と苦言を呈している。拷問担当構成員の腕が悪かったのか、ミミック兵の方が上手だったのか、その点に関しては確かめるすべもない。
あの場にいた人間は、敦以外全員死んでいる。
――一人の少女を除いて。
エレベーターを降り、中也は一人エントランスホールへと足を踏み入れた。天井が吹き抜けになったそこには、軍隊を思わせる歩行でビル内部へと入っていく構成員の他、事態の緊張感を知らないような朗らかな顔をした人々が行き交っている。ポートマフィアが契約している事務所や商店街の関係者だ。ポートマフィアがポートマフィアとしてこの街に居座ることができている支えでもあった。ヨコハマの治安の悪さを逆手に取った保護ビジネスによって、ポートマフィアはこの地で警備会社としても名を広めつつある。代替わりを感じさせない新首領の鋭敏な采配はポートマフィアという組織名をより強固なものとし、大方の小規模犯罪組織はその名を聞くだけで何もせずに逃げ出すまでになっていた。警備会社としてはこれ以上ない功績だ。ポートマフィアと契約しているというだけで身の安全が確保されるのなら、と契約者も増えつつある。
この街には闇が巣くっている。だからこそ、人々はより強い闇に縋り、闇を支えに光の下で生きようとする。
これが、このヨコハマという世界だった。光のない闇、闇ばかりだからこそ映える薄ら明るい闇。光の一切届かない裏路地で生きる雑草の葉の色のような、本来の明るさを見失った世界。
だというのに。
中也はエントランスホールを抜けて外へと向かおうとする。自動ドアが開き、外の陽光が中也の中の闇を消そうとでもするように強く照らし出そうとする。
その明るさに目が眩みそうになりながら中也はポートマフィアビルの外へ出た。そうして、足を止めた。
目に陽光が焼け付いたからではない。行き交う構成員達がきびきびと仕事をしていたからでも、見慣れた取引先の所長が中也へと軽く頭を下げてきたからでもない。
そこに、人がいたからだ。
敦と同じほどの背丈、同じほどの年齢の、少女だった。黒いベストで引き締められた胴、その背の中程まで伸びた長髪は日の光を受けて柔らかな反射色を示し、髪色が亜麻色ではなく金色であるかのように錯覚させる。欧州を思わせる顔立ち、それと相性の良い白い肌、そして碧眼。左腰には銃器が提げられ、ホルスターは使い込まれている。白いブラウスと赤いリボンタイが彼女に女性らしさをようやく与えていた。
玄関先で何かを待っていたかのようにそこに立っていた少女は、立ち止まった中也へと目を向けてくる。何気ない素振り、視線に気付いて無意識にしたかのような何気ない動作。けれどその顔には驚きの一つも浮かばない。予想していた通りのものが目の前にある時のような、特筆するほどの変化のない真顔がそこにある。
「……手前は」
あの時の構成員だと気付いたのはすぐだった。けれどそれ以上を言えず、中也は立ち竦む。
――亜麻色の髪の、碧眼の少女。
中也が辿り着いた時の地下室は酷い有様だった。悲鳴を吸い尽くしたような石壁は血肉で汚れ、撒き散らかされた内臓と体液による噎せ返るような悪臭が地下室を浸していた。中也でさえ言葉を失ったほどの惨状だった。けれど、彼女は。
『虎が暴れました』
平然と、今のような特筆できる変化のない真顔で。
おそらくはその惨状を作り上げたのであろう敦を大切そうに抱えたまま、事態を報告してきた。
その服の、髪の、肌の、どこにも汚れをつけないまま――血臭を振りまく赤花の立ち並ぶ中、一つだけ清廉と咲く白い花のように。
闇しか存在しないはずの中に灯る、本物の光のように。
――あり得ないもの、異質なもの、異常なもの、周囲と明らかに異なるもの。
それに美しさよりも恐怖を抱くのは、人として当然のことだ。
「中原幹部、ですね」
彼女は――クリスと名乗った少女は、軽やかな幼い声で中也を呼んだ。人の良い笑みを浮かべてこちらへと向き直る。
「何かご用でしたか?」
「……手前が偶然そこに立ってただけだろうが」
「わたしを探しに外へ出ようとしていたんですよね?」
図星だった。
「例の件についてでしたら、あの時申し上げた通りです。ミミック……でしたっけ? あの捕虜の所持品の安全確認が終わって地下牢に運び込んでいたら、事態を目撃しました。銃弾が通らなかったので仕方なく薬物を使ったんですけど……あの男の子は無事でしょうか」
クリスは軽く首を傾げて言う。敦のことを心配しているあたり、彼の異能に関してはあまり詳しくないようだ。奴には銃弾も毒物もろくに効かない。だというのに敦を昏倒させるとは、一体何を使用したのだろうか。それを訊くのはなぜか憚られて、中也は「問題ねえよ」と顔を逸らす。
「じきに目覚める。ああ見えてあのガキは丈夫なんだよ」
「そうでしたか……なら、良かったです。随分と手荒な真似をしてしまったので」
彼女は心底安心したように頬を綻ばせた。胸の前で両手を握り合わせ、少し顔を俯かせながら目元を緩める。風が彼女の髪をふわりと広げて、中也の鼻先へ花に似た香りを運んできた。黒いスーツよりも白いワンピースが似合いそうな少女の様子に中也は――眉を潜める。本来ならば連日の思わしくない情勢に疲労した心が和んでいただろう彼女の存在は、その純粋さ故に中也へ警戒心を与え続けていた。
――血濡れることなく白虎を制圧した、十五程度の笑顔の柔らかな少女。
あの時あの場にあったのが危機迫った表情だったなら、もしくは血に塗れ放心していた面持ちだったなら、あるいは平然と敦を足元に見遣っていたのなら、それとも狂ったように笑い声をあげていたのなら、違和感はなかった。この世界には様々な人間がいる。人の死に接しすぎて気が狂ったり、殺しに慣れすぎて人間らしさを失ったりする奴は珍しくない。
けれどこいつは、何もなかった。笑みも恐怖も混乱も狂乱も冷徹さも、返り血も何もなかった。ただの人間だった。
それがどうしても中也の中で警鐘を鳴らして止まない。
「それで中原幹部、わたしを探していた理由は何だったのでしょうか」
クリスに問われ、そこで初めて中也は外に出てきた目的を思い出した。ああ、と誤魔化すつもりで相槌に似た声を咳払いのように出す。
「ボスが詳細を知りたがっていてな。少しばかり詳しい話を改めて聞きたい」
「構いません。それが幹部の、そしてボスの命令ならば断る理由はありませんから」
少女はポートマフィア構成員として完璧な答えを告げ、忠誠を誓う騎士のように胸元に手を当てた。