落陽異伝 -邂逅
夢小説設定
落陽異伝(らくよういでん)本作品の夢主は「終焉なき」本編と異なる”可能性”を辿った同一人物であり、英国出身です。
カタカナでの名前を推奨しております。
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敦は執務室から出た後、地下室へと向かっていた。紅葉の部隊と合流し、敵の拷問を担当するためだった。
拷問。それは裏社会だからこそ存在する処置だ。それを経験することは、この世界を生きるためには必要不可欠に違いない。
無意識に触れた首元にじわりと痛みが残り続けている。着込んだ外套の下、ひっきりなしに首へ食い込み肉を裂いているそれは、敦へ常時痛みという感覚を与え続けていた。痛いのは嫌いだ。鞭打たれるのも焼けた鉄を押しつけられるのも杭で足の甲を打たれるのも、痛くて怖くてたまらない。この世界にはたくさんの「痛い」がある。
けれど、この首の痛みはそれらを全て掻き消してくれた。常に肉を破り血を流させるこの棘を内包した首輪が、敦を他の痛みから守ってくれている。
だから敦はこの首輪を外せない。
どんなに自らを傷付ける代物だと理解していても。
――このような世界、君には合っていないだろうに。
広津の言葉を思い出す。広津は優しい人だ。本心は見えないものの、敦に懇切丁寧な指導をしてくれている。おかげで受け身の取り方が上手くなり、異能で吹き飛ばされたとしてもすぐさま体勢を立て直せるようにはなっていた。未だにあの斥力の異能には敵わないが、ここに加入してきた時よりは随分と体の動きが良くなっているように思う。
強くなっていると、思う。
少しずつ、少しずつ、成長しているはずだ。先程は太宰の言葉を素直に受け取れなかったが、褒められるほどではないにしろ少しはましになったと思いたい。
そして、いつか。
――人を守らぬ者に生きる価値などない。
あの言葉を、それを発した主を。
「……ッ」
息を詰める。眉を潜める。何を思い出したわけでもないのに冷や汗が背筋を伝い下りた気がした。
「……は、ははッ」
広津の言う通りだ、と敦は階段を降りながら自嘲した。自分はこの世界に向いていない。死ぬのが怖くて、痛いのが怖くて、仲間達が怖くて、何もかもが怖い。銃声を聞けば震え上がってしまうし、血を見れば全身がスウッと寒くなる。
わかっている。そんなことは誰よりも自分がわかっている。
けれどここしかないのだ。自分のような人間が人間として生きていられる場所は、首領が指し示し導いてくれたこの世界しかない。
自分はその程度の存在だ。そう、教え込まれている。
敦は薄暗い階段を降り続けていた。石壁の隙間から漏れ出る白い霧が地下全体を薄ぼんやりとさせている。マフィアの地下収監所。生きて入る者は多く、生きて出る者は少ない、現実世界の地獄。悲鳴と血を吸い続けた石の壁は触らずとも冷え冷えと敦の体を凍らせようとしてくる。
地下室を通り抜け、特別収監房へ。二十畳程の四角い一室で、何やら作業をしている黒服が三名いた。紅葉の部隊の男達だ。
「あの……」
声をかけ、拷問見学の事情を話す。紅葉から話を聞いていたのか、彼らはあっさりと敦の言葉を受け入れた。彼らの足元には大きめの麻袋が四つある。それの中に人間が入っていることは容易に想像がついた。
ミミックの兵士だ。太宰の指示で罠を張った非合法カジノ、そこで昏倒ガスを吸引し捕縛された捕虜。
今から目の前で、彼らが苦しみに足掻き叫ぶ様を見るのだ。
想像するだけで体が震えた。寒さのせいの震えだと信じたかった。
黒服の男達は一つずつ袋の口を開けた。意識を失ったままのそれを二人がかりで持ち上げて一人が袋を取り外す。その脱力した無抵抗の手足に枷を嵌め、中に収まっていた兵士の顔を晒した。
現れたその顔に敦は息を呑んだ。
普通の――顔つきこそ見慣れないものの、ごく普通の男だった。そこらを歩いていても何ら不思議はない。ただ、銃を手にポートマフィアへ刃向かってきただけの、普通の人間がそこにいた。
顎を掴んで口を開けさせ、黒服の同僚達はその中へと手を突っ込んだ。しばらくして何かを掴みだした彼らの手を見、そこに乗っているものを見、奥歯に仕込まれた毒を外しているのだとわかる。手際が良かった。慣れているのだ。
彼らは、拷問部隊なのだから。
ぞくりと肝が冷え込んだ。心臓の動きがおかしかった。
敦の様子に気付くことなく、同僚達は次の兵士へと取りかかる。三人目の兵士も同様に、麻袋の口を開き、中からそのぐったりとした胴を引きずり出した。そこまでは巻き戻した映像を再生されているかのように何も変わりはなかった。
けれど。
――ピクリ、とその指先が動いたのを敦は見た。
「う……」
呻き声。それらに気付かないまま、同僚達はそれの顔を晒す。そこに現れた顔が――そこに埋め込まれた一対の眼球が、後方にいた敦を捉える。
目が、合った。
意識が戻っていたのだ。
「しまッ……!」
同僚達が急いで枷を嵌めようとする。しかしその判断は間違いだった。伸ばされてきた手を払い、踏み、引き寄せ、目覚めた兵士は目覚めたばかりとは思えない動きで素早く黒服の腰へと手を伸ばし、そこにあったものを奪い取る。
拳銃だ。
撃たれる。
敦は頭を抱えて蹲まろうとした。兵士が銃の安全装置を外して引き金に指をかける。けれど兵士の目は敦を見ていなかった。
彼は目の前の黒服を着込んだ敵のことごとくを無視し、脇で気を失っている仲間へと視線と銃口を向ける。
そして、発砲。続けざまに三発。悲鳴はなかった。彼の仲間達は抵抗することも事態を把握することもなく、頭部を正確に撃たれていた。血が飛沫く。敦の全身が瞬時に冷えて動かなくなる。
口封じされたのだ。そのことに気付いた時、敦は呆然と目の前の状況を理解しようとしていた。
兵士が、いた。
拳銃を手に、それをこちらへ構えている。真っ直ぐに、こちらを。
敦を殺すために。
「……ひ」
逃げなきゃ、と思う。
「……う、あ」
逃げられない、と悟る。
殺される。
殺される。
殺される――!
「うあああああああああ――ァァァ――アアァアァア!」
敦は叫んだ。それはやがて慟哭になり、そして咆哮と化す。ぐるりと視界が歪み、広がり、色を変え、高さが変わる。全身の皮膚が伸びては縮み、背が曲がって手足が太くなり、爪が伸びて床を掻く。
「グルゥアァアアアァア!」
銃弾が視界に弾ける。しかしどこに当たったのかはわからない。もう何も、わからない。
ただ一つ、死にたくないという思いだけが心の中で膝を抱えて泣いている。