落陽異伝 -邂逅
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落陽異伝(らくよういでん)本作品の夢主は「終焉なき」本編と異なる”可能性”を辿った同一人物であり、英国出身です。
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[2. 恐怖と虎]
正体不明の組織ミミックが日本に上陸して数週間、関東地域の裏社会の情勢は大きく変わっていた。その人口密度に似合うほど乱立していた犯罪組織の数は半数以下にまで減少し、空いた縄張りを他の組織が奪い取ろうとすればすぐさまミミックの餌食になる。やがて裏社会には「ミミックの荒らした地に触れた組織はミミックにより壊滅させられる」という常識ができあがっていった。ミミックそのものは減った人員を補充することもなく、淡々と粛正じみた殺戮を繰り返すばかりだ。正体不明の彼らのおかげで犯罪組織の数は減り、かといって一つ一つの組織の規模が拡大しているわけではない。
日本という国の闇は外部から攻め入ってきた闇によって食われ、消失しようとしていた。
武器庫が襲われてから一週間、情勢はやはり芳しくない。
「《陰刃》も《GSS》も壊滅か」
隣に控える秘書官から受け取った資料を机の上に放り、太宰はつまらなそうに言った。
「龍頭抗争であんなにポートマフィアと遣り合った敵対組織がこうも簡単に壊滅するというのは、何だか奇妙な心地になるね。当時はなかなか大変だったはずなのに、呆気なかった気もしてくる」
はあ、と大袈裟なため息をついた首領の横で、秘書役は無言のまま机の上に散らばった資料をまとめて持ち直す。その様子を中也はじっと見つめていた。
銀といったか、後ろで束ねた黒い髪に黒背広を着た彼女は暗殺者のように気配がない。不気味だという感想が一番に出る。太宰がどこからか連れてきた女性だということで警戒していたが、そういう間柄というわけでもないようで、彼女が来て半年が経った今でも「無口な首領の秘書役」という印象しかなかった。手際は悪くなく見目も良いが、その不気味さと首領の秘書役という特殊な立ち位置もあって近付く輩は全くいない。
黒一色しかない墨のように眺めていてもつまらない女だ。中也は銀から目を離し、代わりに机に向かって座りながら両手の爪を眺めている首領へと声をかけた。
「龍頭抗争の時《GSS》は敵対はしてなかったがな」
「そうだっけ」
中也の言葉に太宰はどうでも良いとばかりに首を傾げる。
「まあ良いか、重要なのはそれによって何が失われ何が生じたかだ。経過はこの際関係ない。……そんなことを言うとまた中也に怒られるのかな?」
「そうわかっていても俺の顔色を窺うようなことはしねえんだろうが」
「勿論」
太宰は笑った。黒い部屋に似合う、形ばかりの笑みだった。
「さて、と。――楽にして良いよ、敦君」
ようやく声をかけられ、執務机の正面でひたすらに黙り込んでいた若い構成員がようやく顔を微かに上げた。首元までを覆った外套、肌の露出を最小限にしたその全身は黒く、白い頭髪を異様なまでに誇張している。首領を窺うその眼差しは敵意と殺意を宿すにはまだ丸く幼かった。
中島敦。太宰が唐突に連れてきた貧相な子供。太宰が首領になる半年前、その時まで理由もなしに直属の部下を選ばなかった彼が前触れもなく連れてきた孤児。戦闘どころか喧嘩すらもできないような脆弱な子供の登場に、当時はポートマフィア全体が荒れた。太宰の直属の部下は特に酷かった。前首領の暗殺すら噂されるような底の知れない男に従っていた自分達ではなく、どこぞを彷徨っていた餓死寸前の子供が彼の目に止まり彼の命でポートマフィアに加入したのだ。しかも彼の訓練は太宰の意思により黒蜥蜴や幹部の手によって行われている。その寵愛ぶりに地位を欲する構成員が反感を抱いたとしても何の疑問もない。
それを落ち着かせるために中也はかなり苦心した。時には粛正すらした。あのままでは敦が酷い目に遭わされていただろう。太宰本人を攻撃する度胸のある構成員はここにはいない。だからこそ、太宰ではない誰かが一方的に攻撃されるような組織になってしまえば、このポートマフィアという組織は怨念で内部から崩壊してしまう。敵対組織の格好の餌食だ。
中也が苦労した結果、敦の異能という実力もあって構成員達は敦を受け入れつつある。加えて、太宰の右腕として猛威を振るった中也に皆が畏怖を抱き始めた。それを知った太宰が「いっそ君を最高幹部にしよう」と中也に他の幹部を差し置いて組織第二位の役職を与えたのだから、最初から最後まで太宰の工作だったようにも思えてくる。
「久し振りだね、敦君」
執務机に両肘をついて、太宰はにこやかに彼へと声をかけた。
「半年振りかな。随分と活躍しているそうじゃないか」
「いえ……そんなことは」
敦は気まずげに目を背けた。
「ボスの的確な指示に従っていただけです。僕は何もできていない」
「謙遜することはないよ。訓練も順調らしいじゃないか」
「それは……広津さんのご指導のおかげです。まだ虎化した後の力の制御が上手くできていません。少しでも気を緩めると、味方を襲ってしまいそうになる」
「それでも意識的に変身とその解除ができるようになったのは成長だろう。自信を持つと良い」
太宰の言葉に敦の表情が晴れることはない。
「……あの、ボス」
「何だい?」
「ボスは、なぜ……僕をポートマフィアに引き入れたのでしょうか」
「おい丁稚」
すかさず中也は口を挟んだ。それはこの組織において許されていない行為だったからだ。
『ボスの意図を図ってはならない。ただ命令を遂行せよ』
ポートマフィア首領に指示の理由を尋ねるのは不敬行為だ。
「それ以上言うな。首を刎ねられたくなかったらな」
「……失礼しました」
敦は項垂れるように頭を下げた。太宰は何も言わないまま、目の前の幼い構成員を見つめている。おそらく太宰には、敦にも中也にも、誰に対してもその件について話すつもりはないのだろう。
「本題に入ろうか敦君。君にいくつか話しておきたいことがあってね。ミミックのことだ」
太宰は椅子の背もたれに背を預けた。
「ここ数日でわかってきたことがある。彼らはどうやら海外の犯罪組織で、つい最近日本に流れてきたんだ。かつては欧州で活動していたけれど、英国の古い異能機関《時計塔の従騎士》に狙われて欧州を追い出された」
突然始まった話に敦はただ黙って耳を傾けている。ここで太宰の話を遮らないのは良い判断だ、と中也は感心した。太宰は皆と話し合うことで思考を整理するという行動をしない、周囲の人間はことごとくその思考に置いて行かれる。それが当然なのだ、そこに「待ってくれ」と無駄口を挟むような輩は、このポートマフィアでは昇進できない。
「とはいえ彼らはただの犯罪者集団ではない。彼らは軍人崩れだ。旧大戦の敗残兵さ。国の策略に使われた挙げ句、自らの身分を偽って模倣者として逃亡、軍人としての死に場所を求めている。組織の頭目は強力な異能力者であり、そして元軍人でもあるわけだ。そして、自身と同等程度の実力を持つ歴戦の部下をその経験と頭脳で率いている。その行動は常に統率され、組織的かつ戦術的。ポートマフィアとはいえ舐めてかかると痛手を負いかねない。十分に警戒することだ」
「了解しました」
敦はただ頷く。それを見、中也はちらりと横目で太宰を一瞥した。
「一つお伺いしてもよろしいでしょうか、ボス」
「なあに?」
「海外から流入してきた犯罪組織というのなら、政府が管理する案件なのでは? 軍人崩れだというのならなおさら……彼らの所属していた軍というものがあるはずです。欧州から日本に流れ着いたという点も気になるところではありますが、第一に彼らを政府筋から取り締まるのが筋ではないかと」
「普通はそうなのだけれどもね」
太宰はさも楽しげに嘲笑う。
「異能特務課の話だろう? 残念ながら彼らにとってこの状況は悪いものではない。むしろ好都合だ。だから手を出しては来ない」
「というと」
「彼らの仕事は異能力者及びその集団を管理することだ。異能力者集団同士の抗争を止めることじゃない。異能力者の存在によって一般市民に犠牲が出ないことが一番ということだね。そして現在、彼らが頭を悩ませていた犯罪組織が次々と壊滅している。ミミックの存在は特務課にとってまたとない救世主なのだよ」
なるほど、と中也は眉を潜める。内務省異能特務課がどんな組織かはよく知っているつもりだ。彼らは少数精鋭の異能力者集団で、政府の組織とはいえ公にはないことになっている。異能力という個体差があり詳細が不鮮明なものを扱う上で、法的に禁じられている所業も行うからだ。その設立事情もあって、彼らは「異能者を管理する」と見せかけてその実、異能犯罪者を積極的に取り締まるようなことはしない。むしろその異能力を利用して自分達の管理の手間を省こうとする輩だ。
龍頭抗争が、そうだった。
特務課は――奴らは、一般人すらも巻き込み始めた巨大抗争を終わらせるためにとある強力な異能力者を投入したのだ。結局その異能力者によって複雑化していた抗争は単調化したものの、奴によって死ぬはずのなかった部下が大勢死んだ事実は消えない。
「相変わらずだな」
「国というものはどこもそういうものさ。犠牲を礎に見せかけの平和を築く……利用できるものは利用し、必要がなくなったら切り捨てる。そういうものだ」
太宰は平坦な声で言った。その表情は蟻の行列を眺めるかのように平静だった。
「……そういう意味では、彼らも被害者なのだろうけれどもね」
その呟きの意味は中也にはわからない。訊いたところで答えてくれるとも思えなかった。代わりに中也はもう一つの疑問を口にする。
「敵の頭目に関しての情報は。何か新しい情報は入りましたか」
「何も」
「……俺が捕らえた捕虜を、姐さんが拷問していたはずですが」
「結局吐かなかった。中也が捕らえた捕虜も敦君を狙撃しようとしていた狙撃手も、舌を噛み切って死んだ。奥歯の毒を取り除いて手足を拘束するよう言ってあったものの、結局彼らの方が覚悟が上だったようだね。潔いやらこちらの腕の悪さが際だつやら、大したものだ」
大したものだ、とは言うものの、太宰の表情からは何かに感嘆しているような様子は見られない。相手を褒めるようなことも悼むようなこともしない、口先ばかりの男なのだ。
「けれど別筋で手に入れた情報がある。頭目の異能についてだ」