落陽異伝 -邂逅
夢小説設定
落陽異伝(らくよういでん)本作品の夢主は「終焉なき」本編と異なる”可能性”を辿った同一人物であり、英国出身です。
カタカナでの名前を推奨しております。
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[1. 漂う亡霊]
ポートマフィア、と聞けばヨコハマの人々は聞き知ったような顔をする。裏社会に浸ったことのある者ならば震え上がりもするだろう。関東を根城にする裏社会組織ならば警戒の色を露わにするに違いない。
ポートマフィア。ヨコハマという港街を礎に膨張しつつある闇。その権力は軍のように統率された構成員と戦闘に特化した異能力者の暴力によって着実に拡大していた。龍頭抗争と呼ばれる八十八夜の抗争終結後、彼らは抗争で弱り切った敵組織を奇襲、蹂躙、壊滅させ、水溜まりに落とされ続ける墨汁のように徐々にその縄張りを己らの色に染め上げていった。「いつかは関東圏、その外へも手を伸ばすのだろう」といった根拠はなくとも納得はできる噂話に怯える者もいれば、「ポートマフィアを潰せば一晩で裏社会の覇者になれる」と息巻く者もいる。光を浴びぬ法なき世界は、ポートマフィアという組織を中心に回り巡りつつあった。
——闇の支配者として着実に成長しつつある組織、その武器庫。
港湾から海沿いに十分程歩いた先、人工林に紛れるようにそれは存在する。登録番号を削ぎ落とした小型船舶、世界各地の盗難車両、爆薬精製機器、そういったこの世にあってはならないはずの代物が凜然と並んでいるそこに、ポートマフィアを始めたとした裏社会組織のための地帯があり、その一角に武器庫はあるのだった。シャッターで閉じられたその入り口には二人の警備、さらにその奥には数人の警護がおり、堅固な建築技術も相まってその突破は容易くない。ポートマフィア上層部の人間にのみ伝えられている暗証番号、銃火器の通らぬ壁、爆風に圧さぬ柱。いかな外部組織も彼らの要たる武器を奪い取ることはできない。
そう、思われていた。
「撃て! 撃てェ!」
夜の闇の中、指示が上がる。緊迫したそれは天井の高い倉庫の中に綺麗に木霊した。続けて銃声、夜の静寂を破く発砲音。それらと共に暗闇の中に光が点滅する。
発砲を向けられた側はというと躊躇うことなく倉庫内へと突撃してきた。その数、四。それが三組。それらはそれぞれ方陣を組み、さらに鶴翼の形に陣形を為していた。その規律ある足運びで列を乱すことなく敵陣に突っ込んでいく。倉庫のシャッターは既に開けられ、月の光が倉庫内に差し込んでいた。警備の人間の誰にも気付かれることなく内部に潜入され、開けられたのだ。シャッターの動作音に気付いた時には既に戦闘が始まっていた。
「くそ……!」
ポートマフィアの黒服の男は銃を撃ち鳴らしながら後退するしかない。けれどこちらには統率は既になく、数少ない仲間が撃ち抜かれていくばかり。武器庫の見張りができる奇襲への対抗策など、常と変わらず敵へ威嚇し続けるしかない。
音もなく現れた相手は奇妙なまでに統率されていた。ポートマフィアも軍と相違ないほどには規律ある組織となっている。しかしそれでも、対峙するこちらが身を竦ませてしまうほどに、敵は軍隊じみていた。彼らの全身はボロの外套で覆われ、擦り切れた頭陀袋から僅かに見える髪は手入れのないまま縮れ、腐臭に似た不潔な臭いを纏っている。けれどその動きには意思があり、技術があり、経験があった。ただの浮浪者ではない。どこからか行くあてもなく流れてきた傭兵集団とも違う。
これは、何者だ。
鶴翼の最先頭にいた男が短機関銃から片手を離し、何かを指示するように肘から上を上げた。手の先で暗号じみた指折りを数度行う。最後に振り下ろされた腕の動きと同時に、後方にいた二組の方陣はそれぞれ左右へ散った。残った一組はやはり倉庫の奥へ奥へと突き進んでくる。その手に改めて銃器が構えられ、そして光が灯る。
銃声、それに応えるかのような悲鳴。
左右で銃器を撃ち鳴らしていたポートマフィアの黒服達が上げる断末魔であった。と同時に視界の片隅の視界で倉庫の棚が蠢く。武器が持ち出されようとしていた。ニ人で箱を運び出し、残り二人が周囲へ銃で牽制することでポートマフィア構成員を近づけまいとしている。倉庫の外にはトラックが横付けされ、待機していたらしいボロ布を纏った男達が運び込まれてくる武器を手際良くトラックに積み込んでいた。計画的な動きであることは誰の目から見ても明らかだ。
「くそ……!」
武器が奪われては己らの警備の意味がない。けれど敵が武器の近くにいる限り、下手に撃てば火薬に引火し倉庫が爆発する。撃つか否か、誰かの指示を仰ごうと男は周囲を見たが、己以外の警備員は全員死していた。床に血溜まりが広がり、倉庫内を反射して辿り着いた微かな月光がそれをぬらりと照らす。
ハッと前方を見た。倉庫口からの月光を背後に背負った四人の襲撃者が、武器を持ち出す仲間を庇うように男の前に立ち塞がり、銃を構えていた。慌てて銃を向け乱射、しかし手元のそれは数発放った後カチカチと空回りするような幼稚な音を立てる。弾切れだった。
「ひ……」
腰が抜け、銃が手から落ちる。対して敵は銃口を迷いなく男へと向けた。
死ぬのだと、男は知った。それは倉庫内に敵の侵入を許した時から定められた、抗えぬ運命だと理解した。
「こんばんは、良い月夜ですね」
——その場に似合わぬ明るい声が倉庫を木霊するまでは。
男を囲んでいた四人が背後を見る。床に座り込んだ男にもまた、その光景は見えた。
月明かり。倉庫のシャッターで四角く切り取られた白光の中心に”それ”はいる。直線的な黒いパンツに胴を締める黒のベスト。白いブラウスの胸元には赤いリボンタイが揺れている。束ねられていない髪は背の中程の長さで、月光に照らされ薄まり、この世のものではないかのように澄んでいた。左腰に拳銃ホルダーを提げ、太股に固定している。
ボロを纏った敵の一味ではない。そして――武器を運び出していたはずの襲撃者のことごとくがその足元に倒れ伏しているのを見、その場にいる誰もが事態を理解した。
「……!」
無言のまま襲撃者の一人がそちらへ銃を向ける。発砲、数発の銃声が倉庫を木霊した。しかし”それ”は気にした風もなく倉庫の奥へと歩み寄ってくる。
「十四人か。悪くはないかな」
近付いてくる”それ”へと襲撃者は再び発砲。近距離からの銃撃、けれど”それ”は軽く身を引いて――銃弾を避けた。
長髪の間に空隙が生まれる。そこを銃弾が通っていったのは明らかだった。
「な……!」
襲撃者が驚愕の声を上げる。その声はさらに何かを言おうとした。
けれど、彼は何も言わなかった。
誰もが無言のまま、立ち尽くした。そして誰もが——唯一生き残ったポートマフィアの構成員を除いた全員が、手から銃器を取り落とした。
騒がしい金属の落下音に、人間が膝をつき倒れ伏すドサドサという音が重なる。男の目の前、その足元に襲撃者の全員が倒れたのだった。ピクリとも動く気配はない。胸や肩の動きもない。死んだのだと直感的に理解する。
銃声もなく、断末魔もなく、死んだのだと。
「……あ」
男は突然開けた視界を眩しげに眺めた。遮るもののなくなったそこに、四角く切り取られた月光とその中央に立つ一人の人影だけが映っている。
その輝かんばかりに発光している眼差しを見、男は震えた。今の今まで銃口を向けられていたというのに、今初めて男は震えていた。
味方であるはずの人影の眼差しに、震えていた。
そこにあったのは、人ならざる目。複数の花弁を擁した花の紋様が描かれた赤の目だ。目というよりも丸く削られた鉱物だろうか、透明度は低く無機質さを思わせる。血の色というよりは薔薇の色と言った方が相応しいような、おぞましいながらも目を離せない心地がある。――これほどじっくりと観察できるほどに、その眼差しは月光を背に負いながらも暗闇にはっきりと浮かび上がっていた。
見入ってはいけない、と直感する。目を逸らしてはいけない、と直感する。
出会ってはいけない、と直感する。
これは――人の姿をした化け物だ。
「……お、お前は」
けれどその人外めいた眼差しは瞬き一つの後綺麗に消え去る。代わりにそこにあったのは、平常な人間の目だった。
丸い瞳孔、青い虹彩。空とも海とも喩え難い、深緑を差し込んだ複雑な色合い。
「……お前は、一体……」
「来るのが遅くなってしまってすみません」
死体を踏み越えて男の前に来、しゃがみ込んで男と目線を合わせてから、にこりと”それ”は笑った。そこで初めて、男は気付いた。
「……女の、子供……」
化け物などという呼び方が一切似合わないような、幼さの残る顔立ちの少女だった。月に照らされたその肌は白く、髪は金髪というより亜麻色と呼ぶ方が正しい。十五かそこらだろう。装飾のないパンツとベストが彼女を大人びて見せていたが、それに惑わされなければ彼女がこの闇の世界に相応しくないことは容易に知れる。
そして同様に、数多の死体を前にしても可愛らしい笑顔を浮かべているこの状況から、彼女がこちら側の人間であることが知れる。
「最近この街に来たんです」
彼女は「道に迷っちゃって」と困ったように眉を下げる。
「援軍要請を受けて一緒に来ていた人達は皆殺されちゃったみたいで……わたし一人では走り出したトラックまではさすがに止められませんでした。申し訳ございません」
「いや……助けに来てくれただけでも、十分だ」
「いえ」
少女は笑った。
「あなたを助けるつもりは毛頭ありませんから」
——彼女が何を言ったのかを聞き取ることはできなかった。
数発の銃声が至近距離から鳴らされたからだ。
「……え?」
男は胸元を見た。そこに突きつけられた短機関銃を見、己の胴に空いたいくつもの小さな穴から噴き出す赤い色を見、そして銃身を辿ってそれを構えた少女の顔を見た。
引き金から指を離した彼女は、微笑んでいた。穏やかに、にこやかに、幼さの残る柔らかな頬で、形の良い笑みを浮かべていた。平和を愛する乙女のように、笑っていた。
男は混乱の末に思う。
——天使、なのだろうか、彼女は。
「おやすみなさい、先輩」
その声すらも優しく美しい。それを聞きながら男は胸に突きつけられていた短機関銃を掴み、それを支えにしながら体から力が抜けていくのを止めようとした。けれどそれ以上のことはできず、短機関銃もろとも床に倒れ伏す。
床の冷たさすら感じない。視界が暗く閉じていく。
「あなたの死が幸福であることを祈っています」
その言葉の意味を理解することなく、男は永遠の眠りへと引き摺り込まれていった。