落陽異伝 -邂逅
夢小説設定
落陽異伝(らくよういでん)本作品の夢主は「終焉なき」本編と異なる”可能性”を辿った同一人物であり、英国出身です。
カタカナでの名前を推奨しております。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
***
美術館の前庭。それは美術品を保存する建物そのものを美術品と化す装置だ。広く敷き詰められた白い石畳、格子状の通路の間を埋める丈の揃った緑の芝生。来訪者を導くように直線上に伸びた石畳の最奥にシンメトリーの建築物が鎮座し、整然とした箱型の両翼を左右にどこまでも伸ばしている。定規で描かれたような美の象徴。周囲に対して背の低いその白亜の建物は、上空の青空さえ己の美の装飾品であるかのように佇んでいた。
その眼前に銃弾が飛び交う。
灰色のボロを纏ったミミック兵と、黒い背広を纏ったマフィア構成員による銃撃戦が繰り広げられているのだった。広場の円柱は銃弾によって直線性を既に失い、銃弾により側面が削られ黒く焦げている。白き美を黒く汚す戦いが、そこにはあった。
ミミック兵は九人、対してマフィア構成員は四人。数だけを見ればマフィアの方が圧倒的に不利である。ミミック兵の自動小銃は絶えず銃声を鳴らし、それを軍歌としているかのように隊列を為した兵士達は揃って前進していく。同型の自動小銃によって応射するマフィア構成員達は後退の一途を辿っていた。一人が声を出して腕を振り上げる。何かの指示を出したらしい。それを見た四人の構成員達は足並みを揃えて更に後退を続けていく。その背の先は美術館内のエントランスホールだ。
マフィア構成員を追うようにミミック兵は前進していく。そこに躊躇はなかった。興奮もなかった。あるのはただ、銃の引き金を引き続けるという意志だけだ。
しかし、ミミック兵がエントランスホールへ立ち入った、その瞬間。
――銃声の音が、減った。
白い大きなものが先頭にいたミミック兵へと降りかかる。美術館内の建材を思わせるそれはしかし、大きく顎を振り上げて咥えたものを引きちぎった。
腕が小銃ごと上空に飛び、白く発光する天井へと赤を塗る。
「な……!」
ミミック兵達の射撃が一瞬途絶えた。
彼らの目の前に現れたのは、白い獣だった。自動車ほどの大きさの白虎だ。その口元は赤く汚れてはいるものの、全身の毛は白く、美術館の壁から抜け出てきたかのように錯覚させられる。
白き獣。
美の象徴たる建築物に降り立った、守護獣。
戦闘慣れしたミミック兵の反応は素早かった。小銃の狙いをすぐさま目の前の虎へと変え、引き金を引く。再び美術館の中に銃声の雨音が降り積もる。
虎は吠えることなくその場から跳躍した。その皮膚に到達した銃弾は、摩擦による火花を散らしながら全て弾かれていく。銃によって戦場を支配してきた銃の使い手達がその事実を呑み込むまでに、随分と時間を要した。
その時間を、虎は悠長に待ちはしない。
虎は跳躍した。そして腕を振るい、爪を立て、牙を剥いた。その動き一つ一つは緩慢だったものの、一つ一つが天災のように強大だった。
まず、一人の兵士の頭が吹き飛んだ。次に誰かの腕が肩ごと隣の兵士へとぶつかった。下半身が一瞬で消えた兵士もいた。切開手術の失敗作のようになった兵士もいた。それは戦いの体を成さず、銃弾の通らない巨獣に対して銃器しか持ち得ない人間には抗うすべがなかった。
虐殺。
そこにあったのは、静寂たる美術品を飾る建物のエントランスホールには相応しくない、猛々しい演舞だ。
「後退!」
生き残ったミミック兵が叫び、美術館の外へと下がっていく。虎はそれをただ眺めた。動かない虎の思考を読んでか、マフィア構成員が小銃を構えながらミミック兵を追っていく。虎が半数以上を倒したのだ、ミミック兵に士気はなく、マフィアはそれへとさらに銃火を浴びせるだけで良い。
しかし四人のマフィア構成員は日の下に出た途端、勝利とはほど遠い光景を目の当たりにする。
「これは……」
構成員の一人が呆然と声を出す。
美術館の広大な前庭には数多のミミック兵がいた。先程のミミック兵だけではない。増援がいたのだ。とてもマフィア四人で敵う数ではない。しかし、その動きがおかしかった。
そこにいた誰も、武器を手にしていなかった。あれほど銃声が鳴り続けていたというのに、今は耳鳴りさえするほどに静まり返っている。今し方まで持っていた武器を地面に置く者、両手を挙げる者、様々だがその行動には一つの意図があった。
――降伏。
数で明らかに勝っているというのに、彼らは一方的に降伏してきたのだった。
呆然とするポートマフィア構成員を前に、ただ一人、歩み寄ってくる男がいる。背の高い男だった。両手を掲げ、ゆっくりと、しかし足音一つ立てず、近付いて来る。青ざめた銀灰色の服、そして髪。他のミミック兵と身なりが似通っているが、軍服の胸元には様々な色合いの戦闘勲章が飾られていた。彼らを束ねる側の人間であることは明らかだった。
マフィア構成員達は戸惑ったまま、しかし近付いて来るそれへと銃口を向ける。しかし撃つことも躊躇われる緊張感のなさが、魂のない抜け殻を思わせる覇気のなさが、その男にはあった。
まるで亡霊のような、底知れない不気味さがこの男にはあった。
「銃弾の効かぬ白き獣の異能者というのは……貴君のことか」
風の唸り声のようにどこからともなく聞こえてくる声。しかし男の鼠色の眼は四人のマフィア構成員を見ていなかった。その背後、暗い美術館の中に佇むそれへと話しかけている。そこにいた人影はびくりと肩を竦ませた。人の姿を取り戻した彼は――敦は、呼ばれるがまま日差しの下へと歩み出る。
白い頭髪、首元を覆う黒い外套が日の下に晒された。
「……あなた、は」
口をほとんど動かさず、敦は問う。男もまた、顔の動きを最小限にするかのように張りのない声で答えた。
「指揮官。……ミミックの長だ」
その声に反応したのは黒背広の男達だった。躊躇いを捨て、男へと駆け寄って銃口を突きつける。ただ一人、敦だけはその場に立ち尽くしていた。
「……名を、お伺いしても良いですか」
敦の声は静かで聞き取りにくい。けれどミミックの長を名乗った男は平然とその小さな声に答えた。
「おれの名はジイド。アンドレ・ジイドだ」
「……なぜ、長ともあろう方が、降伏を」
「貴君と手合わせを願いに来た」
「手合わせ……?」
「そうだ」
ジイドは両手を掲げたまま、単調な声音のまま続ける。
「我らの魂を救済する、真の敵を探していた。貴君ならばと思ったが……」
「魂だとか、救済だとか……僕にはわかりません」
敦の声はやはり小さい。そしてその拳は、外套を強く握り締めていた。
「僕は……僕は、そういったことを望まれるような人間じゃないんです」
「虎の異能者よ」
ジイドが敦へと語りかける。その声は静かでありながらも、どこか沈んでいた。
まるで、希望のものをまた得損なったかのように。
「貴君は……己が何者か、わかっていないのか」
「僕は僕です。力が弱くて、気持ちも弱くて、いつも助けられてばかりの……虎に変身できるだけの、ただの子供です」
「敵を牙で屠っていた、あれは」
「あれは僕じゃない。僕は、あんな……あんなこと、できません」
敦は敵の長を前に立ち竦んでいた。握り締めた両手は震え、血に汚れたファーに埋めた口元は震えている。
敦は、怯えていた。
「あなたは僕達の、ボスの敵です。けど、ボスはあなたから逃げろと言った。ボスが言うからには、僕にはあなたは倒せない。ボスは僕に言いました。この世界の『敗北』は『死』を意味するのだと。死にたくないのならば勝たなくてはいけないのだと。僕は……死ぬのが、怖い」
それは素直な言葉だった。敦の本心だった。そこにはただ、他人の血に汚れながらも敵に怯える、一人の幼い子供がいるだけだった。
ジイドは鼠色の眼差しでそれを見つめていた。地の下に潜む何かを思わせるように、その色のない目に何かを宿しながら敦を見つめていた。
「……惜しいな」
低く呟く。
「貴君はまだ、我々の魂を原罪から解き放つことはできない。この国でそれに相応しい異能者に会えると予感していたが……貴君らの中にはいないらしい」
ならば、とその乾いた唇は続けた。
「その異能者を――探し出すまで」
それは予言だった。このまま放置し続けていれば、きっと彼らはこの街を、国を荒らし、壊し、晒し、その目的のものを瓦礫の下から探し出そうとするだろう――そう否応なく予感させる響きが、その言葉にはあった。
四人のマフィア構成員達はその響きに恐怖した。故郷を脅かされるという戦慄が彼らを突き動かした。
四人のうち一人が構えていた銃の引き金に指をかける。途端、ジイドは軍服の下から拳銃を引き抜いていた。グリップの底で叩くように構成員の銃身を逸らす。思わぬ衝撃に銃が振動し、銃口が逸らされたまま指が引き金を引いた。暴発、銃弾がマフィアの一人の胸を貫き、他のマフィアの腕をも貫く。同じく引き金に指をかけていたその手元から銃弾が発射される。狙いも定められずばらまかれた銃弾が、周囲にいたマフィア構成員達へと次々に的中した。
まるで導かれるように、四人のマフィア構成員達は互いを撃ち合った。
倒れようとする構成員の一人の手から銃が落ちかける。その引き金に指が引っかかり、銃弾が発される。それらは迷いなく――そう予定されていたかのように――敦へと向かった。
「……ッ!」
敦は反射的に右腕を虎化させ、大きくそれを振って銃弾を弾いた。大きく左上から右下へと切り下げたその動きによって、ジイドの姿が虎の腕に隠れて一瞬見えなくなる。その一瞬の間にジイドは敦へと駆け込んでいた。四人の屍を跨ぎ、手が届くほどの距離に詰め寄る。
振り下ろした腕の影から現れた男の姿に敦は驚愕した。仰け反って距離を稼ぎつつ、爪でその顔を裂こうとする。しかしそれをジイドは首を振って避け、腕の動きに合わせて銃口を敦の眼前に向けた。
発砲。
しかし敦は至近距離から発射されたそれを牙で食い止める。ギュルルと高速回転する弾丸が敦の牙を削らんとする。ジイドの強襲を、敦が防いだように見えた。
しかし。
「……ッ、うぐ……!」
敦が呻く。顔に痛みへの悲鳴が表れる。そのまま、敦は腰から床へと倒れ込んだ。
ジイドの左手に握られた旧式の拳銃が、敦の脇腹を撃っていた。肋骨の下から右肩へ向けて、突き上げるような角度。弾丸が確実に骨や肺、心臓を破き壊し、痛みを与え身体能力の低下を誘発する。
虎には銃弾が通らない。しかし敦は、腕のみを虎化していた。虎化していない箇所は治りは人より早いものの、銃弾は通る。
――虎に化けていない状態で弾丸を受ければ、銃弾は通りはする。
それをジイドは、敦が眼前に迫った弾丸を虎化させた腕で弾いたことによって見抜いていた。虎化しなくとも銃弾を弾くのであれば、その行動は必要ない。
そしてもう一つ、ジイドは気付いている。
「貴君の虎への変身は何度もできるものではないようだな」
右手の銃を敦の目へと向け、ジイドはやはり不鮮明な声で告げた。
「未だ未熟な子猫か……死を恐れる幼子よ、痛みも恐怖もない安らぎを与えてやろう。おれ達が望んでいるものだ」
「……ッう、あ……」
胸を抱えて蹲りながら、敦はそれを見上げる。体内を銃弾が回転しながら穴をこじ開けていった痛みと、銃弾が肉を突き破った衝撃、銃弾一つで生み出されたそれらの苦痛に呻きながら、目の前の――眼球、そしてその奥にある脳を狙う鉄の筒を見る。
「……んちょう、せん、せ」
その眼差しに恐怖に似た戦慄が宿る。大きく見開かれたそれには、ジイドの姿は映っていない。銃口だけが、その銃口が放つ威圧感に似た人影だけが、映っている。
「ごめ……なさ……ゆる……て……」
それは謝罪ではなかった。
――記憶の中にいる誰かへの平伏だった。
ジイドは何かを思うように瞬きを一度した。そしてそのまま、引き金に指をかけ、撃った。
撃たなかった。
撃つ直前にジイドが弾かれたように回避動作を取った。右腕を引き、腰を落とすように重心を下げながら右半身を捻る。
背後から狙われた心臓の位置をずらすような動き――けれどその回避行動を取ったジイドの動きをさらに読んだかのように、飛来してきた銃弾はジイドの手から拳銃を弾き飛ばした。