落陽異伝 -邂逅
夢小説設定
落陽異伝(らくよういでん)本作品の夢主は「終焉なき」本編と異なる”可能性”を辿った同一人物であり、英国出身です。
カタカナでの名前を推奨しております。
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エレベーターで最上階へ行き、見張りの立つその奥の両開きの扉へ向かう。首領となる前は数度使ったこの廊下も扉も、首領となってからはほとんど歩くことはなくなってしまった。
「銀ちゃん」
扉に手をかける前、太宰は背後に控えていた秘書役の少女の名を呼んだ。
「外したまえ」
「……ですが」
その見た目に似合う可愛らしい声が微かに聞こえてくる。漆黒の髪に漆黒の背広を纏った彼女は、その細身の体から窺えるように貧しい生まれだ。それなりの服と家を与えればかなりの美人になっていただろう。けれど銀はそれを望まなかった。
半年前、月の浮かぶ夜。
無法者から怪我を負わされ動けなくなっていた少女が黒衣の男に望んだものは、平穏な暮らしでもなく、平穏な死でもなく。
「――安心したまえよ」
背後を見ることなく、太宰は告げる。
「君のお兄さんはまだ現れない。……五大幹部会は疲れただろう? この抗争が終われば、君にはさらに長い時間私のそばにいてもらうことになる。今のうちに休むと良い」
銀は無言のまま躊躇っていた。しかしそれを命令と受け取ったのか、静かに頭を下げて踵を返し、エレベーターへと戻っていく。
一人きりになった太宰は、ようやく目の前の扉に手をかけた。両開きのそれを開き、見慣れきった黒い部屋へと足を踏み入れる。
――執務室を横断しながら、半年前に見かけた黒い少年のことを思い出す。
着ている服を自在に操る異能を見事に使いこなした少年だった。育った環境の悪さからか体は細かったものの、その異能は素晴らしかった。
彼が意志なく殺戮を求める獣でなければ、その破壊に何かしらの目的と願いがあったのなら、彼は――芥川は、比類なき強者となってこの街を、国を、蹂躙していただろう。消すべきものを消し守るべきものを守る、ポートマフィアの片腕となって。
それを太宰が与えることはできた。しかしそれでは駄目なのだ。理由はいくつかある。衣刃を器用に操る芥川ではなく虎と化す己を制御できていなかった敦を選んだ理由だ。
変える必要があった。
とある基準とは違うものを選び、それと異なる結末を望む必要が。
それが”計画”の第一段階だ。
けれど、と太宰は執務机の横で立ち止まる。手を机の表面に添え、微動だにせず佇む。
――奇妙な点が、一つあった。
”記憶にない人間”が一人、計画の中枢に顔を出している。
「ボス」
扉の向こうから声が聞こえてくる。敦と同じほどの年齢を思わせる、幼く通りの良い少女の声だ。
「召集に従い参上しました」
「……入りたまえ」
「失礼します」
ガチャ、と扉の中央に亀裂が入る。それは徐々に広がり、その奥にいた人影の姿を露わにしていく。
黒いパンツに黒いベスト、その左腰に備わった最新式の拳銃。白いブラウスと白い肌に映える赤いリボンタイ。その女性性を象徴するような緩やかな亜麻色の長髪。
部屋の黒い床を革靴が踏む。カツリという靴音が数度発され、そして扉が閉められる。
「お初にお目にかかります、ボス」
閉め切られた扉を背に、彼女は片膝を床についた。胸に手を当て、頭を垂れる。
「クリス・マーロウと申します。この度はご拝謁の機会をいただき感謝申し上げます。ボスの配下に下って日の浅い下級構成員ではありますが、日々精進しボスのお役に立ってみせましょう」
「顔を上げて良いよ」
つらつらと伸べられた前口上を切り、そちらへと向き直って指示を出す。彼女は「はい」と簡潔に返事をして立ち上がった。目が合う。
青。中也のものとは違う、全てを映し出す水面のような。
太宰は外套に潜ませていたものを取り出した。安全装置を外し、右手のひらをグリップに密着させ、その上部に備えられた引き金へと人差し指をかける。
この部屋と同じ色をした拳銃を外套の下から取り出し、太宰は腕を水平に持ち上げ真っ直ぐに伸ばした。その銃口を扉の前の碧眼へと向ける。
「……ボス?」
信用していた相手に銃口を向けられたかのような声を出して、彼女は瞬き一つなく太宰を見つめた。その青が呆然と見開かれていく。徐々に状況を理解し、そしてようやく驚愕と焦燥という感情が彼女の体を走り始める。その様子の全てを照準器越しに見――太宰は引き金を引いた。
「何をッ……!」
――銃声。
一発のそれは黒い部屋に木霊することなく吸い込まれ消えていく。
「……初めまして、だね」
銃口をそのままに、ようやく太宰は口を開いた。硝煙が立ち昇り、宙に消え、鼻の奥にツンとした独特の臭いを運んでくる。
「”私”としても君は初めましてだ。君はどこにもいなかった。探偵社にもポートマフィアにも、ギルドにも鼠にも。存在していなかったはずなんだ。少なくとも外の世界の私の記憶には、君はいなかった」
銃口の先で、少女は項垂れたまま、よろりと足をふらつかせた。乱れた髪を掻き上げるように頭に手を遣りつつ、彼女の両目は太宰を見据えてくる。
「……突然、何をされるかと思えば」
その目の色は――赤。血というよりも紅に近い、花を思わせる華やかな色。その中で揺蕩うようにふわりと薔薇が咲いている。造形物のような眼球は、彼女が異端であることを示していた。
その両目をそのままに、少女は眩暈を堪えるように顔をひそめて額に手を当てている。はらり、と亜麻色の髪が数本、床に落ちていく。太宰の放った銃弾に撃たれ千切られた髪だ。
太宰の、その眉間を狙ったはずの銃弾に。
「理由もなく殺されるわけにはいかなかったので……お許し下さい」
「理由があろうとなかろうと私が死ねと命じれば死ぬ、それがポートマフィアの人間のすることだ」
「死ねと命じられていませんでした。それに、あなたは理由なく部下を殺すことはしない」
「知っているかのように言ってくれるね」
「知ってますから」
「へえ」
太宰は再び引き金を引いた。銃声に紛れて甲高い金属音が鳴り響く。紅葉の異能【金色夜叉】が銃弾を弾いた時のような音だった。
「……降ろしてください」
紅眼の少女は表情を険しくする。その左手には硝煙の立ち上る銃が握られていた。目にも止まらぬ早撃ち。しかし太宰を向いたそれは、太宰を撃つために構えられたものではない。
太宰は銃を向けたまま視線だけを下に下ろした。二人の間の黒い床に、一点、照明を僅かに受けて輝く金属片がある。先端を潰し合い一つの塊になった二発の銃弾だった。
「……見えるのかい? 銃弾が、その軌道が。見えるだけじゃないね、その速さに順応し銃を取り出して撃ち返すほどの瞬発力……身体強化の異能にしては少し妙だ」
「使用回数の限界がある異能なんです、これ以上使わせないでください」
少女の声には焦りが現れている。銃弾を視認し撃ち返せるのならば、太宰を制圧し撃ち殺すことも可能だろう。だというのに彼女は脂汗を額に浮かせながら懇願してくる。
「降ろしてください。お願いします、ボス」
「……君が先に降ろせ」
「わかりました」
少女はすぐさま銃を降ろした。それどころか両膝をついて銃を床に置き、両手を掲げてみせる。それをしばらく見つめ、太宰は銃口を降ろした。机の上にそれを置き、ゆっくりと手を離す。
その始終を見つめていた少女は数秒後、瞬きの後に目の色を青に戻した。
「……あなたならわかっていると思いますが」
少女はすぐに話し始める。
「わたしは介入者と呼ばれるものです。本来は存在せず、ある目的のために世界に放り込まれます」
「目的とは」
少女は黙り込んだ。それは口を閉ざして回答を拒んだわけではなく、それを言うのに気力がいるからのようだった。おそらくそれは、太宰が予想しているものと同じだ。
理解するまでが為し難い、あってはならない運命。
「……未来の改変」
――介入者、クリス・マーロウ。
彼女はこの世界の外部から投じられた異物だ。