落陽異伝 -邂逅
夢小説設定
落陽異伝(らくよういでん)本作品の夢主は「終焉なき」本編と異なる”可能性”を辿った同一人物であり、英国出身です。
カタカナでの名前を推奨しております。
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太宰は一人、執務室にいた。銀もそばに置いていない、完全なる孤独がこの黒い部屋にはある。時刻はおよそ夜。およそ、というのは、この部屋で時刻というものは大して役に立たないからだ。
黒。己と親しい闇の色。そうでなくてはならないもの。時の流れから切り離された空間、半年間何も変わらない景色、空気――ポートマフィアを束ねる者を閉じ込める、檻。
かつての首領は言っていた。組織の長とは、組織の奴隷であると。組織のために思考し、部下を指揮し、時に部下を切り捨てる、そういう存在なのだと。確かに先代首領――森はそうだった。彼のすることは全て組織への奉仕だった。自分はそれを、隣でずっと見てきた。
ずっと。
であれば、今この胸の中に宿る疑問への答えも、口に出す必要もないほどに答えは明確だ。
それでも――それでも、口に出して言いたかったのは。
「……ねえ、森さん」
誰かに、聞いて欲しかったからかもしれない。
「私は……ボスとして失格なのだろうね」
そんなこと、わかっている、承知している。その上で、選んでいる。
この計画を、思いを、意志を、願いを。
――出会ってもいない親友のために。
彼は元気にしているだろうか。そんな他愛もない疑問に頬が緩む。彼に会ったのなら、まずは何を報告しようか。最年少幹部から最年少首領へと転身した自分を、彼は何と言ってくれるのだろう。凄いな、とあの単調な声は言うのだろうか。それとも、悲しげな顔をしてくれるのだろうか。
どうしてそちら側に行ったんだ、と。
人を救う側にならなかったのか、と。
椅子から立ち上がり、太宰はふらりと机から離れた。自分がこの部屋の主になってから一度もその機能を使っていない全面ガラス窓へ――もはや漆黒の壁と呼んでも差し支えないだろう――歩み寄り、向かい合う。背後に光源があったのなら見えるであろう自分の姿をその漆黒の中に探した。
手を伸ばす、ガラスに自分の手が触れ、指の腹にひやりとした温度が伝わってくる。指紋一つなかったそのガラスに今汚れを付けたというのに、その痕跡すらも太宰の目には映らなかった。
何も、見えなかった。
「……ああ」
声が漏れた。それは自分の喉から、腹から、内部の奥底からぽこりと湧き出てきた気泡だった。酸化しきった世界、新鮮な空気などない水中のような空間、その中にふわりと生まれ、心地良い空気と光とを求めてゆるゆると上昇していく気泡だ。その先に水面があると、光があると、誰が言ったのか。太宰の疑問など聞く様子もなく、気泡は太宰を追い抜いて太宰の手の届かない先へと小さく遠くなっていく。
手を伸ばそうと思わないのは、届かないと知っているからだ。届いたとしてもこの不完全な手からぬるりと逃げていくと知っているからだ。
この隙間だらけの手は、何も掴むことはできない。
ぺたりと手のひら全部を窓に貼り付けた。それへと縋るように額を押しつける。包帯越しに冷たさが脳へ浸食してくる。このまま、凍り付かせてくれたのなら。脳が障害を起こして、この陳腐で出来損ないの、何も見えず何も掴めない体の機能全てを停止させてくれたのなら。
額をつけたまま、ずるりとしゃがむ。生理的な手の脂が中途半端に太宰がしゃがみ込むのを食い止めようとする。それでも手一つで落下を止められるわけもなく、太宰は床へと座り込んだ。
「……ああ」
額をガラス面に張り付ける。両の手のひらをガラス面に張り付ける。何がしたいのか自分でもわからない。それでも、それでも。
顔を上げる。そこにはきっと、包帯を頭部に巻いた男が一人、泣きそうな顔で虚空を見つめていることだろう。自分はそれを、呆然と見つめていたのだろう。けれど実際に見えているのは黒としか呼びようもない闇色だった。
「……織田作」
名を呼ぶ。それはこの世界の誰のものでもない、誰かの呼び名だった。
「……君は、幸せでいるだろうか」
その問いに答える声もない。
太宰は床に座ったまま、ガラスに縋り付いていた。今の自分は何と惨めな様子なことだろうと想像する。想像して、けれどその事実を見ることはできないことを自嘲する。
光のないこの世界、この人生、この選択。光を光のまま守るための行動、この黒い部屋。だというのに。
――ガラス窓の側で蹲る少年を、漆黒の闇だけが反射もせず照らしもせず、包んでいる。