第2幕-続
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――違和感。
物語の登場人物を演じた人間に、その言い回しは奇妙だ。まるで、ではなく、まさにそれを演じていたのだから。
何か言い間違ったのかもしれない。その紫を帯びた目に、クリスは完璧な笑みを返す。見たところ彼もまた、この国の人間ではなさそうだ。言葉の選択を間違ったのかもしれない。
「ありがとうございます」
「素敵な時間をありがとうございました。――それでは、また」
通り過ぎるようにクリスの前を通り、男が去っていく。その背中を見送る。気付けば、腕に爪を立てていた。
寒気、そして怖気。
あれは一体何だったのか。
「……また?」
初めて会った見知らぬ男は「それでは、また」と言った。まるでいつか再会することが決まっているかのような言葉。
軽く頭を振って思考を掻き消す。あれはただの通行人だ、気にするほどのものではない。そう思い込もうとした。そうでもしないと、あの冷えきった紫の双眸を忘れられそうになかった。
強く目を閉じる。その耳が一つの声を拾ったのは、しばらくしてからだった。
「クリス」
呼ばれ、目を開ける。視線を移した先にその人はいた。金糸の髪が僅かに乱れている。息を切らしつつも、眼鏡の奥の眼差しはクリスをしっかりと捉えていて。
「国木田さん」
何事もなかったかのように名を呼び返す。クリスへと歩み寄りつつ、国木田は眼鏡に触れながら「すまない」と眉間にしわを寄せた。
「打ち合わせが長引いてしまった」
「問題ありませんよ。むしろいつもすみません」
「仕事だからな。……午後六時二十一分ちょうど、か」
手帳を広げ時刻を書き込んだ後、国木田はパタンとそれを閉じる。
「二十一分の遅れだ。すまない」
「わたしは全く気にしませんよ。もう帰るだけですから」
「こちらにとっては帰宅時の護衛という任務、つまり仕事だ、きっちりしなければならん」
「たくさんお支払いしましたからね」
「……現実的なことを言うな」
「事実ですから」
にこにこと言えば、国木田はさらに眉間のしわを深くして大きくため息をついた。その様子が面白くてついつい「お仕事頑張ってくださいね」などと言ってしまう。頑張らせているのはクリス自身であるにも関わらず、だ。
二人並んで、帰宅の途につく。クリスは国木田を見上げた。
「打ち合わせというのは?」
「先日解決した爆破未遂事件の報告だ。他にも官僚護衛依頼の任務について、後は先月逮捕された殺人犯の調書提出だな」
「いっぱいありますね……」
「ギルドとの戦いが終わった後だからと皆気が抜けているのが許せん。珍しく社内に姿がないと思ったら、全員が一階の喫茶にたむろしていた時もある」
「ま、まあ……皆さん頑張ってましたし」
ギルドとの戦い。それは探偵社にとって怒涛の毎日だったのだろう。凍結された業務も多いと聞く。元構成員としては少しばかり申し訳なさもないわけではないが。
「……終わったんですもんね、ギルドとの戦い」
思い出すのはやはりあのどうしようもなく人間性に問題のある男だ。それを望んでいたはずなのに、全てが終わった今になって、彼のことをよく思い出す。
「すごく長い時間をかけていた気もします。初めて国木田さん達と会った時のことが大昔に思えますよ」
誤魔化すように声音を明るくしたのは、国木田が気遣うような様子を見せたからだ。彼らにとって自分達とこの街の命運がかかっていた。フィッツジェラルドは倒されるべき悪役だったのだ、気遣わせてはいけない。
「初めに会ったの、川辺でしたね。太宰さんが寝ていて」
「ああ、そうだった」
「今思えば凄い偶然ですよね。わたしがあの時あの道を通らなかったら、太宰さんを見つけることもなくて、国木田さんに会うこともなくて、こうして一緒にいることもなくて……あ、ちなみにあの最初の時は本当に偶然ですよ? 仕掛けたわけじゃないですからね?」
あの時は、偶然出会っただけの金づるでしかない探偵社とここまで親しくなるなど考えてもいなかった。ギルドと相見えることになるとも思わなかったし、自分の隠さなければいけない身の上を国木田達に知られるとも思っていなかった。
その上で、今もこうして平然と一般市民を装えるなどと、夢にも思わなかった。
短い夢だとわかっていても、やはり心は喜びに浮き立つ。
「……わたし、あの時国木田さん達に出会えて良かったんだと思います」
「……クリス」
「だって」
踊るように数歩前に出、くるりと踵を返し振り返る。
国木田が目を丸くしてクリスを見つめている。その見慣れてしまった眼差しに、笑む。
「とても嬉しいんです。あなた方はわたしを、普通の人間として見てくれているから」
身の内に化け物を抱えた自分は、やはり化け物なのだろう。けれど、彼らはクリスを人間として扱ってくれている。それが仮初めだとしても、それでも。
――何度も、守るべき対象、市民の一人としてクリスへと話しかけてくれる。
「……クリス」
全てを知った上で、そうやって、名を呼んでくれる。
「ふふ、追いかけっこしましょ、国木田さん!」
「い、いきなり何を……!」
「追いかけっこですー! ほら、早くしないと置いていきますよ!」
跳ねるように先を行けば、国木田は文句を言いつつ追いかけてきてくれた。それがまた嬉しくて、クリスはくるりと一回転しながら国木田を手招きする。
今だけでも良い。
今だけで良い。
どうか、この幸せな時間をわたしから奪わないで。