第2幕
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***
酒の相手を求めてきた与謝野から何とか逃げ切り、国木田は部屋の壁際でため息をついた。
予算の計算がとんでもない。しかもこの騒ぎの後片付けもある。きっと誰も手伝ってくれない。鏡花を歓迎するための催しだから仕方がないものの、今後のことを思うと胃が痛い。
しかし、今回の戦争を勝利で終わることができたのは鏡花、そして敦の力が大きいことは確かだ。
加えて。
ちらと先程見かけた少女を思い出し、国木田は再びため息をつく。見知らぬ男と楽しげに話していた。あれは誰なのか。探偵社にいたのだから関係者であろうが、顔を見たことがなかった。劇団の人間が探偵社の宴に来るとも思えない。
「どーしたの国木田君ー?」
がばちょ、と背中からのしかかってきた男がかなりのんびりとした口調で国木田に囁く。
酒臭い。
「どけ。姿が見えないと思っていたが……どこに行っていた?」
「へへへ、なーいしょ」
にへらと笑う太宰の呼気が耳をくすぐる。酒臭すぎてこちらの呼吸が止まりそうだ。身をよじってそれを振り落とそうとする。が、ナメクジのようにべったりと張り付いてくるこいつは全く離れる気配がない。
「は、な、れ、ろ、太宰!」
「いやーん国木田君揺らさないでーこのままじゃ、うぷ、あふれそう……」
「やめろ俺の上で吐くな!」
ぎゃいぎゃいと言い合う国木田と太宰に、クスリと楽しげな声が聞こえてくる。気付けば目の前に少女がいた。見られていたらしい。
「お二人ってやっぱり仲が良いんですね」
「これのどこからそういう感想が出てくる」
「そういうところです」
解せない。
「あ、クリスちゃーん」
へらへらと太宰がクリスへ手招きする。
「見て欲しいものがあるんだけどぉ」
「見て欲しいもの?」
「うん、これ」
クリスへと差し出されたのは録画機器だ。片手で持てるそれは家庭用として広く売られている。探偵社の備品だが、一体何を録画したというのか。
太宰に言われるがまま、スイッチを入れ、クリスが一番最新の動画を再生する。音量をチェックしなかったのだろう、その音声は大音量で流出した。
『俺はあなたのためを思って……!』
「おああああ!」
叫んだ。
そしてクリスからその禍々しい機械を奪い取ろうとする。が、太宰が後ろからしっかりと羽交い締めにしてきた。
こいつ、酔っていたのではなかったのか。
「太宰貴様何をしている!」
「いやあ面白かったからつい」
「こちとら必死に抗っていたんだぞ!」
詳細を教えられずともわかる。ポートマフィアの精神操作の異能力者による、広域の異能力攻撃に巻き込まれた時のものだ。
あの時目の前に見えていたのは佐々城女史だった。幻想に蝕まれ思いを口走っている自分の姿など見たくもない、見られたくもない。
『俺はいつもあなたのことを……! 待て、聞いてくれ、そのようなことは決してない! 俺はこの世界で誰よりもあなたのことを考えていたのだ……!』
「クリス見るなその手を止めろ!」
もう耐えきれない。
と、クリスが音量を下げた。自分の悲痛な声が急激に小さくなる。ほっとしたのも束の間、クリスはビデオを眺めつつ口元に手を当てて考え込んだ。
「……太宰さん」
「なぁに?」
「点五ですね」
「ええっ、せめて一は行くと思うけどぉ? 動画だよ? しかも一生残るよ?」
「画質が悪いです。それに音割れもしている。点五が精々ですよ」
「待て貴様ら何の話をしている」
「国木田さんならいくらで買い取ります? これ。ちなみに単位は万円です」
「売るな!」
彼女が元々探偵社の情報を盗み売りさばいていたことを今更思い出した。しかし人の動画に値をつけるとは失礼だ。しかも点五、つまり五千円とは。せめてもう少し高くして欲しかった。
ではなくて。
「それを渡せクリス。あなたには用のないものだ」
「いくらです?」
「一銭たりとも払わん!」
「……太宰さん、これ三で買います。国木田さん、渡して欲しければ五用意して下さい」
「だから売るな!」
しかもぼったくりである。がしかし五万か。出せなくもない。
クリスはというと、国木田の背にのしかかる太宰と「やったぜ」とばかりにハイタッチをしている。仲が良いのはそちらではないか。というかこの二人、いつの間にこれほど仲良くなった。
眉間のしわを深くした国木田の背後で、太宰が「そうそう」と素っ頓狂な声を上げる。いい加減背中から降りろ、と内心毒づいた。いつ吐瀉物をぶっかけられるかわからないこちらの身にもなって欲しいのだが。
「クリスちゃん、国木田君の手帳の中身って見たことある?」
嫌な予感がする。
ぐるりと首を回して見れば、やはりと言うべきか、太宰の手に国木田の手帳が乗っていた。じゃれついてきた時に奪ったのか。
「返せ」
バッと横から手を出して手帳を奪い取る。
成功した。
酔った男から物を奪うなど他愛もない。太宰が文句をたらたら言ってきたが無視だ。
「ええ、見ましたよ」
ところがクリスはとんでもない言葉を発した。
え、と素っ頓狂な声が漏れる。そんな国木田にクリスは不思議そうに小首を傾げた。
「えっと……それが?」
「それが? ではない。どういうことだ、いつ見た。太宰か、また貴様の仕業なのか太宰!」
「いえ、だいぶ前に自力で」
「なななな何?」
「見たことがあるのなら話が早い。彼には今後の予定がみっちりと決められているのだよ。それも結婚相手に関しても徹底している」
「無視をするなマイペース男!」
「ああ、あの項目ですか」
「クリスも話を進めるな!」
国木田の突っ込みを完全に無視し、二人の会話は進んでいく。とにかく止めなければ。後ろに手を回して太宰の首をがっちり捕らえ、強く揺さぶる。
「貴様はいつもなぜそうやって俺を苛立たせるのだ貴様はアアアアア!」
「おぅおぅおぅおぅおぅ」
「死ね! そろそろ死ね! 貴様の自殺願望を今こそ叶えてやる!」
「いやァ今は美人さんとの心中がしたいィちょっと待ってそろそろ気持ち悪くなってきたよおぅふぅ吐きそう」
この状態で吐かれては確実に被害がこちらに来る。仕方なしに速度を緩める。うぷ、と呻く太宰の顔は青ざめている。
「……落ち着きたまえよ国木田君」
ポン、と肩に手を置かれる。神妙な顔つきをしているが、その程度で騙される国木田ではない。
「落ち着けるか馬鹿者」
「これはチャンスなのだよ」
「チャンスだと?」
「良いかい? クリスちゃんは天才的な舞台女優だ。そして君はこれ以上ない理想的な女性を求めている。これはチャンスなのだよ」
ずもももも、と迫り来る太宰の顔から目が逸らせない。いつもこれほど真面目な顔で仕事をしてくれていたらどんなに良いことか、と頭のどこかで考える。
「簡単なことだよ国木田君。――彼女に国木田君の理想の女性を演じてもらえば良い!」
「な、何だと……!」
そんなことをされたらどうなるか。無論、衝撃で身動き一つできなくなる。
が、悪い話ではない。理想が現実になる。それは国木田が最も望んでいることで――そこまで考えた国木田に太宰はにっこりと満面の笑みを向ける。
「彼女の完璧な演技で君は理想の女性を目の当たりにして悶え苦しむ! 私はそれを見たい!」
「貴様の本心はそこか!」
もはや気遣う必要はない。ガクガクと大きくその首を掴んで揺さぶれば、彼は開ききった目で「駄目、もう、吐く」と呟いた。それは困るので手を放し、太宰を床に放る。
ベチャ、とカエルのように潰れた太宰にクリスは楽しげに声を上げて笑っていた。彼女が声を出して笑うのは珍しい。楽しげな様子に見入りかけ、ハッと我に返る。
元はと言えば太宰の悪ふざけに乗ったクリスにも問題はある。
「楽しそうだなクリス」
顔をひくつかせつつ言えば、彼女は「しまった」と言いたげに顔を逸らした。どこぞへと行こうとしたその肩をガッと掴み、こちらへ強引に振り向かせる。彼女はというとあっけらかんとした様子でとても良い笑顔を向けて来た。
「いやあ国木田さん今日もすこぶるお元気なようで」
「逃がさんぞ。よりによって太宰の悪ふざけに便乗するなど言語道断だ」
「悪ふざけじゃないですよ、本気です」
「なおのこと悪いわ!」
「五ですよ、五。お買い得サービスです。あと一分で二倍に膨れ上がりますけどどうします?」
「脅すな!」
太宰が二人になったような気分だ。
いつの間にか国木田の手から逃れたクリスが、どこからかグラスを持ってきて「まあまあまずは一杯」などとそれを勧めてくる。この少女はどこでその日本の会社の飲み会じみた酒の勧め方を学んだのだろう。
太宰か、太宰なのか。全ての元凶が太宰に思えてくるのは酒のせいか、それとも正常な思考なのか。混乱してきた。
「おやァ国木田、まだイケる口かい?」
与謝野が酒瓶を手に歩み寄ってくる。まずい、と思った時には既に肩へ腕を回されていた。医務室で鉈を構えチェーンソーを振り回すその腕から、逃れられる気がしない。
「いや、あの、与謝野先生」
「いいねェ、まずはいってみようかァ」
「よッ、国木田さん! さすが! いっちょ見せちゃってくださいよ!」
クリスが適当な声をかけてくる。雑だ、適当すぎる。が、よく通る声は人の関心を呼ぶには十分だった。ぞろぞろと社員が集まってくる。
「おいクリス……!」
「悪ふざけ、って国木田さん言いましたよね」
クリスが笑う。それは楽しげなそれとは全く違う、目を細めて対象の反応を細部まで探っている、観察者の笑みだ。それでも。
緑を孕んだ青が、真っ直ぐにこちらを見上げている。場の昂揚に熱を受けた頰は軽く朱に染まり、弧を描く唇もまた赤い。その鮮やかさに息を呑む。
幾度も見てきた少女が、目映い。酒のせいか。そうに違いなかった。
そうでなければいけなかった。
彼女は劇団の女優であり強力な異能者、自分は巷の平和を守る武装探偵社の一員であり予定通りに日々を歩む理想主義者。両者の間にあるものは役者と観客という関係だけだ。
「なので、お望みのままに。これが、本当の悪ふざけですよ」
――訂正、この親しみという皮を被った関係性は、役者と観客の間柄で行われるものではなさそうだ。
その清々しいまでの少女の笑顔に促されるまま、国木田は手にしたグラスを一気に呷った。