第2幕
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***
随分と通い慣れてしまったビルに立ち入り、クリスは目の前の扉を見つめる。「武装探偵社」と記されたそれの奥では賑やかな声が上がっていた。鏡花の入社を祝う宴会は既に始まっているようだ。
扉を押し開け、中へと入る。
――瞬間、足元を横一文字に何かが駆けて行った。
茶色い小動物だ。
「……ん?」
ここは動物園か何かだっただろうか。
足を止めたクリスの前を、その小動物を追うように誰かがとことこと走っていく。
「ま、待つのであるカール! 吾輩を一人にしないで……痛ッ! 爪が痛いのである! あたたッ!」
「……あれ?」
カールと呼んだその小動物に追いつき抱き抱えるも、呆気なく爪を立てられて逃げられている。どうやらその小動物はお腹が空いているらしい。しかし主人のことは嫌いではないらしく、ちらちらと様子を伺っている。忠実な子だ。
と、小動物の方はさておき。
「君は……」
「え?」
クリスの声に、彼は顔を上げた。隈の目立つ目元がクリスを見上げてきょとんと見開かれる。
あ、と半開きになった口をそのままに、彼はクリスへと指を差した。それがクリスの名を紡ぐ前に、クリスもまた彼へと指を差す。
「……誰だっけ?」
「久しい仲間よ……ってクリス君まで吾輩を悲しませるのであるか!」
「ごめん冗談だよ。……ごめんってば、泣かないでよポオ」
クリスと顔を合わせるまでに何か辛いことでもあったのか、ポオは床に蹲ってしまった。大方この知り合いのいない中に放置されていたのだろうが、目の前で丸くなられてはこちらが申し訳なくなる。とりあえずぽんぽんと背中を叩く。カールも何かを察してか主人の元へ駆け寄ってその頭の上に乗っかった。
「ええと、何か飲む? どうせ何も口にできていないんでしょう?」
「うう、当たりである……」
「座っていなよ、何か持って行くから。カールの分も持って行くから、ポオのそばにいてあげて」
この小動物に言葉が通じるのかわからないが、素直にポオの肩に収まったあたりわかってくれたと見て良いのだろう。クリスは適当に飲み物と食べ物を手に入れ、ポオが待つ場所――賑わう部屋の静かな片隅まで持って行った。話しかけたい人はたくさんいたが、知り合いである以上彼を放置しておくわけにもいかない。
「お酒で良かった?」
「何でも良いのである……クリス君はなぜここに? ヨコハマにいることも知らなかったのである」
「いろいろあってね。今回の戦争は探偵社側についたから」
「……え?」
「知らなかったの? 豪華客船にも白鯨にも潜入したのに」
ギョッとするポーを横目に、クリスはカールへキュウリのスティックを手渡した。きゅ、と一声鳴いて両手で受け取り、カールがそれへかじりつく。
「今回も敵だったんだよ、フィーとはね。とはいえ一概に『探偵社側だった』と言い切れない事情はあるけど」
「そ、そうだったのであるか……」
ふと、ポーが肩口のカールの毛を撫でる。キュウリを齧っていたカールが手を止めて主人を見た。
「特殊戦闘員であるクリス君が敵となると、ボスががっかりしていそうである」
「懐かしいな、その呼ばれ方」
「格好良いではないか、特殊戦闘員」
「あまり好きじゃなかったけどね」
特殊戦闘員。
正式な階級ではないこの言葉は、クリスだけのものだ。一人戦場に赴き天災をもって敵地を沈める役を担う者。仲間がいると逆に邪魔になることから、クリスには部下がつかず、それ故に下級構成員と階級を同じくした。
「ずっと聞きたかったのであるが、山はどうやって崩すのであるか?」
「うん? 過剰な雨を降らせるか斜面の下部を削るか……突然どうして?」
「新しい小説のネタになればと思ったのである。普通の推理小説は乱歩君には物足りないであろうし……いっそ災害を使えないかと思って」
「それ推理要素どこにあるの?」
「……しまった」
ポーが愕然と呟く。彼の小説は時々推理小説の枠を大きく外れている。白鯨の中にいた時に見かけたラヴクラフトをモデルにしたのであろう地球滅亡小説は、推理の必要性こそなかったもののそれはそれで面白かった。
どうしよう、と頭を抱え込んだポーに苦笑しつつ、ふとクリスは顔を上げる。視線を感じたのだ。こちらを見ていた張本人と目が合うも、すぐに逸らされる。物言いたげだったが、何かあったのだろうか。
「クリスさん」
明るい声と共に敦が駆け寄ってくる。その隣には和装の少女――泉鏡花。面と向かって会うのは初めてだ。
「来てたんですね」
「ええ、太宰さんに呼ばれて……こんな華やかな場に呼ばれるとは思いませんでしたけど」
「クリスさんのおかげで助かったこともたくさんありますから。えっと……そちらは?」
ちら、とポオを一瞥した敦に彼を紹介する。あの乱歩のことだ、同僚にポオのことを説明もせず、そこらへんに座らせてどこかに行ってしまったのだろう。
「……で、こっちがアライグマのカール」
「アライグマ……」
きゅ、と片手を上げて鳴いたカールに敦と鏡花は興味津々と顔を寄せる。カールもカールでサービス精神旺盛に握手に応じたり大人しく撫でられたりしていた。場も和んだところで、敦がクリスへと向き直る。
「えっと、今回のお礼を言わなきゃって思って。クリスさんが色々してくれたおかげで、無事街を守れたので」
「それは誤解ですよ。敦さんが探偵社の方々と頑張った結果です」
「でも」
ふと言葉を切り、敦は両手を握り込む。
「……フィッツジェラルドと、友達だったって」
「フィーから聞いたんですね」
「はい。クリスさんのことを聞かれて、それで……」
「確かにフィーとは友達だったけれど、それとこれとは話が別ですよ」
彼はフィッツジェラルドを倒し行方不明に陥らせたことを申し訳なく思っているのだろうか。今回ばかりはフィッツジェラルドが悪役で、彼は街を守るという当然のことをしただけなのに。むしろ感謝しているのはこちらだ、おかげで彼に〈本〉を手に入れさせずに済んだのだから。
「ありがとうございました、敦さん」
言えば、敦は驚いたように顔を上げた。その丸く見開かれた目に微笑みを向ける。
「フィーを止めるには、結局わたしだけでは不十分でした。……それに、わたしが軍警に引き渡されないよう皆を説得してくれたのでしょう?」
策略的にとはいえ、クリスは一度探偵社の皆に刃を向け怪我を負わせている。そう簡単に許されると思っていなかったクリスにとって、監禁という手段はあまりにも緩すぎた。
加えて探偵社勝利と同時に釈放され、今この場に招待されている。信じられないと喜ぶ心より疑心の方が上回っているほどだ。
「いえ、僕は何も。僕よりも太宰さんの方が……あ、そうだ」
気になる話をそこで区切り、敦はそばにいた鏡花に手招きをする。太宰が、クリスの釈放を強行した――そういうことなのだろうか。嫌な予感がする。
彼はまた、何かを目論んでいるのか。
「まだ紹介してなかったと思うから。こちらがクリスさん。昨日までの戦争で、ギルドの情報を探ってくれたんだ。元々舞台女優さんで、太陽座ってところで活躍されててね、演技が凄いんだよ。惹き込まれるって言うのかな、知らない光景が目の前に広がるんだ。鏡花ちゃんも今度行くと良いよ」
「一緒に?」
「え、ああ、うん、勿論。一緒に行こう」
無表情に近い鏡花の純粋な眼差しと問いに、敦は戸惑いながらも当然のように頷く。何だか微笑ましい。
敦は鏡花へとクリスを紹介した後、クリスに鏡花を紹介した。説明されずとも彼女のことは調べてあるのだが、その点をわざわざ指摘する必要はない。
紹介された者同士、鏡花とクリスは互いに視線を合わせた。目の奥に潜む真意を探る癖は闇を生きてきた者の証。そうして僅かに沈黙を交わし、どちらからともなく口を開く。
「ナイフが三つ」
「袖口に小刀ですね」
不穏な第一声を発した両者に目を白黒させたのは敦とポオだ。慌てて二人の間に割り込んでくる。
「き、鏡花ちゃん!」
「落ち着くのであるクリス君!」
「落ち着いてるよ? 場を考えずに喧嘩を売るのはフィーにしかしない」
「あれもあれで怖かったのである……」
「それは申し訳なかった」
慌てる男衆を余所に、クリスは片手を差し出した。鏡花がそれに応じる。握手の後、何事もなくその手が離れたのを見、敦とポオは揃ってため息をついた。
「ちょっとびっくりした……」
「なぜ?」
敦の心境など知らず、鏡花は首を傾げる。その表情はあどけない。クリスに向けた眼差しとは全く違う。敦のことを信頼しているのだ。無条件に、完全に。
なぜだろうか、羨ましく思ってしまう。
その寂しさを押し隠すように、クリスはポンと両手のひらを合わせた。
「あ、じゃあ、びっくりさせてしまった二人と初めて会った鏡花さんに見世物をしてあげましょうか」
クリスは片手を宙へとかざした。三対の目がクリスの手を興味深げに見つめる。その視線を感じつつ、指を鳴らした。
パチン。
瞬間、空中に火花が散った。静電気――小さな雷は宙を走り、輝かしい痕跡を散らす。雷が雷と繋がり、衝突し、そして消えていく。それは彼らの目の前に花火の幕を作り上げた。
いくつもの火花が、次々に広がり、輝き、散る。
「うわあ……!」
敦が声を上げた。鏡花の大きな目に閃光が映る。ポオと彼の肩に乗ったカールも、夜空の流星群を見上げる子供のように宙を見つめていた。
「凄いのである……」
花火の幕は数秒で消えていく。その残滓をもチリチリと光を発しながら小さくなっていくのを、クリスはただ見つめていた。
この国では花火は亡き人への弔いなのだという。
ならばこの小さな輝きも、弔いになるだろうか。