第2幕
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***
港には風が吹いていた。海風だ。海水が染みこんだ衣服と同じ冷たさで、それは敦の全身を撫でていく。見つめた先では海の只中に白鯨が浮かび、苛烈な戦いが終わったことを静かに告げている。
そう、終わったのだ。
全てが。
街は守られた。隣には鏡花がいる。遠くからは探偵社の社員がこちらへと向かってきてくれていた。
全てが、望む形で終わりを告げた。
――違う、と敦は思い至る。
バッと周囲を見渡し、その姿が既にないことに気付いた。
「どうしたの?」
鏡花がそっと問うてくる。
「……メルヴィルさんに、謝りたかったんだけど……」
「謝る?」
「……あの人にとって、白鯨は大切な相棒だったみたいだから」
でなければ最後に共に墜落しようとは思わないだろう。彼にとって白鯨はたたの異能生命体ではなかった。それを壊し、沈めたのはフィッツジェラルドの作戦であり、敦の意志だ。
だから、一言言いたかった。
――クリスのことも。
「そういえば太宰さん」
未だ地面に倒れた芥川を物珍しげに眺めていた太宰がきょとんとこちらを見る。芥川は太宰にその成長と実力をようやく認められ、そして直立したまま地面に倒れ込んだ。未だに動く気配はない。つまり、彼がそうなったのは太宰のせいなのだが。
それはさて置き、と敦は太宰へ訊ねる。
「クリスさんは?」
「ああ、彼女?」
その表情が幾分か緩んだのは気のせいだろうか。
「勿論無事だよ」
「いえ、そうではなくて」
「敦、鏡花、無事だったか」
遠くから姿は見えていた社員達がようやくこちらへと辿り着く。探偵社員が勢揃いした港は少し狭く感じられた。
「……なぜここに芥川がいる」
まず初めに目に入った人物に、国木田が嫌そうな顔をする。
「しかもなぜ倒れている。また戦ったのか。協定違反だぞ」
「いえ、えっと……」
「敦君を追って単独潜入してきたのだよ」
説明に困った敦に代わり、全てを知っているのだろう太宰があっさりと告げる。
「熱烈だねえ、予測済みだけど。で、敦君と共闘した」
「共闘ォ?」
「結果、見ての通りギルドの敗北、私達の勝利だ」
ポートマフィアの芥川と共闘。それは敦にとっても非現実的な事実であり、社員達にとっても予想だにしない事実であることは確かだ。驚きと呆れと疑いと、その他様々な感情をない交ぜにしたかのような顔でぽかんとする社員らをよそに、太宰は「国木田君」とその明るい声で言う。
「クリスちゃんは?」
その問いに、国木田の顔は一変した。目を伏せぎみにし、視線を彷徨わせる。
「……一人で、海を眺めている」
――遠く離れた建物の屋上から海を見つめている、亜麻色の髪の少女の背中を思い浮かべた。
彼女はギルドを失った。過去の居場所、仲間、そして友を失った。
その表情は、きっと。
「……だろうね」
太宰が静かな声で言う。その声音に、この人はそれすらもわかっていたのだと知る。
彼女にとってギルドがどんな場所だったか、彼女にとってフィッツジェラルドがどんな人だったか。
――死んだか。
制御端末を椅子の上に落とした敵組織の長は、クリスの死を告げた敦にただそれだけを呟いた。
その表情に変化はなかった。
なかった、と思う。少なくとも見た目はそうだった。
部下の死を知らされたにしては淡白だった。友の死を知らされたにしては冷静だった。
けれど、彼女は。クリスは、どうだろうか。
「……敦」
国木田が名を呼んでくる。
「クリスから伝言だ。……ありがとう、と」
それはきっと、メルヴィルとフィッツジェラルドに自らの死を伝えたことへの感謝でもあり、クリスとフィッツジェラルドの関係を知った上で彼を打ち倒した敦への感謝でもあるのだろう。
胸に手を当てる。
伝えられた感謝の言葉の響きが、胸の空洞に木霊し、心を震動させる。その震えを感じながら、短い言葉を告げてきた少女を思う。
雫が一つ、木霊に混じっているような気がした。