第2幕
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***
思い出すのは、彼女との出会いだった。
その子供を拾ってきたのは予定外だった。反逆行為の確認された組織への報復任務、それの土産にフィッツジェラルドは一人の子供を連れて帰還した。皆殺しにするはずだったそれを生かして連れてきた理由は多々あるが、一番はこの状況を楽しみにしていたからである。
執務室で足を組みつつ、フィッツジェラルドは目の前の椅子に座る少女からその後方へと視線をずらした。
「これの世話だ、牧師殿。名前はクリス。ファミリーネームはないらしいから後で適当に見繕っておく。出身はおそらくイングランド。国籍もパスポートもないが、その辺りは問題ない、既に手配してある。見ての通り礼儀も何もわかっていない状態だ、丁寧に叩き込め」
「……聞き間違いかと思ったのですが」
呼び出された彼は不満を押し隠しきれていない不満顔で低く問うた。
「子供の世話を? 私が?」
「そうだ。慣れているだろう?」
「いえ全く」
きっぱりと言い、ホーソーンは眼鏡を押し上げた。物言いたげなその表情を眺めつつ、フィッツジェラルドはにっこりと笑ってみせる。
「そうか。だが君ならできる。期待しているぞ」
「……他に適任がいるのでは?」
眼鏡の奥の目がスッと子供の横の女性に向く。その視線に気付いたミッチェルはフイッと顔を逸らした。
「これ以上の適任はいないと結論づいたところよ?」
「……なるほど、大体理解できました。拒否権はないということですか」
さすがは牧師殿だ、理解力が高い。子守を押しつけられ、あまつさえそれを見物されることに気付くとは。やはり自分の部下は優秀だ。心の中で賛辞を送りつつ、フィッツジェラルドはホーソーンへと今後の指示を出す。
まず優先すべきは彼女の出自を探ることだ。彼女は自分自身について何も話さない。出身も、あの諜報組織にいた経緯も、何も。加えて、彼女は妙な単語を時折口走る。
赤き獣、恵み、儀式。他にも何かあった気がするが、どれもフィッツジェラルドには関わりのない単語ばかりだ。それに、と椅子に黙って座っている少女を一瞥する。
飛行機で連れて帰ってきた際、彼女は倒れた。原因は栄養失調。すぐに病院へ運び入れたところ、その小さな体に手術痕が多く刻まれていることが発覚した。
どれも治療目的ではなく、むしろ彼女の内臓の多くは機能不全かそれに近い状態だった。急いで手術を行わせたが、未だに彼女は定期的な点滴を必要とし、満足に走ることもままならない。彼女を担当させた医師は眉間のしわをいっそう深めてこう言った。
――まるで愛玩用の小鳥ですよ。この子自身が虚弱なのではなく、勝手に飛んで逃げないよう羽を切られているんです。
それについても、彼女は身を縮めるばかりで何も言わない。幼くとも諜報組織の出だ、簡単に口を割るとも思えないが。
しかし、とフィッツジェラルドはほくそ笑む。
人体への不当な手術痕。どう見ても表沙汰にはできない代物だ。これを探り、それを仕組んだ輩を脅すなりすればこちらの利益に繋がる。彼女の存在は突然転がり込んできた幸運だった。
「さて、クリスだったな」
名を呼べば、少女は僅かに顔を上げてフィッツジェラルドを見た。無表情に、無感情。年はとうに十を超えていると思われるが、その細い体のせいか表情のなさのせいか、それとも生気のない人形めいた青の目のせいか、随分と幼く見える。
「何か君が望むものをくれてやろう」
その青へ、言い放つ。
「言ってみろ。服か、装飾品か、会社か。何でも与えてやる」
それは己の誇示だった。この礼儀も常識もわからない幼い子供へ、フィッツジェラルドの力を示す簡単な方法だ。
クリスは顔を俯かせて黙り込んだ。つい先日まで寂れた田舎の寂れた組織で貧乏人よろしく砂と埃にまみれながら過ごしていたのだ、突然言われてもすぐには望みを思いつかないだろう。
しかし急ぐ必要はない。この手にはいついかなる時も力が備わっている。どんなものでも用意できる自信が、フィッツジェラルドにはあった。
「まあ今でなくとも構わん。後でゆっくりと考えるでも良い。ミッチェル君、彼女を部屋に案内」
――聞こえてきた言葉に、声が途切れた。
その小さな、しかし確かな声は宙を漂う。それを辿り、フィッツジェラルドはそちらへと目を向けた。
少女が、いる。
椅子に座り、手入れのされていない亜麻色の髪を揺らして、少女がこちらを見上げてきている。
「友達」
同じ言葉がその唇から繰り返し発せられる。
「友達はいた方が良いって、言ってた」
フィッツジェラルドの背後の窓から日が差し込んでくる。雲間から覗いた太陽が、目の前の少女を包み込む。亜麻色が金に輝き、無機質な青に緑の輝きが乗った。その鮮やかな色の変化に、フィッツジェラルドは息を呑む。
美しいとはこのことを言うのだろうか。目映い太陽の輝きが、彼女の髪に光輪を授けている。その清らかな光は彼女の無感情な目に入り込み、その奥に潜められていた緑を浮き立たせた。
夏の空を思わせる深みのある鮮やかな青に、日差しの差し込む森を思わせる明るい緑。二つの色は混じることなく共存し、不思議な色合いを見せている。
そっと息を吐き出す。
「……誰に、言われた?」
声が震える。
「友達」
淡々と返し、クリスは小さく首を傾けた。金を伴う亜麻色が揺れる。
「駄目?」
「まさか」
笑おうと口端をつり上げる。
「そんなもので良いなら、いくらでもくれてやる。……全く、貧乏人の考えることはわからんな」
徐々にいつもの調子が戻ってくる。軽やかになった語尾を自分の耳で確かめつつ、フィッツジェラルドはその場にいた二人の様子を窺い見る。
ミッチェルもホーソーンも、驚愕に身を固めていた。その目はクリスを見据えて動かない。動かせないのだ。
これが、この少女。この少女の、内なる魅力。
十分だ。この手の内で飼い慣らすには、十分過ぎる。
「フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルドだ」
名乗り、フィッツジェラルドはクリスへと向き直った。椅子に座る少女へ、手を広げる。
「ようこそ、ギルドへ。――クリス」
彼女には可能性が眠っている。よそに譲る気などさらさらない。
こくりと少女が頷く。その小さな仕草に、フィッツジェラルドは目を細めた。