第2幕
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***
太宰と国木田との話を終え、クリスは部屋に戻ってきた。もはや見慣れてしまった一部屋に一歩入り、振り向く。
「送っていただいてありがとうございました」
いつも通りの声でそう笑いかけると、国木田は困ったように目を逸らした。
照明は部屋の扉の外に一つあるだけで、互いの表情を読み合うには少々暗い。それでも、国木田の考えていることは予想がついた。
わかっていて、笑ってみせた。
「まだ逃げませんよ」
その言葉にやはり彼は驚いたように顔を上げてこちらを凝視してくる。
先程話した内容に嘘はない。この身に隠してきたことが誰かに知られた時は、すぐさまその国を離れた。けれど今はまだ、出国には早い。
「まだフィー……フィッツジェラルドが、この街にいますから。今動けばまた彼に捕まってしまいます」
「奴がいなくなれば、この街を出て行くのか」
「それとも、わたしが皆さんを殺せば良いです?」
冗談交じりに言った言葉に国木田は黙り込む。この身に迫る敵から彼らを守るためには、クリスがこの街を離れるか、彼らが死ぬかの二択しかない。国木田も、太宰も、そのことをわかっているはずだ。
だから何も言わない。大丈夫だ、とも、何とかする、とも、彼らは言えない。
探偵社はクリスを守れない。
それどころかこの身に隠された秘密を知ってしまった以上、あの国に命を消される危険すらある。だから、クリスはこの街を離れなければいけないのだ。
この街を離れ、新たな場所で同じことを繰り返す。何度もそうしてきた。今更、思うことはない。
――ない、はずだ。
黙って拳を握りしめる国木田から、目を伏せる。
「……昼間、国木田さんに『なぜポートマフィアでなく探偵社に与したのか』と聞かれましたけど」
国木田が僅かに顔を上げる。力の緩んだ彼の拳に安堵しつつ、クリスは微笑みながら続けた。
「流れでそうなった、とあの時は答えましたよね。……確かに国木田さんの言う通り、探偵社と親しくなっていたわたしにはポートマフィアに取り入ってギルドと探偵社の情報を彼らに流した方がやりやすかったと思います。けど、わたしにはあなた方に味方する十分な理由があったんですよ」
今、この声は明るく無邪気な少女を演じられているだろうか。
何事かと顔を上げた国木田の視線から逃げるように、くるりと背を向けて歩き出す。
暗闇の中の部屋は、外と同じ色味をしていた。窓から月明かりが差し込み、部屋に明暗を作り出している。その、暗い宙を断つ明かりの中へと足を踏み入れた。雨を掬うように手を差し出し、その手に月の光を乗せる。
「フィーのやり方についていけなくなったのも理由でしたけど、ウィリアムの――劇作家の夢を叶えられなかったあの人の願い通りに、彼の作品を演じたくて、その名を残したくて、ギルドを抜けて演劇の世界を選んだのも確かです。あの人の作品が消されることなく残り続けるには観客が必要でした。探偵社の皆さんなら、わたしがいなくなった後も作品を気に入って劇場に足を運んでくれると思ったんです。だからあなた方には勝ち残ってもらわないといけなかった」
「……死んだ人のために、か」
何かを思い出すように国木田は呟いた。その声を背に聞く。
「……わたしには、他にありませんから」
人は死した人との思い出を背負い、失われた願いを叶えようとする。それは時に明るい未来へと導き、時に先のない道に誘い、時に残酷な選択をする勇気を与える。
わかっている。それは確実に明るい先へ導いてくれるものではない。
けれど、これしかないのだ。今この心に残っている唯一の光は、道標は、あの人の面影だけなのだから。
そうに違いないのだから。
この手を照らす月明かりさえ、ただの照明でしかない。
「……クリス」
その声に、振り返る。
決意を秘めた眼差しがこちらを見据えていることに気がつき、息を呑んだ。
「俺は」
駄目だ。その先を言わせてはいけない。
「国木田さん」
名を呼ぶ。
扉の前の照明に照らされた国木田へと、笑ってみせる。
「……今日も月が綺麗ですよ。一緒に見ませんか? あ、日本にはオツキミっていうのがあるんですよね、それをしましょう! 何か食べられるんですよね? オツキミダンゴとか、オツキミダイフクとか、オツキミアイスにオツキミパフェ……」
「妙なものを量産するな」
「ないなら作りましょう! というわけで楽しみにしてます」
「俺が作るのか……?」
「はい」
「当然のように言うな。しないぞ、しないからな。……しないと言っているだろうが。そんな顔をするな」
国木田が慌てて「何か持ってくるから」と言う。クリスはパッと顔を輝かせて「やった」と両手を上げた。以前のひととき、それに似た紛い物のやり取り。誤魔化して、隠して、今日も明日もずっと、わたしは嘘をつく。
その話はやめて。
それ以上、何も言わないで。
何も聞かせないで。
――その金の髪の輝きに、その強い眼光に、声に灯る光に、気付きたくないから。