第2幕
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[Act 2, Scene 19]
ヨコハマは栄えている。あらゆる店が集まり、交通網は発達し、衣食住には困らない。
そんなこの街の中にも住宅街という場所はあり、国木田はその中を歩いていた。手には名刺が一枚。乱歩から渡されたものだ。
この酒場へ行け、と彼が国木田に指示をしたのは先程のことである。乱歩は与謝野と共に外出から帰ってきた――その手にギルドへの切り札を持って。その切り札となる茶封筒の中にその紙は入っていたのだという。
行きなよ国木田、と乱歩は言った。
「彼女のことを知りたくば、か」
おそらく乱歩はこの後に起こる事象を把握している。なぜギルドから奪取してきた資料の中にヨコハマのバーの名刺が紛れていたのか、なぜその酒場なのか、なぜ彼女――クリスと関係があるとわかったのか。国木田には乱歩の思考には全く追いつけない。
名刺へと再び目を落とす。厚めの紙に描かれたジッポは、バーのマークなのだろう。実際に火で炙ったところ、数字の羅列が浮き出てきた。おそらくこの数字が重要なのだ。
国木田はとある建物を前に立ち止まった。住宅街の中にある、小さな店である。看板には、ジッポのマーク。
扉を押し開ける。カラン、とベルが一度だけ鳴った。
中は普通のバーだった。六人ほどが座れるカウンター、グラスの並ぶ棚、一人粛々と手先を動かしている紳士風の店主。奥には「private room」と金字で書かれた扉がある。このような場所にあるバーだ、国木田のような近所住まいではない客が来たら奇妙な顔をされそうなものだが、ここの店主は顔色一つ変えず、国木田に頭を下げてきた。
「いらっしゃいませ」
「これを」
名刺をカウンターへ置く。それを拾い上げ、店主はじっとそれを眺めた。そして、一つ頷く。
「少々お待ちください」
店主がそれをカウンターの奥の棚へ置く。そしてそのまま国木田に飲み物はどうするかと訊ねてきた。あの名刺は何なのか。疑問は解決しないまま、国木田は水を頼む。味のあるものを飲む気分ではなかった。
出されたグラスを持ち上げ一口水を飲む。冷たいそれは、国木田の喉を落ちていく。
「新規の人か」
ふと声が聞こえてきた。突然のことにバッと顔を上げ腰の拳銃に触れる。そうして横を見、初めてそこに人がいたことに気が付いた。中肉中背、さして特徴という特徴のない、印象に残りづらい風貌の男だ。先程まで店内には国木田しかいなかったのを確認している。いつの間に店に入ってきたのか。気配に気付かなかった。手練れか。
驚く国木田を気にもせず、男は国木田の横に座る。バサリと大きな茶封筒が国木田の前に置かれた。
「何も知らないまま名刺を持ってきたタイプか。いずれにしろ新しい客はいつだって新鮮だね」
言い、店主が黙って出してきたウイスキーをグイと飲む。男の喉が上下するのを国木田は見つめていた。何を言えば良いのかわからなかった。けれど男は国木田を気にする様子もなく口を開く。
「情報屋って言えばわかる?」
「情報屋……だと?」
「そ」
あっという間に空になったグラスを置き、男は続ける。
「情報を売買する、それが仕事ってわけ。……前払いで金はもらってある。素直に受け取ってよ」
男が茶封筒を一瞥する。あの名刺はこれを受け取るために必要なものだったらしい。前払い、というのは情報料のことか。
「お前に金を出したは誰だ」
「その手の情報は一切言わない主義だ。情報屋ってのはそういうもんだよ。覚えておきな、お兄さん」
ぐ、と言葉に詰まる。仕方なしに無言で茶封筒を掴んだ。中には紙が何枚か入っているようだ。おそらく彼女に関する情報だろう。
彼女の、何の情報なのか。
先日を思い出す。無機質な青の目、それが光を戻したのは国木田の言葉がきっかけだった。彼女は恐れていたのだ。国木田が彼女を敵と判断した時、以前の交流すらも否定されるのではないかと。
舞台女優から諜報員へのクリスの変貌ぶりには確かに戸惑った。混乱し、彼女が敵の間諜ではないか、自分は彼女に絆されたのではないかと疑った。けれどそれすら彼女の予測の範囲内。彼女は国木田に疑われるのをわかっていた。それでも、その選択をした。
探偵社の駒としてギルドの間諜となり、やがては探偵社を裏切って立ち塞がり――国木田に見限られ撃ち殺されるという選択を。
あの決意の意味が、これには入っているのだろうか。
国木田は席を立った。長居する気はなかった。
茶封筒の代わりに小銭を置き、店を出る。男も店主も何も言わなかった。こんな辺鄙な場所に情報屋があるとは知らなかったな、と国木田は思う。やはりそういった職の者は人目を避けたがるのだろうか。思い出すのは古アパートに住む友人の姿だ。名刺を無視し彼に頼る案もあったが乱歩に首を横に振られてしまった。珍しく物憂げに眉をひそめていた乱歩の表情は、困惑のようでもあり、同情のようでもあり、悲嘆のようにも見えた。
乱歩さえも扱いに気を遣うほどの「何か」が、ここにある。
掴んだドアノブを回す。扉の揺れに合わせてベルがカランと鳴った。