第2幕
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***
太宰の恐れた時間がとうとう訪れた。
夜が空を支配する中、森に佇むボロの一軒家。その前では戦闘が繰り広げられている。
どこからともなく飛んできた巨大な岩塊。それは黒い異能力者を押し潰し地面へ叩きつけた。瞬時に判断した敵が撃ち込む弾丸は彼に触れると同時に落下、カランという軽い音を立てていく。相手に驚く暇も与えず、彼は拳を唸らせ敵を次々とのしていく。
「やはりこうなったか。だから朝から嫌だったのだよねえ……」
「つべこべうっせーぞ青鯖」
不機嫌を隠さず呻いた太宰に、不機嫌を詰め込んだ声が飛んでくる。
「最初に言っとくが、このゴミ片したら次は手前だからな」
「はいはい」
「馬鹿な……!」
中也の登場にギルドの構成員が喚く。
「探偵社に、ポートマフィアだと……? こんな奇襲、戦略予測には一言も書かれていなかったはず……!」
「そりゃそうだ、私達でさえ嫌々やっているのだもの、簡単に予測されては困るよ」
戦略予測、か。そんなことができる技量のある人物を相手にしていたとは、道理で中々骨が折れると思った。
肩をすくめて見せながら、太宰は彼へと歩み寄る。予想通り、太宰の余裕のある歩みに警戒した彼は異能力を発動した。手から木が生え、地上へとその枝を広げていく。
確か彼の名はジョン・スタインベック。葡萄の木と感覚を共有する異能力者。その身に木を植え付けるのだから正気の沙汰ではない。痛そうだ。痛いのは嫌な太宰にとってそれは見ていたくない光景。
周囲の木々が不穏にざわめく。やがて木々から瞬時に伸びた枝が太宰を拘束しようとする。しかし、太宰に触れた瞬間、枝は力を失いただの枝に戻っていく。
「なっ……!」
瞠目する彼に、太宰は同情するかのように肩を叩いてやった。彼から生えていた枝さえもが消失する。
「悪いけどそれ禁止ね。見てて痛いもの。私は痛いのがとても苦手なのだよ」
「まさか、異能無効化……!」
この類稀な異能力に驚愕する人を見るのは何人目か。見慣れた反応を一瞥し、太宰はふと半身を沈める。頭上を通過する人影がスタインベックを蹴り飛ばした。
中也だ。
彼が何をしようとしてくるかなど手に取るようにわかる。気付かず突っ立っていたならば太宰もろとも蹴り飛ばすつもりであっただろう彼は、小さな痩躯で軽やかに着地した。蹴飛ばされたスタインベックはというと砂埃を上げてぶっ飛んでいく。しばらくは意識を失っているだろう。中也の蹴りをもろに受けて、無傷ではいられまい。
隣に立ち、最悪だ、と呟く中也に呼応するように「私だって嫌だよ」と返す。
「けれどこれが今回の策なのだから仕方がない」
「勘違いするなよ。ボスの命令だから来ただけだ、手前のために来たんじゃねぇ」
中也が刺々しくこちらを見上げてくる。目を合わせるのも嫌で、そっぽを向いた。
まあしかし、彼のおかげで最も警戒すべき黒い異能力者ラヴクラフトを倒すことができた。彼が動き出す前にこの場を去らなければいけないことは、この戦いの中で得られた情報として頭に入っている。間に合わなかったのならば、中也に命を賭してもらう他ない。
それを見込んでの、太宰自らの登場である。
さて、兎にも角にも救出作戦の続きだ。
ボロ屋に歩み寄り、ドアノブに手を伸ばす。その横で同じ動きをした手があった。中也だ。
「俺の行動を真似すんじゃねえ」
「中也が私の行動を真似したんじゃないか」
言い返せば不快さに振り切った視線が太宰を見据える。ああやはり嫌だ、やっていられない。
ここ数年で最低の一日だよ、と太宰は元相棒に言い聞かせるように言った。
***
溜まっていた仕事を片付けた国木田は、とある部屋へ向かっていた。探偵社から幾分離れた建物に入り、階段を上がる。簡素な扉のドアノブの鍵穴へ鍵を差し込む。
ガチャ、と簡潔な解錠音が微かに聞こえてくる。
ドアノブへ手を伸ばし、少し躊躇ってからそれを捻る。軽い扉をゆっくりと開ければ、部屋の中の暗闇が視界を一瞬不鮮明にした。
部屋の電気はついていない。部屋の主がその人工的な光を拒んだからだった。ブラインドは上げられ、窓からベッドの上へ月明かりが射し込んでいる。外と同じ暗さの部屋の中にあるのはベッドと椅子、小さなクローゼットに電気ポット。
暮らすには十分だが住むには不十分なその部屋は、先日までポートマフィア幹部尾崎紅葉が監禁されていた場所だ。
そして今は、別の人物の監禁場所である。
「……今夜は月が綺麗ですよ」
静かな声が静寂と共に耳に届く。澄んだその声が紡ぐ歌の美しさを、国木田は知っている。けれど今の彼女は、暗闇に溶け込んだ敵組織の一員でしかなかった。
「太宰さんの方を手伝わなくて良いんです? 国木田さん」
目が慣れてきた闇の中で、少女の背を見つける。窓の向こうの空を覗き込むように壁へ寄りかかりベッドの隅で膝を抱えた少女の髪が、月明かりできらめいていた。
「なぜ知っている」
「太宰さんから聞きました。この身ですから、自力で情報を掻き集めはできませんよ。……わたしが未だそちらの情報を狙っていると疑いましたか?」
楽しげに聞こえるその声は明らかに国木田を煽っていた。ため息をつき、部屋の真ん中に置かれた丸椅子をベッドのそばへ引きずり、腰掛ける。
国木田が部屋に入っても、国木田がそばに居座っても、彼女は動じなかった。ただそのまま、壁に上体を預けたまま窓の外を見上げている。月明かりに照らされたその横顔に感情はなく、脱出を諦めた死刑囚のよう。かつて強く国木田を睨みつけた目は、ぼんやりと遠くを見つめている。
「クリス」
「律儀な方ですね、国木田さんは」
話しかけようとした国木田を遮るようにクリスは話し始める。
「わたしを撃ち殺したまま放置していれば、こんな場所に何度も足を運ぶ手間はなかったのに」
「……与謝野先生が、あなたを救った。それが不満か」
「不満? まさか、与謝野さんは医者としての仕事をしただけでしょう?わたしがどうこう口出しできることじゃないですよ」
明るい口調に自嘲が混じる。そんな話し方をするような人だっただろうか。
「……仕事だったから、与謝野先生があなたを救ったと、そう本気で思っているのか」
「そうであって欲しいものですね。わたしなんて、生かしておいても利益が」
ない、と続けたクリスの声は国木田が立ち上がった音で掻き消えた。椅子が横倒しになって床に転がる。それを気にする余裕はなかった。
「ふざけるな」
腕をひっ掴み、その肩を掴む。抵抗のない細い体は難なくベッドに倒れた。その上へ覆い被さるように、彼女の体をベッドへ押し付ける。
宙を見つめる青に国木田が映り込む。
ようやく、目が合った。
「死を軽んじるなとあなたは言った」
押し倒されているというのに、こちらを見上げてくる両目は相変わらず無感情だ。
「言われた時、俺は己の行いを悔いた。確かにその通りだと気が付いた。……あなたに言われたから気が付いたのだ。あの時のあなたは、死を恐れる者の目をしていたから」
なのに今は。
揺れもしない青は絵の具のように無機質で、宙を見つめている。目の前にいる国木田を全く映さないそれは死者の目そのものだった。
知らない。この青を、国木田は知らない。
国木田が知らないだけで、ポートマフィアは知っている彼女――それは、この青のことか。生にも死にも興味を持たない、人形のガラス玉よりも無機質なこの青のことか。
その青を宿したまま、クリスが告げる。
「あなたはわたしを殺した」
その言葉は呪いのようで。
「あなたは、わたしを殺したんですよ。国木田さん」
「違う」
彼女がそう仕向けたのだ。与謝野はクリスに真っ先に狙われ、早々と戦闘から脱落していたため軽傷で済んでいた。他の社員が重傷を負った際治療できるように、クリスが意図的にそうしたのだ。であればクリスは自分すらも与謝野に救命されることはわかっていたはず。
だから撃った。与謝野は外傷しか治せない。クリスが外傷で瀕死にならなければ、与謝野はクリスを助けられない。
だから、撃った。
「違う、俺は」
この手で。
彼女を、撃ち殺した。
息が詰まる。言葉が喉から胸へ転がり落ちていく。違うと言えど、彼女にとってそれは事実だ。
「……俺は」
本当に、彼女を救ったのだろうか。
「……苦しいですか?」
クリスが手を伸ばしてくる。冷たいそれが、頰に触れる。
「親しい人を殺めたのは、怖かったですか?」
「……クリス」
「わたしを救うというのはそういうことですよ」
なぜ、目の前の少女は微笑んでいる。
「わたしを救うというのは、あなたが傷付くということです。あなたの周囲の人が傷付き殺されるということなんです。今だって怒っていますよね? あなたを利用して探偵社に取り入ったわたしを、あなたを裏切ってギルドへ戻ったわたしを、あなたに銃を握らせたわたしを」
「ああ」
「それが本当のわたしです。誰かを傷付けてでも利用してでも、裏切ってでも、わたしは利己的に生き続ける。それがわたしです。幻滅したでしょう?」
ふと、その笑みが崩れる。
「……だから、あの日々にいたわたしを、国木田さんには忘れないで欲しかった」
「……わかっていたのか、全て」
自分が疑われることも、探偵社に監禁される身になることも、こうして敵として国木田に扱われることも。その上で彼女は最後の日に国木田を呼び出したというのか。
あの日を境に、全てが己の敵に回るとわかった上で。
――また、明日。
あの別れの言葉を。
「乱歩さんなら敵に寝返ったわたしを軍警に引き渡す前に、ひとまず探偵社に監禁して今後のギルドの動きを吐かせる時間をくれるだろうというところまでは。まだ戦争は終わっていませんし、わたしの諜報員としての仕事も終わっていませんからね」
「……探偵社に保護ではなく捕獲されたのなら、ギルドに生死を含めた情報が渡らないと踏んで、か」
「さすがに死を偽装する気はなかったんですけど……フィーがわたしの大切なものを取り上げようとするので、仕方なく。敵から逃れるには死んだと思わせるのが一番手っ取り早いですから」
クリスは微笑んでいた。手がそっと頰の輪郭を撫でてくる。優しいその手つきを、微笑みを、国木田は知っている。
知っているのだ。
けれどその手はすぐに国木田から離れた。ぱた、と無造作にベッドの上に放られる。無抵抗のまま、クリスは国木田を見つめている。
「どうします? わたしを殺しますか? それとも犯しますか?」
どこか楽しげでもあるそれは投げやりだった。男に襲われ怯えていた少女と同一人物とは思えない。
そうだ、同一人物とは思えない。目の前の彼女は一人の女だった。幼さなど欠片も見当たらない。夜のベッドの上で男に押し倒されているにも関わらず、悠然とされるがままになっている。
触れただけで怯えるあの少女ではなかった。楽しげに笑うあの少女とも違った。舞台の上で喝采を浴びる少女とも、わからないと言いながらも「どうして」と繰り返す少女とも違う。
亜麻色の髪がシーツに散らばっている。月明かりが白い肌を照らし、青く美しい目が国木田を乞うように見つめている。
「……勘違いをするな」
低く囁き、国木田は目の前に横たわる女へと手を伸ばす。