第2幕
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***
突然の事態だった。目の前に長らく姿を見ていなかった少女がいる。普通ならばその再会に歓喜すべきなのだ。けれど彼女は今、強大な異能力を行使して国木田達を襲っている。
ちらと後方を見ても、与謝野の姿は見つけられなかった。助けに行きたくとも暴風があらゆる方向から国木田を圧してくる。受け止め抗うだけで精一杯だった。賢治も谷崎も身動きが取れない。男三人が動けないでいる中で、一人、彼女の周囲だけは切り取られたかのように静かだった。
凛と立つ背。真っ直ぐな青の眼差し。引き結ばれた口元。風を全く受けずにいる亜麻色の髪。
暴風吹き荒れる中で、ただ一人異質な者。
それが彼女の正体を現している。
――クリスが、異能者。
その事実だけでも衝撃は大きかった。諜報員で、異能者で、そして――ギルドの人間。
「……あなたは、裏切ったのか」
そんなはずはない、と叫びたかった。しかし声を出せるほど呼吸に余裕があるわけでもなく、出せたとしても風圧で耳が使い物にならなくなっている。五感の多くが阻害されていた。
ふと、寒気がした。風による冷たさではない。怖気でもない。冬の寒さに似た、例えるなら冷蔵庫の戸を開けた時のような、冷気が顔に当たる感覚。
「……ッ!」
反射的に見上げた先に氷柱が現れていた。巨大なそれは杭のように落ちてくる。
――ドドドドッ!
膝、足首、脇の下、腰、あらゆる関節を挟み込むかのように氷の杭が地面に突き刺さる。完全に動きを封じられた。
「しまった……!」
思わず声が漏れる。その予感に違わず、刃が向かってくる。
――銀色の。
頰を、耳を、首元を、太腿を、足の甲を、それは氷の杭もろとも掻き切った。氷が血飛沫と共に弾け飛ぶ。全身に皮膚と肉の裂かれる痛みが走る。
「ぐおッ……!」
勢いよく後方に吹き飛ぶ。横転し、全身を強く打った。
「ぐ……!」
風が傷口に侵入し痛みを増幅させる。その冷たい痛みに、そして視界を横切っていった銀色に、国木田は呻く。
「……ま、さか」
銀色の、風。それを、国木田は見たことがある。
あれは、そう。クリスと初めて出会った日、太宰と共に夜の倉庫で仕事をした時。太宰を傷つけられなかった銀色を呈した鎌鼬。
あれも、彼女が。
視界の端で賢治が駆け出す。手には折れて放置されていた道路標識。賢治はよくそれを武器として好んだ。無論、使い慣れている。その怪力もあって、暴風の中で標識を振り回すなど軽いものだ。
「よーい、しょっと!」
賢治がそれを杖のように地面に突き立て、棒高跳びの要領で空に跳ぶ。クリスの上を飛び越え片足で着地すると同時にくるりと回転、クリスへとそれを薙ぐ。草を刈る鎌のように振り回されたそれにクリスが振り返ることはなく――彼女の背後で、標識は輪切りにされる。
「え……?」
突然手の内からこぼれ落ちたそれに、賢治が目を見張る。刹那、クリスの目が鋭く輝いたのを国木田は見た。
「賢治! 避けろ!」
声はやはり暴風に掻き消える。それでも賢治には届いていた。瞬時に膝を柔らかく曲げ伸ばし、後方に跳躍。クリスから距離を置こうとする。
しかし。その体を裂くように、血が噴き出した。
「あ……」
賢治が目を見開いて己を、己の胸元を、そして背を向けたままのクリスを見つめる。クリスの生み出す風の刃はどこまでも駆けていく。攻撃範囲限界など、なかった。
突風が賢治を押し出す。そのままその体は宙を滑空し、背後のビルへ勢いよく突っ込んだ。轟音、粉塵がぶわりと立ち上り、瓦礫と化した外壁が地面へと雪崩落ちる。
「賢治!」
「国木田さん!」
谷崎が叫ぶ声が消えかけながら聞こえてくる。
「攻撃が広範囲すぎます! 【細雪】で姿を消しても、逃げ切れない……!」
クリスの攻撃は局所を狙うものではない。谷崎の異能は、間隙のない広範囲攻撃相手ではその有用性が落ちる。
圧倒的不利。それも、手も足も出ないほどの。
「くそッ……!」
どうする。どうすれば良い。
目の前に佇む少女を睨みつける。どこまでも真っ直ぐなその青は、何かに耐えるような様子で国木田達を見つめている。湖畔の色はそこにはなかった。あるのはただ、何かを忘れてきたような単調な青だけだ。
どうしてこうなった。どうすれば良かった。また目の前で救うべき対象が倒すべき対象となって立ちはだかっているのはなぜだ。
なぜ彼女は自分達に近付いてきた。なぜ彼女は自分の素性を隠していた。なぜ彼女は今になって牙を剥いてきた。
問いばかりが浮かぶ頭の中で、いつしかの記憶が浮かび上がる。
――わたしを、覚えていて欲しかった。
そう言って何かを捨て去るかのように、彼女は寂しげに微笑んでいた。
そうだ、あの時。あの時、彼女は。
「ッあ……」
不意にクリスの表情が歪む。体を抱き込み、そのまま膝をつく。
「いッ……あ……」
痛みに耐えるかのように、体を丸める。自らの体を激しく掴んだその手から血が滲み出、ぽたりと地面に落ちる。呆然とする国木田の視界の中で、彼女は咳き込む。口元を押さえた手から血が溢れる――吐血。
見覚えのある光景。それは、彼女が最初に巻き込まれた人質事件の時の。
――重傷なのだ。
先程クリスの胸ぐらを掴んでいたポートマフィアの幹部。奴に痛めつけられた少女の体が、限界を迎えつつある。
「クリス……!」
しかしそばに行こうにも傷口に風が侵入し、痛みと暴風が体力を削いでいく。彼女の状態は死に向かう者そのものなのに、この異能力は勢いを弱めない。
彼女がどんなにぼろぼろになっても、彼女は異能を圧倒的な威力で行使できる。
それは危険な力だった。人が扱えるものではない。人が扱って良いものではない。人間が抗えない暴力、それこそを人は「自然」と呼び、神の仕業と思い、耐え忍んでいる。それを彼女はその身に宿し、その身で使役しているのだ。
人の身が耐え切れるものではない。
「谷崎!」
怒鳴り声は谷崎に届く。目を合わせ、頷き合った。
【細雪】は周囲に雪を降らせ、それをスクリーンのようにして上から景色を上書きする異能力だ。広範囲攻撃相手で弱いのならば、使い方を変えれば良い。
改めて、国木田は少女を見遣る。うずくまった彼女は地面に爪を立てて痛みに耐えている。風を微塵も受けていない亜麻色に隠されて、表情は見えない。
けれど、容易に想像はつく。
「【独歩吟客】!」
懐に忍ばせていた手帳の切れ端を取り出す。
「鉄線銃!」
急がねば、彼女が保たない。