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第2幕

夢小説設定

この終焉(おわり)なき舞台に拍手を
本作品の夢主は英国出身北米育ちです。
カタカナでの名前を推奨しております。
名前(ファーストネーム)
名字(ファミリーネーム)
舞台女優名

[Act 2, Scene 1]


 ボォォ、と船が煙を吐いた。
 大きく弧を描いた湾の中に、その港はある。背後に高層建築物の並ぶ都市を持つそこでは今、ちょうど外国からの船が到着したところだった。船から降りた人々は各々、知人との再会に沸き立ち、または見慣れない街を眺めて声を上げ、異国への上陸を楽しんでいる。
 少女もその一人だった。

「ここがヨコハマかあ」

 肩に触れる程度の亜麻色の髪が海風に揺れる。

「噂には聞いていたけど、大きな街」

 白い肌にかかったそれを指で耳にかけ、少女は――クリスは碧眼を眩しそうに細めた。
 彼女の緑にも青にも見える瞳には背の高いビルがそびえ立つ景色が映り込んでいる。ヨコハマ――都会と呼ぶに相応しい、建築物の並ぶ街。それは海外のどの場所とも違い、荘厳で、しかし市民の穏やかな気質を匂わせる柔らかさも併せ持つ、特異な街だ。
 しかしその特異さは市民だけによるものではないことを彼女は知っている。
 ふとクリスの視線がとあるビルへと移った。それは高層建築物群が目につく中心地から少し離れた場所、港からもよく見える位置に佇んでいる。
 天へその身を細長く突き伸ばしているそれは、硬質さを表す色味をもってして街に絶対的な存在感を示していた。それは一般企業の持ち物ではない。この街の夜を、裏の世界を牛耳ぎゅうじる者達の拠点だ。
 嫌でも目に入ってしまうほどのその建物に、彼女はじっと見入る。
 おそらく最上階がこの街の人々を恐れさせる人物の居場所だろう。この街を守る財と暴力と権威の保持者――できるなら、その顔を見ることなく過ごしたいものだ。

「……さて、と」

 スッと目を逸らし、クリスは上空へ両腕を伸ばした。うーん、とうめきながら伸びをする。

「まずは情報屋を探そうかな。……あ、その前に街を見に行こうっと」

 声を弾ませ、少女は見知らぬ土地へと足を踏み出した。


***


「で、ここに来たと」

 パソコン機器に周囲を囲まれた男はようやく顔を上げてクリスを見た。ぱさぱさの短髪のせいか青年にも中年にも見える風貌の彼は、やる気のない様子で耳を掻く。

「うちはそこらの情報屋とわけが違うんだけどな。どうやって嗅ぎつけたわけ?」
「内緒」

 軽やかに言い、クリスは腰の後ろに回していたウエストポーチから機器をいくつか出した。ほとんどが他人の携帯端末だ。それらを、この薄暗い地下室の主へと差し出す。

「これ、いくらになるかな」
「おいおい、五つもどこから手に入れてきたんだよ?」
「ここに来る前に中心街へ行ったら、スリをしている人がいたからその人から一つ。ついでにその人の財布ももらっておいた。あとは路上で子供を囲んでたおじさん達がいたから財布と一緒にもらってきた」
「もらってきた、ねえ……」
「勘違いしないで欲しいんだけど、ちゃんと働いて稼ぐつもりだからね。無一文から始めるよりある程度持っていた方が何かと信頼されやすいからこうしただけ」
「はいはい」

 何か言いたげにしつつ、情報屋はそれらを受け取った。そして一通り中を確認し、大きくため息をつく。待ちかねる子供のように体を揺らしつつ、その様子を眺めた。

「百? 二百?」
「十」
「そっか十か……それって単位は万ドルで良い?」
「万円だ、ここは日本だからね」
「そんなに少ないの?」

 驚くクリスに「何言ってるんだか」と情報屋が肩をすくめる。

「うちはそこらとわけが違う。一般人の個人情報なんざ他を当たった方が高いけど?」
「……君以外の情報屋をまだ知らない。早いところ日本円が欲しいんだけど」

 不満げに言ったクリスへ、情報屋は再びため息をつく。そして机の上から本や機材を押しのけ、何かを探し始めた。ドサドサといろんなものが床に落ちていく。そんな扱いでは、本はともかく機械は壊れるんじゃなかろうか。こちらの心配をそっちのけに、情報屋はお札のような大きさをした白い紙束を引っ張り出した。
 小切手だ。
 情報屋がそれに何かを書き込み、手渡してくる。

「はい」
「……これが報酬ってことか」

 ちらと見れば、五十万円という数字が記入されている。ここの情報屋は小切手で金をやり取りしているらしい。それほどに扱っている情報の金額が大きいのだ。
 何せ、彼はこの国のみならず世界各地の同業者とも繋がりを持っている。

「ちなみに、何でここを知ってたわけ?」
「二十?」

 すかさずたずねたクリスに、少し黙ってから情報屋は渋々答える。

「……十二」

 答えるだけで十二万円。これは良い取引だ。

「うんうん、そう言ってくれると思ったよ。裏社会の情報屋にとってその手の情報は何が何でも欲しいからね。でも、どこかから漏れたとかそういうのじゃないから安心してよ。元同業者ってだけさ」
「国はどこ?」
「それは教えられない」
「……まあ良いよ、それなら納得だ」

 二枚目の小切手を受け取ったクリスへ、情報屋は虫を避けるように手のひらを振った。これ以上ここにいても取引には応じてくれないらしい。余計な情報を渡されることを避けるための、情報屋特有の自己防衛方法だ。
 素直に従い、クリスは部屋を後にする。
 部屋の出入り口の先には薄暗い階段があった。塗装されていないコンクリートの灰色が、ひやりとした空気を作り出している。その階段を上がっていくと、この階段を隠すように雑多に置かれたビール瓶やダンボール箱が見えてくる。その奥に外へと繋がる扉はあるのだった。
 それの取っ手を引く。穏やかな照明が隙間からこぼれ、暗がりに慣れていた目を刺激する。わずかに目を細めつつ、クリスは扉の先へと足を踏み出した。艶のあるフローリングの床へと踏み込む。
 地下室の上にあったのは小さな飲食店だった。いわゆる酒場、バーだ。六人ほどが座れるカウンターだけが客席として準備されており、その奥では一人粛々と手を動かしている店主の紳士がいる。彼の背後の棚に並ぶグラスが穏やかな色味の照明を反射していた。
「private room」と金字で書かれた扉を閉じ、クリスはカウンター席の一つに腰掛ける。店主が軽く頭を下げてくる。ジュース代程度の小銭を置けば、物わかりの良い店主はすぐにアルコールの匂いのないグラスを差し出してきた。鮮やかなオレンジ色の液体に氷が浮かんでいる。持ち上げれば、それはカランと涼しげな音を立てた。
 口をつけ、くいと傾ける。見た目と同じ明るい色の香りが舌の上にへばりつく。くるりとグラスを回し、角を失った氷の表面を見つめた。

「……悪くない」

 この街はちょうど良い。
 裏社会の人間とすぐに接触できる街。それでいて、一般人が普通に過ごせる街。犯罪はそれなりに跋扈しているが、秩序は乱れすぎず、治安は悪いというほどではない。これほどバランスの取れた街はそうそうないだろう。
 加えて、飲み物もパフェもクレープもステーキも美味しい。
 先程街中で食べたものを思い出し、クリスは思わず笑みを零した。食べ物が安全で美味しい、それは何よりも最高だ。
 ――それが趣味以上の意味をなさなかったとしても。
 グラスの中身を飲み干し、店を後にする。店員が頭を下げてくるのを背に扉を開ければ、静かな街の中にベルの音が響いた。平たく叩いて作られた金属のような音だ。木霊はしないものの綺麗な高音を短く奏で、そして余韻もなくすぐに消えていく。
 乾いたその音を聞きつつ、空を見上げる。昼間の色をまんべんなく広げた空がそこにある。

「……昼過ぎくらいかな」

 太陽の位置を見つつ推定する。中心街から少し離れたここは、店よりも住宅の方が多かった。高層ビルの高さに匹敵する建物がないため、空が幾分広く見える。
 砂埃の欠片もない空色に目を細める。
 雲の残るその青の中を、小鳥が一直線に飛んでいく。遠くから車のエンジン音が聞こえてくるだけで、話し声も、轟音も、何もない。以前の国は紛争地だったせいか、この街の静けさが異常のように思えてならない。
 ――最も、その静けさの裏には銃声の耐えない夜があるのだろうが。
 散歩がてら街の中心地を目指そうと、クリスは足を踏み出した。この街にしばらく住むことになる以上、大体の地形や道を把握しておきたい。もしもの時には役立つはずだ。
 空を見上げ、外壁の連なりを眺め、聞こえてくる犬の吠え声を辿りながら歩いていくと、やがて川が見えてきた。整備された、大きくはない川だ。川岸は子供達が駆け回れるようになのか芝生が植えられ、湾曲部はコンクリートで護岸されている。道路といい建築物の並びといい、この街は人の手が多く加えられ整然としていた。
 川沿いでは子供達がはしゃいでいる。水面と平行に石を投げ、それが数度水の上を跳ねていく様を競い合っている。穏やかな、平和な光景だ。それを、クリスは静かに眺める。
 喧噪のない空間。
 久しぶりだ、とクリスは思う。この川辺でひなたぼっこをするのも良いかもしれない。誰かから急襲を受けることはまずないだろう、そう思わせる穏やかな時間がこの街にはある。目の前に騒然とした高層ビルの街並みが見えているというのに、山間の田舎を歩いているかのようだ。これもまた、このヨコハマという街の特徴なのだろう。
 華やかさと落ち着きを持ち合わせた、犯罪と安寧の入り混じる街。

「……ここなら」

 ここなら、きっと。
 きっと、奴は来ない。あの国も目をつけないだろう。仮に見つかったとしても、街に犯罪があり見せかけの平和がある以上、この身は隠し通せる。
 今度はどのくらい長く留まれるだろうか。
 立ち止まり、肩の力を抜いて空を見上げる。先程から見上げ続けていた青が変わらない色味で広がっている、それをさらに凝視する。
 ――記憶の中の青と重なる。
 昼間の穏やかな日差し、整えられた芝生、古びたベンチに座る白衣の青年、その顔に浮かぶ日だまりのような笑顔。
 声。
 目を閉じる。息を吸う。冷えた空気には海の匂いが混じっていた。あの場所にはなかった匂いだ。
 そうだろう、ここはあの場所ではない。遠く離れた国、知り合いのいない辺境の地。今日からここで過ごすのだ。一人で、静かに――ナイフを握り締めたまま。
 逃げ続ける。隠れ続ける。その経過の一部、すぐに終わる安寧。それがこの街だ。心安らぐ時はなく、心を委ねる相手もいない。けれどせめて、何も破壊させず破壊せずにこの街を後にできたら。今はそれだけを願っている。
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