第2幕
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***
事務員の保護を完了し、探偵社は再び奇襲作戦の遂行へと動き出した。既にポートマフィアの武器庫の襲撃、ギルドの輸送機の撃墜を成功させている。先日はギルドがポートマフィアの傘下の企業を襲撃したようだが、戦況が膠着、そして撤退したらしい。それはクリスが通信機を乗っ取り現場を混乱させたせいなのだが、それを知るのは本人と乱歩だけだ。
そして今、彼女はとある場所へ潜伏している。通信機が使えない、身の危険が迫る業火の中へ。それはクリス自らが望んだことだった。そして、福沢が許可したことだった。
全ては、それぞれの望みを叶えるために。
晩香堂の机に突っ伏しつつ菓子を口に含んでいた乱歩は、ふと顔を上げた。目の前に置いたパソコンが信号を受信し、グラフを作り出している。やがて画面にウィンドウが開き、そこに文章が表示された。
それを読み、乱歩は本を片手に碁盤へ向かっている福沢へ声をかける。
「ギルドが動いた」
「場所は」
「生化学研究所だ。陽動で水素精製工場も狙いに来る。両方を押さえたいところだね」
「オフェンスに連絡、急ぎ対処せよ」
「了解」
乱歩が与謝野と賢治に目配せする。二人は頷き、それぞれ携帯電話を手に取った。与謝野が太宰に、賢治が国木田に連絡を取り始める。
「今ってどっちがここの近くにいるんだっけ?」
「国木田さんですね」
呼び出し音を聞きながら賢治が答える。
「んじゃ国木田と谷崎を生化学研究所に、太宰と敦を水素精製工場に配置だ。住所は後で送るって伝えて。あ、その間ここはオフェンスがいなくなるから、ディフェンスは警戒を十分にしてください、だってさ」
「ご丁寧だねえ」
与謝野が微笑む。その直後電話が通じたらしい、電話口に話しかけ始めた。
先日の中原中也の到来を踏まえ、オフェンス組のどちらかは必ず講堂もしくは講堂付近に控えるようにした。ポートマフィアに場所が知られている以上、いつここが狙われるかわからない。ポートマフィアだけではない、ギルドもまた、この場所を探し出し狙いに来るかもしれなかった。
他の二つと比べて探偵社は人数も財力もなく落としやすい。脱落を防ぐには、あらゆる手を使って姑息に行くしかない。太宰も同じ事を考えていたらしく、先日政府機関を引きずり込む作戦を乱歩に伝えてきた。政府機関を味方にするとは姑息どころではなく卑怯とも取られかねないが、この際は仕方がない。こちらは生死が関わっているのだ、手段は選べなかった。現在連絡を取り日取りを決めているらしいが、なるべく早く交渉に移りたいところだ。
「太宰とは連絡が取れたよ」
与謝野が乱歩に告げる。賢治もまた、携帯電話を振りつつ「国木田さんとも連絡が取れました」と言う。
ひとまず手段は講じた。あとはこの場所を守りつつ事態の収束を見守るだけだ。つまりディフェンスのやることはとりあえず終わりということになる。
「……暇だ」
あーあ、と呻きながら乱歩は机に突っ伏した。
***
賢治からの連絡を受け、国木田は車を運転していた谷崎に詳細を告げた。住所は連絡を受けた直後にメールで来ている。晩香堂からいささか距離が空いてしまうのが難点だが、ディフェンスが持ちこたえる事を願うしかない。
「手早く終わらせるぞ」
「はい」
谷崎がアクセルを大きく踏み込む。エンジン音が高まり、国木田は体にかかる重さが増したのを感じた。それは緊張感と共に国木田の身を引き締める。
「……クリスちゃんのこと、心配ですか」
唐突に谷崎が言う。国木田は一瞬言葉に詰まり、そして首を横に振った。
「……彼女は自ら敵地に乗り込んだ。それを社長は受け入れている。ならば俺が思うことは何一つとしてない」
「本当にそうなんでしょうか」
「そうだ」
谷崎の呟きに、国木田は反射的に言い放った。
――そうでもしないと、考え込んでしまいそうになる。
クリスがギルドの本拠地を突き止め、そこに自ら乗り込んでいったのは昨日のこと。彼女は探偵社の間諜となる代わりに自らの身を守るように要請していたはずだ。なのになぜ、そうして自らの追っ手の懐に飛び込んでいくのか。彼女の使命感か、もしくは。
間諜のためにと思わせておいて、味方の元に戻ったか。
今の国木田には「前者であって欲しい」と願うことしかできない。後者でないと言い切る根拠を持ち合わせていないからだ。もし後者ならば今のこの出動命令すら彼女の仕掛けた罠である可能性が出てくる。正直、そこに思い至りたくはなかった。
「クリスちゃん、昨日連絡してきたのを最後に通信機が通じないんですよね」
エンジン音に谷崎の声が混じる。
「乱歩さんのパソコンがクリスちゃんからの特殊な信号を受け取ってるらしいですけど、こちらから通信を試みることはできないって……彼女の最後の通信を受け取ったの、国木田さんでしたよね? 何か言ってませんでした?」
――手筈通りに、と福沢さんにお伝え下さい。
福沢と乱歩が席を外していた時に通信機のそばにいたのが国木田だった。だから彼女の通信を受け取り、その伝言を聞いた。
手筈通り。
その言葉が示す事象を、国木田は知らされていなかった。問い詰めようにも通信は一方的に切られ、その後何度呼び出しても通じなかった。
伸ばした手が届かない。呼ぼうとした名が喉につかえる。いつの間にかその姿は消え、どこにいるのかさえもわからず、その目的すら不鮮明で。
彼女は一体何者なのだろう。こうして戦闘員として関わっているとわからなくなってくる。以前は普通の一般市民、それも演技力に才のある舞台女優、ただそれだけだった。けれど今の彼女は諜報員であり戦闘の援護もでき、治療行為もできる上敵か味方かさえ判然としない。
彼女は何者なのだろう。クリス・マーロウとは何なのだろう。
答えはどこにもない。
「国木田さん?」
「……さよなら、と」
「え?」
「そう、言われた」
――通信はこれで最後です。国木田さん、さよなら。
「谷崎はこの言葉の意味がわかるか」
「え? ええと……帰って来れないことを覚悟して、とか……?」
「そうか」
そうなのだろう。その言葉は、別れの言葉なのだから。
「……そうか」
呟く。いつの間にか爪の食い込んだ手のひらを見つめ、国木田は再度「そうか」と呟いた。
***
太宰達もまた、現場へ急行するためタクシーに乗り込んでいた。行き先を告げ、タクシーが動き出したのを感じつつ、敦は太宰へと話しかける。話題はタクシーに乗る前から続いていた、とある少女についての議論だ。
「……太宰さんは、クリスさんを疑っているんですか?」
「可能性の話だよ」
タクシーが右へと大きく曲がっていく。体が遠心力に負けて左に流れていく。必死に抗いながら、敦は太宰に身を乗り出した。
「どうして……!」
「彼女がギルドに詳しいからだ。それも、かなりの精密さがある」
「それはそうですけど……でもクリスさんの諜報の腕は確かなものじゃないですか。豪華客船の時だってすんなりと船内に潜入していたし……ギルドに詳しいってだけで疑うのは」
「普通はそうかもしれないね。けれど敦君、今私達が相手にしているのはただの組織じゃない、北米の秘密結社――都市伝説とまで言われている異能組織だ」
太宰は遠心力に逆らうことなく体を揺らしている。その悠然さが羨ましくもあり、歯がゆくもあった。
「敦君。君はポートマフィアと何度か交戦したけれど、その中で何人の異能者を把握し、その異能力の詳細を知っているんだい?」
「それは……」
「彼女は今回この街に来た異能者のほとんどを知っている。それは不自然なことなのだよ。例え彼女が諜報活動の末その情報を得たとしても、なぜ最高機密である彼らの異能力の詳細まで知っているのか? その答えとして相応しいのは『彼女が諜報活動以外で彼らと深く関わっていた』という仮定だ」
太宰の流暢な話に敦は反論することができない。
クリスはなぜあんなにもギルドに詳しいのか――確かに、それは思った事がある。彼女はギルドの異能力者全員に関して、その外見だけではなく発動条件や利点、欠点までをも把握していた。彼らと一悶着あったというのが彼女の言い分だが、それだけで彼ら全員の異能力の詳細を把握できるものだろうか。
それに、モンゴメリに襲われたあの時。
モンゴメリはクリスを知っているようだった。そしてクリスはモンゴメリに何かを話して欲しくなさそうだった。あの時は色々と騒動が重なって聞きそびれてしまったけれど、彼女がギルドに関する何かを隠していることはわかる。
「ここからは仮定の話だけれど」
太宰が世間話のような気軽さで続ける。
「彼女がギルドの人間だったとしたら、この不自然さは綺麗に解決する。その仮定を踏まえると私は彼女を信じ切ることは妥当ではないと思わざるを得ないのだよ」
「それは……そうかもしれないですけど……」
「あくまで仮定、だけれどもね」
タクシーが大きな施設の前で止まる。ここが陽動としてギルドが狙ってくるという水素精製工場だ。水素は引火によって巨大な爆発力を発する。おそらくギルドの狙いはここの爆破だろう。
もう一つの標的である生化学研究所ではウイルス関係の研究もしているという。そちらは何かしらのサンプルを奪いに来るだろうというのが太宰の見解だった。
「さて、敦君」
タクシーから降りて大きく伸びをし、太宰が明るく言う。
「不審な存在を見つけたら教えておくれよ。この太宰治が華麗にちゃちゃっと終わらせてみせよう!」
「……あ、犬」
「それはナシで!」
野良犬がとっとこと道を歩いていくのを眺めつつ、敦達は周囲を捜索することから始めた。