第2幕
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***
道路へと向かいながら、クリスは胸の前で手を握りしめた。拒むように掴まれた時の国木田の体温がまだ残っている。おぞましくさえ感じるそれを拭い取るように、強く逆の手のひらで擦った。
現場に到着した際にはすでにラヴクラフトとの戦闘になっていた。道路上は木々に阻まれていて通行は不可能。完全にあちら側に有利な状況だった。逃げろと伝えたはずなのに、と思いながらクリスはスタインベックの張り巡らせた枝を全て鎌鼬で切り裂いた。それだけで十分だということはわかっていた。人目があれば、異国の人間である組合は好き勝手ができなくなる。
あとはトラックが突っ込むのとタイミングを合わせてラヴクラフトの腕を切り裂き、国木田と谷崎を風で森の中に運ぶだけだった。
二人を助け出した時、クリスは苛立っていた。自分がいながら探偵社員は相手の異能力により大怪我をした、これでは情報を前もって渡す役割の意味がない。全てを呈して情報を集めているこちらが損だ。
いや、とクリスは立ち止まる。
損得じゃない。単純に、嫌だった。あの人達が傷付くのが。どうしてかはわからない。けれど、なぜか、嫌だった。どうしていつもそうなのだと問い詰めずにはいられなかった。
理解できなかったのだ。クリスにとって生存は強者の特権だ。弱者を虐げ利用し自分だけが危険から逃げることでクリスは生きている。けれど探偵社の――国木田のやり方はまるで逆なのだ。わけがわからない。自分の命を危機に晒してまで誰かのために何かをする理由がわからない。
――わかってはいけない。
ふと国木田の眼差しを思い出す。それは、かつて共に談笑した人が向けてくれていたものとは違っていた。相手を探り、その真意を疑う目だった。それで良いのだ、それが正しい反応なのだ。そうして今まで必要以上に優しさを向けていたことを、後悔してくれたのなら。
それで、良い。
なのにどうして胸は苦しい。
「……ごめんなさい」
それは探偵社へ、そしてかつての仲間であったギルドの皆へ向けた言葉。自分は結局偽善者なのだ。見捨てきることもできず味方という立場になりきれるわけでもない。そうしなければいけなかった。自分が生き残り、生き続け、死なないためにはそうするしかなかった。そうするしか、わからなかった。
あの頃から何も変わっていない。
――お、願い……! 全部……全部、壊して……!
自分の中の恐怖を可愛がり守り優遇するために、わたしは――わたしのために周囲の全てを見捨て、殺す。
あの人さえも。
――それの気配にクリスは息を呑んで足を止めた。
それは背後にゆらりと姿を現す。それが幻覚であることはわかっていた。しかし頭を振れど目を瞬かせど耳を塞げど、発狂し泣き叫べど、それは消えずにクリスの中に留まり時折こうしてあの日を思い起こさせる。
化け物だ。ラヴクラフトに似た、しかしラヴクラフトよりも残酷な生き物。
おびただしい数の腕、足。腹から溢れる臓器は床を引きずり、骨格を失った顔は平たく歪んで、剥き出しになった舌から唾液をこぼす。声を発する機能を失ったその口を大きく開けて、胴から生えたいくつもの手を伸ばし、それはクリスを掴んでくるのだ。生温かい体温が肌に浸食してきて、その腹からこぼれる中身をボタボタと降らせて、そして。
わたしは。
これを。
「……う、あ」
目眩に足元が揺らぐ。崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。両腕を掴んで全身を抱く。動悸が酷い。頭が痛い。吐き気がこみ上げてきて、生理的な涙が目尻を濡らした。不快感をどうにか飲み込みつつ、クリスは息を吐き出す。途切れがちになる吐息、それでも視界の歪みは直らない。意識を引き留めるように、外套越しに強く腕に爪を立てる。震える全身に鮮明な痛みが突き刺さってくる。
しばらく深呼吸を繰り返す。そうしていないと、悲鳴が喉からあふれ出てしまいそうだった。