第2幕
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***
組み敷いたギルド構成員を前に、国木田は短く息を吐く。
ナオミと春野を彼らの前から逃がすことには成功した。樹木の異能力者を押し倒しねじ伏せることにも成功した。社長からは「事務員を逃がしたら退け」と言われている。先程の乱歩からの連絡では「木に触れさせるな。あと、黒い方からは逃げろ」という助言とも言い難い助言をもらった。
ということは、これ以上は逃げるという選択肢しかない。
一番手っ取り早い方法は、異能力【細雪】で姿を消すことだ。しかし相手は木を媒体に相手の場所を把握できる異能者。姿を消しただけでは逃げ切れない。やはり軍警がここに来るまで持ちこたえる元来の作戦で行くのが正解か。あらかじめ通報してあるとはいえ、警察車両が到着する気配はまだない。
頭の中で今後の計画が順次積み上げられていく。整然とした国木田の脳内は、いついかなる時も己の理想を基盤に確実な作戦を組むことができた。
しかし。
「国木田さん!」
突然谷崎が警戒を促すように鋭く叫ぶ。思考が途絶える。同時に背後で立ち上がる黒い気配に気付いた。何事かと振り向く。
そして、驚愕した。
「何……?」
銃弾を撃ち込んだはずのその体を奇妙に曲げ、ラヴクラフトが立ち上がる。その動きは人間ができるものではない。
「くッ……!」
国木田は黒い男へ数発撃った。しかし効かない。これがこの黒い男の異能力か。
拳銃が効かないとなると国木田と谷崎に手段はない。「黒い方からは逃げろ」というあの言葉は、こういうことか。しかし敵わないのならそれで良い、今回の目的は事務員の救出であって敵の殲滅ではない。
「谷崎! 姿を消してこの場をしりぞ――」
怒鳴る。しかしそれを言い切る前に、男がゆらりと腕を揺らした。
それが、うねる。太い蔦、もしくは太い蛸の足がいくつも重なったかのようなそれは、増大し、谷崎へと突進する。
姿を消せ、と言う暇もなかった。
――ドッ!
谷崎がいた場所には異形の腕が勢いよく伸びていた。息を呑む間もなく、その腕は国木田にも向かってくる。
避けられない。
蔦が国木田を絡めとり、そのまま勢いよく背後の崖へ叩きつける。
――ドゴォッ!
背骨を打ち砕くかのような痛み。全身を駆け巡る衝撃。胴の骨が何本か折れた音がした。
「くはッ……」
体が軋む。圧迫された肺が呼気を漏らし、視界がちかちかと揺らぐ。
「形勢逆転だね」
スタインベックが立ち上がり、こちらを見上げてくる。横目で見れば、谷崎もまた内臓に傷を負ったらしい。血が彼の口端を伝ってこぼれていく。懐の手帳の切れ端を使おうにも、完全に捕らわれているため身動きが取れない。
形勢逆転、こちらは手の打ちようがない。
「うーんとね、ああいたいた……よし、業務終了!」
明るい声でスタインベックが言う。首には木の枝が再び生え、事務員達を再び捕縛したことを表していた。
どうする。どうする国木田。
自分に問うも答えはない。軍警の到着を待つしか、方法は思いつかない。けれどスタインベックはすでに周辺の木を制御下に入れている。軍警の車が来ていると知れば、木を倒して道を塞ぐなり手段を取るだろう。現に今そうしているかもしれない。
「さて、目的の方々は捕まえられたけど、この二人はどうしようか?」
スタインベックが首を傾げる。ラヴクラフトがもぞりと窮屈そうに体を動かした。
「連れて行く、か?」
「うーん、さすがに四人も連れて行ったって邪魔になると思うんだよね。うちの本拠地は来客用の部屋は少ないから。でも殺してから後で怒られて減給されるのも嫌だし……取り敢えず連れて行こうか」
要らなかったらその時殺せば良いからね、と言い、スタインベックはラヴクラフトに視線を送る。ラヴクラフトが頷く。
国木田は腕の自由を得ようと体を捩った。が、ラヴクラフトの拘束は緩むことなく、しっかりと国木田を捕らえている。折れた骨が内部に刺さっているのか、激痛が絶え間なく国木田を襲う。
せめて懐の手帳に、もしくはその紙切れに手が届けば。
「ナオミをどうする気だ」
ふと、冷徹な低い声が谷崎から上がった。ハッと谷崎を見る。その目は激昂に光り、狂気を感じさせた。
妹のこととなると、谷崎は暴走する。それが成功するならば良い。しかしこの捕らわれている状態で敵を刺激すれば、自分達だけでなく彼女達の命も危うい。
「谷崎、待て」
「さあ。担当じゃないから何とも。監禁か拷問か……」
律儀に谷崎へ答えたスタインベックが、突然言葉を失い体をよろめかせた。ブツ、ブツ、と彼の首から生えていた枝が次々に切れていく。冬を思わせる冷たい風が国木田の元へも流れ込んできた。
風。
それが僅かに銀色を呈していたように見えたのは気のせいか。
「まずい……!」
一人呟き、彼は再び首元に種を植え付け枝を伸ばす。
「どうした?」
ラヴクラフトが無表情でスタインベックの顔を覗き込む。スタインベックの表情からは余裕が失せ、焦りが現れていた。痛みにゆがめた顔、額には汗がにじんでいる。何があったのか、国木田にはわからない。けれどギルドの人間達にとって良くないことであるのは間違いなさそうだ。
「いや、ちょっとね……枝が切られたな」
「枝……」
前もって与えられている情報によれば、彼の異能力は木々と感覚を共有する。痛みすらも共有するということか。
「車数台がこちらに向かってきていたから、足止めに枝を張り巡らせて道を塞いでたんだけど……それもろとも、制御していた木から僕の異能がほぼ全て切り離された」
「人質は、どうした」
「その点は安心してよ、ちゃんと繋ぎ直した。彼女達の捕獲は任務だからね、何があっても成し遂げるさ。……僕達以外に人の姿はないな」
スタインベックが国木田を一瞥する。
「君達探偵社には、刃物を扱う異能者はいるかい? もしくは宙を飛べる異能力者は」
「刃物だと?」
そのような異能者はいないが刃物くらいなら誰でも扱える、と答えるのが妥当だろう。が、あいにく敵に身内の情報を伝えるほど優しくはない。
「どうだったかな」
「……ラヴクラフト、急いで戻ろう。嫌な予感がする」
しかし彼らの判断は遅かった。遠方から車が姿を現わす。トラックだ。
「ッ……!」
明らかにスタインベックが狼狽する。彼は先程「道を塞いでいた」と言っていた。とすればあの車はギルドにとって予想外なのだ。
彼らが恐れるのは警察車両だけではない。一般人にこの状況を見られては、いくら財のあるギルドと言えど後処理に手惑うだろう。人は記憶する。そして出来事を他者に伝える生き物だ。だから彼らはあらかじめ道を塞いでいた。警察車両の到着が遅いのもそのせいだったか。
けれど、現に今、トラックが走ってくる。
「……あれは」
国木田もまた、救世主とも呼べるはずのその鉄箱の動きに息を呑んだ。こちらに気付いていないのか、真っ直ぐに突っ込んでくる――車線を外れて。
視界の端に雪が舞う。
【細雪】だ。
谷崎が、トラックの運転手に幻を見せて、ギルドの人間達にトラックを突っ込ませようとしている。
「ラヴクラフト!」
何か指示を出そうとスタインベックが叫ぶ。しかし間に合わない。国木田はトラックの衝突による衝撃に耐えようと目をきつく閉じた。
瞬間。体の拘束が、消える。体が柔らかな何かに包まれ宙に浮く。そして。
「息を止めていて」
風の中から、少女の声を聞いた。