第2幕
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[Act 2, Scene 12]
ミッチェルとホーソーンを送り届けた後に伝えられた探偵社からの危急の知らせは、非常に良くないものだった。クリスを乗せた突風が勢いをなくし、ふわりと彼女を近くのビルの屋上に下ろす。
「なるほど」
街を見下ろしクリスは目を細める。
「それは厄介だ」
『今国木田と谷崎が事務員の救出に向かってる。けどポートマフィアのやり口を考えると、ギルドの二人と鉢合わせする可能性が高い』
通信機からは緊張感のある乱歩の声が聞こえてきている。
『彼らの異能力を教えてもらえる?』
「構いませんが……かなりまずい状況であることは確実です」
緊迫した乱歩の声とは反対に、いつもと変わらない平穏さを纏いながら、風はクリスの頬を撫で上げていく。クリスは宙に向かって手を伸ばした。指と指の間を縫う空気の流れを感じる。
「黒くない方の異能力者はジョン・スタインベック。葡萄の木と感覚を共有する異能力者ですが、問題なのは周囲の木とも感覚を共有できるため地面越しだと位置が知られてしまうこと、遠隔で木を操るため逃げるのが困難であることですね。標的の捕獲には最適な異能者です。木に触れさせなければ問題ありません。彼から生えた木はもぎ取ってしまえば良いかと。黒い方は……とりあえず逃げてください」
『うーんと、その黒い方の異能力者の対処法は?』
「ありません。とにかくすぐに逃げろと二人に伝えて下さい。ラヴクラフトはもはや異形そのものです」
『それって人間なの?』
「さあ?」
しばらくの沈黙の後、『ありがとう』と乱歩が通信を切る。イヤホンから手を離し、クリスは眼下の街並みを見下ろした。
「よりによってラヴクラフトか……えぐいなあ」
彼の異能力は異能力とは呼び難い。もはや異世界の生き物のようにすら思える。実際に姿を見たことはないものの、彼の噂は聞いていた。
「まあ確かに、〈本〉のためなら敵に情けはかけられないか」
ポートマフィアが探偵社の事務員を餌にギルドの異能力者を誘い出した。この一報により、探偵社のオフェンス組はいずれも事務員救助に動くことになる。事務員の避難先近くにいた国木田と谷崎が事務員を逃し、太宰と敦は逃げてきた事務員を匿う。当面、探偵社による奇襲作戦は滞ることとなった。となればクリスの出番はしばらくはない。
「……スタインベックか」
懐かしい名だった。彼はフィッツジェラルドを嫌っていたけれど、まだギルドにいたらしい。少し考え、クリスは通信機に手を添えた。
「――乱歩さん。わたしも国木田さん達のところに向かいます。場所を教えていただけますか?」
『……別に行かなくても大丈夫だと思うけど』
乱歩の声は訝しみを含んでいる。クリスが積極的に動こうとしていることに警戒しているのだろう。それは適切な反応だ。クリスを甘く見てはいけない、それをこの名探偵はよくわかっている。
世界の全ての人間がこうであったのなら、誰もクリスのせいで傷付くことはなかっただろうに。
「その……言いにくいことなんですけど、そちらに向かっている黒くない方の人、知り合いなんです」
『それで』
「……顔を、見ておきたいんです。ちゃんとさよならができなかったから」
嘘ではなかった。
『……あっそ』
淡泊な相槌の後、乱歩はクリスへと許可を出した。ありがとうございます、と礼を言って通信を切る。すぐさま片手を広げ、突風を呼び出した。屋上を蹴り、高く飛翔、離れた屋根へとふわりと降りる。跳ねるように次の突風に乗り、電信柱や家の屋根を足場に宙を跳ぶ。
空中を一直線に跳ぶこの方法は直線的に移動できるため時間がかからない。以前、賢治捜索に出た敦を追いかけた時の方法だ。しかし持続力がない。突風の勢いがなくなると降下する。その度に一度地に足をつけなければいけない。
けれど、とクリスは目的地へと急ぎながら思案した。
今回、敵にスタインベックがいる。地に足をつけたが最後、彼に認知され捕縛されてしまう危険性があった。乱歩から聞いた目的地は周辺に木々が生い茂り、スタインベックの格好の場となっている。木や地面に直接触れずとも着地の振動が彼に感知される可能性があった。
目的の旅館が見えてきた頃、クリスは近くにあった電信柱の上に降りた。ここから先は地面に足をつかないように移動した方が良いだろう。
「初めてだけど、できるかな」
旅館へと指を伸ばす。直径十センチメートルほどの薄氷が宙に現れ、飛び石のように旅館への道を作り出した。光の反射でようやく目に映るそれは、気を付けていなければ見逃すほどに透明度が高い。
弱い風を足にまとい、膝を曲げて薄氷目指して跳ぶ。ふわり、と風がクリスの体を支える。
コン、と硬質な音を立てて、クリスは薄氷の上に乗った。成功だ。安堵し、ほっと息をつく。
と、旅館の方から悲鳴が聞こえてきた。おそらく、事務員がスタインベックに捕縛されたのだ。彼は仕事に従順だ、餌たる事務員を殺しはしないだろう。そちらは国木田達に任せて問題ないはずだ。
社員達がこちらの警告通りすぐにその場を離れてくれたのなら、何も問題はないのだが。
「……とりあえず、行こう」
再び跳び上がり、次の薄氷を踏む。コン、コン、と微かな音を立てながら、クリスは宙を跳ねていった。