第2幕
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***
探偵社との通信を切り、クリスは芥川へと向き直った。クリスの足元は彼の攻撃で抉れている。
「貴様、やはりギルドの者か」
咳をしながら問う彼の顔色は悪い。先日の敦との戦いがまだ影響しているのだろう。しかしそれでも戦場に現れ、そしてホーソーンとミッチェルを同時に葬る実力と意思の強さは侮れない。
以前手合わせした時よりも、格段に強くなっていた。攻撃の規則性がなくなり、さらに攻撃を繰り出す間隔が短くなっている。その上、あの多彩な攻撃方法。防御はともかく攻撃に関してはクリスの知る中でかなり厄介な部類に入る。この短期間でそれほど上達するとは。
ス、と視線を逸らす。敵意のなさを示す行為だった。
「今は探偵社の飼い犬だよ」
クリスの答えに鼻で笑い、芥川はクリスの横を通り過ぎた。そこに戦意はない。殺意は衣服同様常に纏われているが、それがクリスへと向けられることはなかった。
「ならば飼い主に伝えよ。次はそちらだと」
「飼い犬は主人にだけ忠実なんだ。主人以外の人間の言うことを聞くかは気分次第」
「ふん、よく吠える。……先日の続きをと思ったが、生憎貴様とやり合う暇も命もない。首を洗って待っていろ」
「そのようだ」
似た者同士だね、と言おうとした。クリスの煽りめいたそれに芥川が不快感を露わにするだろうことは目に見えている。けれど今日の彼はクリスを攻撃できない。だから、言おうとした。そうすれば次回会った時、真正面から策略なしに戦おうとしてくるからだ。真っ直ぐな怒り――その方が策略を得意とするクリスには都合が良い。太宰の名でも適当に出せば勝率はさらに上がる。
「……いや、似ていないか」
けれど、実際に口にしたのは全く別の言葉だった。
芥川が怪訝そうに黙る。それへと、クリスは首を振ってみせた。
「仇敵を前にしても、ボスからの命令に必ず従う……太宰さんが絡まなければ随分と利口な忠犬のようだね。そんなに太宰さんが重要?」
「……貴様に何がわかる」
「何も。何もわからないよ。そういうものは全部捨ててきたから。だからわたしとは真逆な人だなとね。君ほどの執着心はもはや憧れですらある」
「ふん、愚者め」
「……何だって?」
返ってきたのは酷くあっさりとした罵倒だった。驚きのままに声を漏らす。それへと芥川は目を眇め、疑心めいた嘲りの表情を見せた。
「捨てた、だと? 貴様のような弱者にそれができるわけもない」
「弱者? へえ、言ってくれるね」
「真理だ」
真理だ、と芥川は再度言った。
「弱者はことごとく真理を解さぬ。強者に歯向かう、戦わずして生を求める、捨てることのできぬものを『捨てた』と豪語する。――捨てられるはずもなし。これは」
傷の癒えていない拳が、彼自身の胸元へ当てられる。
「そういうものだ」
「……しがらみなんて忘れてしまった方が良い。その方が……きっと、君はもっと強くなれる」
「愚問、笑止」
わずかに、芥川の口端が上がった気がした。
「しがらみ、だと?」
――太宰のことだ、芥川のことは既に把握しているだろう。むしろこの妄信を利用しようとするかもしれない。否、彼の妄信すら太宰の策略で、もはや利用し始めている最中なのかもしれない。
「僕は何をも足枷にはせぬ。しがらみすら呑み込み糧とし、強きを得るまで」
それをわかっていながらも、彼は手の届かないかつての師を追い求めているのだろうか。
――なんて愚かなんだろう。
そう言いたかった。嘲笑いたかった。全てを捨て去った方が良いに決まっている、友であれ師であれ敵となった以上は敵意以外の感情は持つべきじゃない。
全てを殺して排除していかなくては。
いつか、足元を掬われる。
「……そう」
乾いた吐息は港の波の音に掻き消された。
体を引きずるように立ち去っていく芥川を見送る。そしてクリスは目の前の瓦礫の山に歩み寄った。血だまりが広がりを止めている。
迷いながら手を宙に伸ばした。
「……【テンペスト】」
風が瓦礫を持ち上げ、粉微塵に砕く。宙に流れていった砂を目を閉じて避け、クリスはそっと瞼を開けた。
人が二人、倒れ込んでいる。男性の方は出血こそ多いが息はある。彼を庇うようにしがみついた女性の方が危篤だった。
「ミッチェル、ホーソーン……」
彼らは敵だ。しかし。
「……見捨てることができないのは……弱者、だからかな」
芥川の言う通りだ。捨てたと言いながら、その実、全く捨てきれていない。
クリスは彼らの横に膝をついた。女性に手を差し伸べ、男性の横に仰向けに寝かせる。顔についた塵や血を拭い全身を調べた。自分の所持品を使うわけにもいかない、ナイフで彼女のドレスの裾を裂き傷口に巻きつける。
止血が間に合うとも思えない状態だった。生きているのが不思議なほどだ。出血量も甚だしく臓器の損傷も激しい。どの手を尽くせば彼女に宿る生命力の助けになるというのか皆目見当も付かない。しかし何もしないよりはましだろう、とクリスは手当を進める。
続いて男性の方も手当を施す。そばに落ちていた十字架の血を拭い、綺麗にして胸元へ置き直した。
二人の容態は思わしくない。今後は戦力にならないだろう。となれば、フィッツジェラルドが作戦をどう進めてくるかが気になるところだ。おそらく何か手を加えてくる。それが事前にわかれば、探偵社はかなり優位に立てるはずだ。
しかしギルドはこの豪華客船を爆破された。本拠地をどこに移すか、そこから探り直さなくてはいけない。本拠地の詳細がわからない限り侵入は不可能。こうして正面から爆撃を受けたのだ、今度の本拠地はいくらあのフィッツジェラルドとはいえ秘匿してくるだろう。戦況は刻一刻と変化する、本拠地の選出に時間を使いたくはない。
けれど、とクリスは立ち上がった。あれほどの爆発にギルドが気付かないわけもない。じきにギルド側が救援を寄越してくるはずだ。そしてその時この場に来るのは、きっと。
「……ごめんね、グランパ」
気配がした。それは、上空遥か彼方から降ってくる。光だ。繭のように何かを内包したそれは、重力落下よりも速く地へ降り立つ。衝撃波が一帯に強風を生じさせた後、光の繭が解けた。
「懐かしい客だ」
金色の光に包まれながらそこに立っていたのは、白ひげを蓄えた老人だった。彼は優しげな目元でクリスを見、微笑む。その眼差しの柔らかさは記憶にあるものと同一のもの。
懐かしい相手だ。
「背が伸びたようだな」
「そうかな、自分だとわからないや。あなたは変わりないね、……メルヴィル」
「……そう呼ばれる時が来ようとは思わなんだ」
「もうわたしはあなたの仲間ではないから」
彼を包んできた金色の光が宙に消える。メルヴィルはクリスの背後に並ぶ二つの体に悲しげに目を伏せた。
「……至急連れて行こう」
「お願いするよ。特にミッチェルがまずい」
あと、とクリスはメルヴィルを見上げる。
「一つ、頼みがある」