第2幕
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***
現場はそう遠くなかった。数名の事務員と共に駆けつけたクリスはしかし、その惨状に瞠目する。
「……酷い」
華やかに木々が並ぶ洋風の庭。目の安らぐ緑が風に揺れ、涼やかなそれは頬を撫でては消えていく。鳥のさえずりが似合うその場所は、血で汚れていた。
投げ飛ばされた車が横倒しになっているその広場で、人が倒れている。探偵社員だけではない。黒服――ポートマフィアの構成員も皆、一様に血に汚れ四肢を歪められた状態で転がっている。
壊された銃器、折れた刀、欠けたコンクリート片。
絶対的な力を持つ何かが、彼らを襲っていったのだ。
「国木田! 賢治! 敦! 鏡花!」
与謝野が叫ぶ。しかしそれに答える声はない。素早く周囲を見渡し、クリスは見覚えのある麦わら帽子を見つける。その近くに、持ち主の姿があった。
「賢治さん!」
駆け寄り、しかし足を止める。その体は切り刻まれ血で覆われていた。肉が見えている箇所もある。これでは応急処置などというものは役に立たない。それに、この傷痕は。
「……まさか」
――太陽光を反射する十字架が、脳裏をよぎる。
「クリス!」
与謝野の声でその幻像は消えた。声の方を見れば、与謝野が事務員に命じて敦を運ばせている。
「とにかく探偵社に連れて行くよ! ここは敵の手の中だ、長くは留まれない!」
頷き、賢治を背負おうと脇の下に体を滑り込ませる。そっと異能力を発動し、その体を僅かに浮かせた。これで難なく運べる。
敦、賢治を車に運び入れた後、与謝野がふと一点を注視した。つられてそちらを見れば、知らない和装の女性が体を屈曲させて倒れている。和装、といえば、鏡花という少女がいない。逃げたのか、それとも連れ去られたのか。
ギルドが連れ去るなら敦の一択だろうから、恐らくは前者だ。何から逃げたのかはわからないが。
「彼女はポートマフィア幹部の尾崎紅葉ですよ」
飄々とした声がどこからか聞こえてくる。それは先程までここにいなかった人物。
与謝野がその姿に驚き、声を上げる。
「太宰」
「ちょうど良い、彼女も連れて行きましょう、与謝野先生。あ、クリスちゃんもいたんだ。どうだった? 社長は」
「静かな方でしたよ」
短く答える。与謝野や他の事務員に余計な情報を与えるのは避けたかった。その一言からクリスの意思を読み取ってか、太宰はそれ以上何も言わずに微笑む。
「そっか」
やはり、この男は敵にしておきたくはない。
「太宰、手が空いてるなら手伝いな。探偵社に運ぶよ」
「あ、私が車を運転しますよ。こう、ぶんぶーんって」
「国木田から『太宰には車を運転させないで下さい』って言われてるから却下」
「なんだ、残念」
そういえば、と周囲を見回す。目的の人は木々の奥、幹に寄りかかるように倒れていた。
「国木田さん!」
駆け寄り、そばに膝をつく。首筋に手を当て、続けて口元に耳を近づけた。脈はあるがかなり弱い。呼吸も然り。胴体の様子からして何かに強く掴まれ骨ごと潰された状態で投げ飛ばされたか。容赦がない。
痛みを想像し、クリスは顔をしかめた。そっと国木田の髪を撫でる。手に血と塵が混じったものがついた。
運び出そうとその体を背負おうとするが、やはり肩幅のある男性を運ぶのは難しい。ならば先程と同様、少しばかり異能力を使えば良い。しかしそれをするのは憚られた。
背後に、視線。
――太宰だ。
彼にはまだ、異能力のことを知られたくはない。太宰は異能力を無効化する。つまり相手が異能力者であれば、太宰が圧倒的に有利になる。それに、探偵社は今戦力を必要とする事態に陥っている。身近なところに異能戦闘員がいると知ったのならそれを利用しようとするだろう。
拳を握り締める。
この力は、利用されてはいけない。
「太宰さん、すみません、お手伝いしていただけませんか」
声をかけると、思ったよりあっさりと太宰はクリスのそばへ来た。そして、平然とクリスを見下ろす。
「君なら一人でできるのかと思ったのだけれどもね」
「残念ながら少し無理があるみたいです」
「ふーん」
思わせぶりに鼻を鳴らし、しかし彼は国木田の体を背負って歩き出した。少しやりづらそうなのは太宰の痩躯故か。
「ねえ、クリスちゃん」
足を止めず、太宰は言う。
「――邪魔だけはしないでおくれよ」
「……それはこちらのセリフですよ、太宰さん」
返し、太宰の背を見送る。そしてその背に負われた国木田の姿を。
国木田の耳に今の会話が届かなかったことに安堵し、クリスは息を吐き出す。そして、目を閉じた。
血濡れた広場、歪まされた探偵社員、そして見慣れた傷痕。
「邪魔なんてしないよ、太宰さん」
そっと目を開く。少しだけ、少しだけ寂しく思う。
「……もう少し、一般市民として一緒にいたかったな」
それがかつての長に刃向かう行為であったとしても、それが今まで築いてきた偽物の平穏を自ら乱す行為であったとしても。
それでも、そうしなければならない理由がある。これは演劇という夢を続ける上でも必要な決断だ。
「――フィーに〈本〉は渡さない」
あれは人の手に渡ってはいけない代物だ。自分と等しいものだ。だから、わたしは。
何を捨ててでも――あの男と敵対しなければならないのだ。