第2幕
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今から午後の演目まで時間がある。早目に劇場を抜けたクリスは、探偵社の前に来ていた。
目的はもちろん、福沢である。
「こんにちは」
扉を開けて中を覗き込む。春野が「あら」と声を上げた。
今日は探偵社員の姿が著しく少ない。乱歩が奥の席で飴玉をなめつつ、椅子に座ってくるくる回っているだけだ。
「社長ですよね。今お呼びしますので、先に応接室へご案内しますね」
「はい、お願いします。……皆さんは?」
何気なくを装って尋ねると、春野は顔を曇らせた。
「……実は、その、ポートマフィアが」
「ポートマフィア?」
先日ギルドからの襲撃、もとい脅迫を突破したばかりだろうに、このタイミングでポートマフィアとは。彼らもまた、この機会を探偵社を追い詰める好機と捉えているのだろう。確かに、ギルド、ポートマフィア、武装探偵社を比べれば、圧倒的に探偵社が不利である。第一に財力、第二に頭数だ。
ならばポートマフィアとしては、先に探偵社を潰してギルドとの戦いに注力したいと思うのだろう。
「また、襲われでもしたんですか?」
「いえ、鏡花さんの携帯電話に着信があって……あ」
ふと春野が声を上げる。それはクリスの背後で扉が開閉された音と同時に発せられた。
「社長」
振り返る。長身の男が、そこにいた。
その姿を直接見るのは初めてだ。しかし、その纏う空気が、圧が、上に立つ人だということを否応なく伝えてくる。
かつての上司の威厳と、先日道端で出会った中年男性の隠された眼差しが、その人に重なった。人を従える者の放つそれだ。その眼光は強く、その容貌は見る者に息を呑ませる。
「――お初にお目にかかります」
片膝をつき、頭を垂れる。
「クリス・マーロウと申します。この度はお忙しい中時間を割いてくださり、感謝致します」
「話は伺っている。幾度も予定を反故にし、申し訳なかった」
「いえ、差し迫った事態であったとお察し致します」
促され、立ち上がる。自然と互いの視線が交わされた。
探る目つき。それは、訝しみではなく。
――敵の隙を探る、戦場の目配り。
福沢と共に社長室へ赴く。それぞれ椅子に腰かければ、春野がお茶を出してくれた。それに手を伸ばし、一口飲む。毒を疑っていない、あなたを信頼するということを示す行為だった。
「単刀直入にお聞きする」
福沢が言う。その目は鷹を思わせるほどに鋭い。相手によっては簡単に目を逸らしてしまうだろう。
「貴君はギルドについて何をご存知か」
「乱歩さんからはわたしについて、どのようにお聞きしていますか?」
逆に問えば、福沢は一瞬黙った後、ゆっくりと答える。
「貴君には諜報の腕があること、元ギルドの構成員であったこと、異能力者でありそれを隠していること、祖国とギルドから追われているということ、以上だ」
「……なるほど」
さすがは乱歩と言うべきか。まさか元ギルドの構成員であることまで知られるとは思わなかった。が、その程度ならば問題はない。乱歩も福沢も、それを他の社員には言わないからだ。クリスは社員達と親しい。彼らにその事実を告げたのならば混乱させることは必至だ。この状況下で味方を無駄に戸惑わせるとは思えない。
「間違いはありません、全て真実です。……わたしもそちらの質問に答えましょう。ギルドについて何を知っているか、でしたね」
福沢が頷く。何を答えるべきか、それはすでにわかっている。
「彼らはある物を探しています。それが何なのか、詳細は定かではありません。それは〈本〉と呼ばれています」
「〈本〉?」
「書いたことが真実になるという物です。どこかにあるというそれを探し出すには、虎の異能力者が必要になる。それ故に、彼らは敦さんに多額の賞金を出し、ポートマフィアに敦さんを捕らえさせようとした」
しかしそれは叶わなかった。ポートマフィアがギルドとの取引に失敗し、敦を取り逃がしたからだ。
「先日、ギルドの長がこの探偵社に乗り込んできたと伺いました。また、彼らの目的は探偵社そのものであったと。……本音を申し上げますと、奴はこの会社程度ならば余裕で買収できます。けれど奴は……フィッツジェラルドはそうしなかった。それだけでは不十分だから。探偵社そのものを欲しているのではなく、あなた方が持つ価値のある何かが必要で、それを奪い取らなくてはいけなかったから。――いかがですか」
「然り」
短く肯定し、福沢は眉を潜めた。
「彼らは異能開業許可証を渡せと申し出てきた」
「異能……開業許可証?」
聞き慣れない言葉だ。
クリスの疑問に答えるように、福沢はそれについて教えてくれる。曰く、それは並大抵の方法では手に入らない代物で、この国で異能力者の集まりが合法的に開業するために必要なものだという。つまりそれがないと異能力者の集まりは合法的に行動することができない。彼らは異能力を行使してこの街で堂々と何かをするつもりなのだ。
「加えて」
福沢が続ける。
「この街で探し物をするようなことを言っていた」
「なるほど」
つまり、そういうことだ。
「彼らの狙いは〈本〉――その〈本〉が、この街にある、と」
何という因果か。
クリスは視線を落とす。
奴から逃げてきた先に辿り着いたこの街が、奴の終着点だった。世の中の関節は外れることなく機能し、クリスを運命から逃してはくれない。否――これが運命なのかもしれない。
クリスは福沢へと目を戻す。
逃れるばかりが選択ではない。この因果に抗えないのならば、それにあえて乗るのも一種の手。
「……彼らは力ずくで異能開業許可証を狙ってきます。それだけじゃない、あなた方武装探偵社と、そして――おそらくポートマフィアのことも、彼らは潰す気でいる。探し物に邪魔だから。探し物を他の組織に奪われたくないから」
この街を壊滅させてでも彼は〈本〉を手に入れるために動くだろう。金で手に入らなかったものは武力で手に入れる、それがフィッツジェラルドのやり方だ。それに伴う犠牲など、彼の手中にある物以外に関しては彼は一切興味を持たない。
だから、彼の元から去った。あれの手法はクリスの求めたものと相反する。
「福沢さん」
呼べば探偵社の長はクリスへ目を向けた。その眼差しに鋭いものは残っている。けれど幾分か和らいだそれは、クリスを促すように見つめてくる。
ああ、そうか。
ふと、気付く。
この人は、寡黙なのだ。人を見守り、その進む道を誤らないよう見つめている、言葉の不器用な人なのだ。その懐に秘めている思いは多彩であろうに。
「……都合の良いことを申し上げるご無礼をお許し下さい。わたしは個人的な理由でギルドから逃げています。彼らに存在すら知られては困る状態です。そこで、お力添えを願いたい。ギルドからわたしを隠匿していただきたいのです。そちらの依頼を引き受ける対価として、いかがでしょうか」
「……なぜ、それを」
その寡黙な表情が揺れたのを見、クリスは柔らかく微笑む。
「とても言い出しづらそうにしていたから」
福沢が息を呑んだのは、一瞬だけだった。
「……乱歩は真実を見抜く、我が社の要だ」
その声に重さが増す。
「あれが、貴君を利用する案を提示してきた。貴君の過去、その手腕、思惑、全てを考慮した上での案だ。無論反対した。貴君には信用に足るものがない。加えて、貴君がこの抗争に加わる理由もない」
「乱歩さんは、何と?」
「……会えばわかる、と」
福沢がクリスを射竦める。その目に宿った光は潜めていた懐疑を失っていた。代わりにあるのは、強い信念。
「我々には貴君を利用する理由があり、貴君には我々を利用する理由がある。……貴君の申し出を受けよう」
クリスは軽く頭を垂れた。その次の言葉を、受け入れるために。
「我々の依頼は、間諜」
福沢は明瞭な声でそれを告げた。
「貴君をギルドの手から守る代償として、貴君にギルドへの間諜を申し入れる」