第2幕
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[Act 2, Scene 10]
フィッツジェラルドがこの街に来た。それはクリスにとって最も恐れていた事態だった。
奴の狙いは〈本〉だ。そのために虎の異能力者である敦を手に入れようとしている。それだけならば奴自らがこの街に来る必要などない。しかし、奴はこの街に足を踏み入れた。敦のみならず探偵社までをも欲して。
極東の小会社を手に入れて何をするつもりか。そもそも、とクリスは思う。
フィッツジェラルドは金を武器にする男だ。この街など簡単に買い取れる。会社一つ、地方の非合法組織一つなどもっと簡単だろう。それをせず宣戦布告をしたのはなぜだ。
答えは明白。今後の活動に彼らの存在そのものが邪魔だからだ。彼の目的、そして先日の探偵社およびポートマフィアへの宣戦布告。それらを組み合わせて考えられることは。
「……冗談じゃない」
クリスは真正面の鏡を睨みつける。女子トイレにクリス以外の人影はない。静かなこの場所は、考え事に向いていた。
鏡写しの自分を睨み、そしてため息を一つつく。壁から背を離し、背筋を伸ばした。
「……まずは福沢さんと話をしないと」
今日こそは時間を確保してもらっている。「先日の来客の件で話がある」と伝えているので、今度は後回しにされることはないだろう。彼らの到来は武装探偵社にとって鬼門に違いないのだから。
再びため息をつく。深呼吸に似たそれに時間をかけた後、クリスは廊下へと出た。
まずは眼前の本業である。今日は午前中が練習時間、午後が舞台だ。劇場の他にも練習できるスペースはある。しかし、やはり本番通りの動きを確かめつつ練習するのが一番身につくのだ。皆順番に、そして互いに指摘をしつつ、練習に励んでいる。
「リア」
僅かにうわずった声がクリスを呼ぶ。振り返れば、人懐こい笑顔を満面に浮かべた若い男性が駆け寄ってきた。
「ヘカテ」
「やっと見つけました! 劇場内を走り回っちゃいましたよ」
同年代の彼は、最近劇団に入ってきた新人だ。熱意があり、演技力もそこそこ悪くない。何よりその瑞々しさが新鮮で、団長が気に入った点だった。
「何か用でも?」
「ああ、いえ、えっと、その、実はリアに練習を見てもらいたいなと思っていて。明日から長く休みを取るって聞いて、せめて今日はと思って」
興奮に頰を赤らめながらヘカテが言う。彼の入団志望理由は「リアに憧れて」だった。彼以外にもそういった志望者はいたが、団長のお眼鏡に適うことなく散っている。がしかし彼は何度も志願し、そして入団してきた。その話からもわかるほどに、彼は努力家で演劇の実力も不足ない。
「良いですよ。そういえば、団長から今度の新作の主演の一人を任せてみたいと言われているんですが、聞いてます?」
「はいッ! もう嬉しくて!」
目を輝かせ、ヘカテは笑う。
「リアと肩を並べられるよう、今度の作品は絶対に成功させたいんです!」
「力むものじゃないですよ、演劇は。……じゃあ台本を渡すので、それで練習してみましょうか」
とは言ってもまだ細部を調整中ですけど、と付け加えるクリスに、ヘカテはこれ以上ないほど顔を輝かせる。眩しい子だ。年は離れていないはずなのに、少し羨ましくなる。
「えっと、タイトルは確か『十二夜』でしたっけ」
「ええ。台本をちょうど団長から受け取る手筈なので、読み合わせから始めましょう」
話しつつ、劇場の客席へ通じる扉を押し開ける。思った通り、舞台上では同僚が身振りや足運びを確認し、袖では音響や照明の確認が行われていた。そして客席には団長が座り練習の様子を眺めている。
二人が入ってきたのを見、舞台上で歩数を確認していた男性がにやりと笑いかけてきた。
「お、熱々のお二人が来たねえ」
「冗談はやめてください、ヨリック。ただの先輩後輩ですから」
咎めるクリスに構うことなく、スタッフ達までもがこちらを見て思わせ振りに肩をすくめてくる。
「まあ熱いのはヘカテだけどな! よお、お坊ちゃん、乙女の心は射抜けたかい?」
「見ての通りです……僕はこんなにもリアに憧れているのに、リアは僕のことを後輩としか表現してくれない」
「なっはっは、乙女の心は五月の菫、急がないと枯れちまうぜ? もしくは萎れて土に還っちまう。土に還れば人間は平等、同じく等しく土と土、心もまた土くれに早変わり」
「ときめきも憂いも何もなくなるってことですか?」
「そうその通り! なっはっは、花は美しいから好まれる、せいぜい頑張れよお坊ちゃん!」
なっはっは、とヨリックは豪快に笑う。彼は道化師役を主に演じる役者だ。劇中でコミカルな動きとセリフで観客の笑いを誘い、かと思えばその回りくどい言い方で真実を的確に突く。劇中なら重要な役割だが、現実でそれをされるとこちらとしてはたまったものではない。
「ヨリック……煽らないでください。わたしとヘカテはそういうのじゃなくて」
「まあまあそう怒るなよ、リア。次の演目でお前達はそっくりな双子の兄妹を演じるんだろう? 生き別れの双子が巻き込まれる見間違いにつぐ見間違い、仕舞にはどんでん返しのハッピーエンド! いやあこの手の話はわけがわからんくなって逆に楽しくなってくる。……今から仲良くしておきゃ、仕草やら表情やら、双子っぽくなるからさ。嫌がらずに一緒にいろや」
ニヤニヤしつつも、ヨリックの言っていることは正しい。役作りと思えということか。反論できないままでいると、横でヘカテが「まるで一心同体ですね!」などと声を上げる。否定する間もなく劇場は笑いで包まれた。もはや声を上げる気力もない。
けれど。
このやり取りを嫌悪しているわけではないことは確かで。
「……どこから何を訂正すれば良いのやら」
肩を竦め、クリスは自然と綻ぶ頬を押し隠すように頬を膨らませてみせた。