第4幕
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「国木田さん」
「考え直せ。まだ、それをしなくて良い。俺達はまだ全員が捕まったわけではない。俺も社長も与謝野先生も、誰もあなたのことを口外しない」
「国木田さん」
「俺達を信じてくれ。頼む、だから……」
「国木田さん」
ゆっくりと首を横に振った。それだけで、国木田は何も言えなくなる。
「これで良いんです。これで……良いんです。あなた方を信じているから、わたしは、こうしようと思えたんです」
国木田達がクリスのことを口にするような人達だったのなら、何も考えず全員を殺していた。捜索も潜入も慣れている、どれほど厳重な場所に隠されたとしても、クリスならば探偵社員全員を探し出し殺せる。
けれど、それを嫌だと思う自分がいた。殺しを厭う気持ちが、殺し以外の方法を求める心が、クリスに生まれていた。ギルドにいた頃に失った甘い優しさ、それが再び芽吹いていた。強者には不必要なそれを許してくれたのが探偵社だった。
緑の全てが嵐によって吹き飛び炎によって燃え尽きた後、踏み固められ何が生えることも許されないまま硬くなった地面。そこに雨が数度降り注いで、そしてようやく芽吹いた思い。それを守ろうと思ったのだ。例えそれが花開く時は来ないとしても、引き千切りたくはないと思ったのだ。
誰の心に残らないとしても、それ自体が存在し得なかった異物だとしても、ここに、クリスの心の中に、その芽は確かに葉を広げているから。
「クリス」
国木田が名を呼んでくる。さらに何かを言おうとその口が動く。目が泳ぐ。そこにはないものを見つけ出そうとするように、宙を見渡し求めているものを探し出そうとする。
諦めようとしないその様子に、クリスは微笑んでいた。
この人は、やはりこうなのだ。
知っている。知っていた。ずっと、ずっと前から――出会った頃から知っていた。
どうして、など今更問う必要もない。この人が常に胸に抱いていた意志は、問うまでもなくクリスの心の中にも既にあった。遠い昔に捨ててしまったけれど、それでもそれはクリスの中に残り続けていた。
それを一番に見出してくれた。そして、教え込むでもなく、ただ隣にいて、自分の背を見せることでクリスを導いてくれた。それが恐ろしくて、理解してはいけない気がして。
でも、今は。
「国木田さん」
迷いなく、言える。
「国木田さん、わたし」
手を伸ばす。その頬に触れる。そっと顎の線をなぞり、微笑みを浮かべて眼鏡の奥の眼差しを見つめる。
ずっと言えなかった一言がある。ずっと言わないでいた一言がある。言わない方が良いのだと思っていた。言ってしまえば、今までの平穏が終わってしまう気がして、終わらせたくなくて、引き伸ばしたくて、ずっと言えないでいた。
でも、今なら。
わたしが終わる、今なら。
クリス、と国木田が呟く。大きく見開かれた、しかしやはり輝かしい強い目に、知らずのうちに微笑みを深める。
そうだ、これだ。
この美しさだ。
光のように、どこまでも真っ直ぐに、隠れることなど許さないとばかりに照らし出してくる、この目が、声が、意志が。
国木田というこの人が。
ずっと。
「……あなたのことが、好きです」
声は震え、少し掠れた。それでも良かった。この一言が言えたのなら、それで良かった。
「……ああ」
国木田が呟く。
「知っている」
そして、少しだけ目元を緩める。
「……俺もあなたを好いている」
知っている。わかっていた。けれど、こうして言葉を聞くだけで。
「……知っています」
胸が高鳴る。痛くなる。手がさらに震えて。唇も震えて、また泣きそうになる。
「言うなと言っておいて先に言うのは卑怯だろう」
「……そうですね」
「こういった言葉は男が先に言うものだ。何度もあるものではないのに、唯一の機会を……」
「あれ、告白したことないんです? 好いた女性はいたのに」
「ち、違う! 別に躊躇ったりだとか度胸がなかったりだとかというわけではない、順序が、そう、全てには順序というものがあるのだ! 男女の交際はもちろんそれに至るには理想の順序が」
「でもわたし夜景の綺麗な高級料理店にも連れて行ってもらっていないし、指輪ももらっていません」
「ぐ」
「あと確か、夕焼けの公園をデートもしていないし、観覧車にも乗ってないし、あと……」
手帳に記されていた交際に至る理想的な手順なる内容をそらんじれば、国木田は苦虫を噛み潰したような顔で言葉を失った。ああ、やはりこの人で遊ぶのは楽しい。声に出して笑いながら、頬を撫でた手を国木田の胸元へと添える。縋るようにその胸元へと頭を乗せる。鼓動が聞こえてきた。あたたかなぬくもりが肌に伝わってくる。
国木田の腕がクリスを包む。無言のまま、時を過ごす。
――もっと、ずっと、こうしていたかった。
抱き締めてくる腕に力がこもる。体が離せないまま、顔を上げた。目が合う。泣き出すとは違う潤んだ眼差しがそこにある。
きっとわたしの目も、同じ色をしているのだろう。
背伸びをするように顔をそちらへと近付ける。応えて、国木田が顔を伏せてくる。吐息が口元を掠める。皮膚が体温の交わりを感じ取る。
手とも頬とも違う、柔らかいあたたかさが、唇に重なる。