第4幕
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[Act 4, Scene 17]
涙を拭いて、クリスは目の前の人を見下ろした。
「……手、が」
触れた腕には包帯が巻かれ、その先にあるはずの部位を左右両方とも失っている。理由は察しがついた。そして、それをも覚悟の上で彼がそれを選択したであろうことも、知っていた。
隠すように腕を引こうとした、その動きを引き留める。そして、普段よりも幾分か短くなったそれへと手を這わせ、撫でた。
「……どうして、と訊いたら答えてくれますか」
「答える必要もないだろう」
国木田が首を横に振る。
「……愚かだと笑うか」
「あなたらしい、と笑いますよ。あなたはいつも、こうやって……わたしの決意を砕いてしまう」
国木田が自爆したと聞くまでは、クリスは探偵社員を殺すつもりでいた。探偵社員が国に捕まればクリスのことが国に知られる。それだけは避けなければいけなかった。だから殺さなければいけなかった。それしか考えられなかった。
それを、国木田もわかっていたはずだ。クリスがどのような人間であり、何を選択し何を失ってきたか――国木田は知っていた。
「酷い人ですね」
笑う。上手く笑えているだろうか。
「あなたがそこまでして助けた社員を、わたしは……殺せない。それをあなたは利用した」
「賭けではあったがな。あなたに俺の情報が伝わるかどうか……だが、あなたなら必ず社員の居場所を探りに行くと思った。あの場ではこれしか思いつかなかったのだ」
「互いを知りすぎましたね」
「ああ」
国木田が薄く口端を上げる。それは苦笑に似た微笑だった。
そっと国木田の腕から手を離し、クリスは寝台の端へと腰かけた。ふと視界の端に仄かな光が入り込む。先程から目に映っているそれへ、目元を緩めた。
部屋の中には光の粒子がたゆたっていた。蛍が飛ぶ夜の川辺のように、その輪郭の曖昧な光は二人の周囲を彩っている。白い壁に白い床、決して暗くはない部屋の中に浮かぶ仄かな光。ふわり、ふわりと灯火が浮かぶ部屋は静かだった。二人しかいない、二人だけの空間。互いの吐息すら聞こえてくるような静寂の中で、クリスはそっと国木田を見上げる。
目が合う。
心の内を見透かすような、強い言及の眼差しがそこにある。
「何をするつもりだ」
聞きなれた張りのある声が問う。それへと微笑む。
「……何のことですか?」
「この期に及んで隠しても無駄だ、クリス。あなたはいつもそうだった。いつも……何かをしようとする前に、俺に会いに来る」
「そうでしたっけ?」
「……嘘が下手になったな」
国木田の表情に回顧とも違う憂いが乗る。
「……怖いのか」
それは、クリスを慮る声音だった。思わず笑ってしまったのは、それが予想通りすぎたからか。
以前だったら、国木田はクリスの心境に気付かなかった。以前だったら、クリスは国木田の看破に動揺するだけだった。
二人とも、変わってしまった。
互いを深く知りすぎてしまった。
もう、お互いに隠し切ることはできないのだろう。
思いも、意図も――全て。
「……これで良いんです」
恐怖に震える手を隠すことなく握り締めて、クリスは微笑んだ。微笑んだというよりも、それは困惑に耐え切れず漏らすような、苦笑に似た、表面上の笑みだった。
「……やっと、あなたと同じ人間になれるから」
「何を言って」
国木田が口を噤んだ。気付いたようだった。その顔に驚愕が現れ、やがてそれは焦燥に代わっていく。
「……まさか」
「この部屋を【マクベス】で空間定義しました」
手を宙へと広げて、ふわりと浮く光を手のひらに受ける。震える指先に粒子が乗る。それを見つめて、思い出す。
「ウィリアムが最期にしたことと同じです。この部屋だけ、異空間にして……時間の遅延を発生させました。この部屋だけが、最後になるように」
「待て」
「この舞台の題名は『あらし』です。それは嵐から始まる、復讐と許しの物語。主人公は復讐という目的のために魔法を手に入れ、最後に過去を許し魔法を捨てる……わたしにとっての”魔法”は”異能”であり”過去”そのもの、ウィリアムが与えた全てです。記録は全て消失しました。なら、わたしがすべきことは、人々の記憶からの消失」
「待ってくれ」
「【マクベス】は対象にこの光が触れた時点で発動します。つまりこれは、異能の粒子……既にこれを【テンペスト】で無限に遠くへと運んで、世界中に広げました。世界中の全ての人に作用するように。とはいえ何万人もの人へ再定義の異能を使うことはできません。わたしが先に壊れてしまうから」
「クリス」
「けど、それは”生体”へ作用する時の話です。ウィリアムもそうでしたけど、この異能は”再定義の対象が有機物か無機物かによって難易度が変わる”。電気信号なら何万人分であろうと再定義できる」
「クリス!」
普段であれば腕を掴んできただろう素振りで国木田は身を乗り出した。先のない腕をもどかしげに向けてくる。どこかへ行こうとするのを妨げるかのように、それをクリスの手へと重ねてくる。
それへと、もう片方の手を乗せ――クリスは国木田を見上げた。真っ直ぐな、そして苦痛に歪んだ顔がそこにあった。やめてくれ、と叫び出しそうな表情がそこにあった。
別れを察した人の動揺が、そこにあった。