第4幕
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***
ト、と着地したのは白い床だった。全身から小さな光が離れていく。そっと目を開き、そしてクリスは顔を上げた。
人がいた。寝台で上体を起こしていた男が、一人いた。額や首元、簡易な服からかろうじて見える肌は白い包帯に覆われ、彼が重傷であることを告げている。寝台には鎖がつき、それは布団の下――おそらくは彼の足首へと繋がっていた。この施設に囚われている犯罪者だ。
そして。
一番会いたかった人だ。
手から電子端末が落ちる。今や砂嵐しか映していないそれがあったから、異能でこの場所へ空間移動ができた。
「……どうして」
寝台の上で男は呆然としていた。眼鏡の奥の眼差しが目の前の事象を凝視している。やがてその顔は呆れたものに変わった。
「何が『ごめんなさい』だ、反省する様子もないではないか。もう少し方法を考えろ」
「……潜入は、得意です」
「職員でもなく潜入するでもなく捕虜として潜り込んでくる奴がどこにいる」
一歩、歩み寄る。足が震える。貧血とは違う眩暈によろめきそうになる。
「……ここに、いるじゃないですか」
一歩。
「……ここ、に」
「……そうだな」
国木田が目を細める。目の前のものを懐かしむように、何かを言おうとして言えないまま、見つめてきている。
見慣れた人が、ずっと見ることのできなかった人が、そこにいる。
そこに。
歩み寄れば、手を伸ばせば、触れられる距離に。
「……馬鹿」
震える唇がようやく発したのはその一言だった。
「馬鹿、馬鹿!」
「お、おい」
「馬鹿馬鹿! ばーかッ! 方法を考えろはこっちのセリフですよ! とんちんかん! 考えなし! そういうところが、そういうところがッ……眼鏡だしモテないし眼鏡なんですよ!」
「もてッ……いや眼鏡は確実に関係ないだろうが!」
「どうしていつもそうなんですか! 何度言っても何度もそういうことして! もう知らない! 口利いてやらないもん! ばーかばーか! 会議資料のホチキス全部外してページばらばらにして止め直してやる!」
「地味な悪戯はやめろ! 地味に苦労するから!」
あふれる思いが罵声に変わる。それ以外のことを言えば体の中がぼろぼろに崩れてしまいそうだった。
ずっと堪えてきた。自分の胸の奥が壊れないように、ひび割れすぎてもはや崩れきっているそれを必死に固めて、くっつけて、崩れ落ちないように保っていた。
少しでも気を緩めれば全てがぼろぼろに崩れ去ってしまうと、わかっていた。
「……ばかぁ」
視界がにじむ。頬を何かがじとりと伝い落ちていく。ぽろぽろと落ちていくそれを、どうやって止めれば良いのかわからない。手で何度も拭って、濡れ切ったそれで何度も拭って、それでもそれは零れ落ちてくる。
「……すまなかった」
言葉を失った国木田が、ようやくそう言って腕を伸ばしてきた。手の先がないそれを、手を伸ばすかのように差し出してくる。それへと小さく歩み寄る。目元を拭いながら、片手を伸ばす。
包帯が巻かれたそれへ、指を乗せる。
感触。人の腕がそこにあるという感覚。
生きている。
ここに、いる。
「……クリス」
名前を呼ばれる。顔を上げた先で、申し訳なさそうな顔の国木田が歪んだ視界の中にいた。
目の前に、いた。
「……国木田さん」
名前を呼ぶ。呼びたくてもずっと呼べなかったその名前を、呼ぶ。
「……会いたかった」
言えなかった思いを口に出す。
「会いたかったんです……ずっと、ずっと……」
涙は止まらない。思いも止まらない。
「あいたかった……」
全てが、両手で掬い指の間から零れる清水のように、止めることもできないまま零れ落ちていく。