第4幕
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次の日、条野はとある軍施設内を歩いていた。
昨日鐵腸と共に追い詰めたクリス・マーロウなる女は突風と共に掻き消えた。鐵腸の軍刀がその胴を貫いて固定していたはずだが、肉を切って脱出したらしい。甘く見たつもりはないが取り逃がしたという事実は条野の中に重く残っていた。
けれど。
通路の先、自動ドアが設置された一つの部屋へと条野は辿り着く。その自動ドアは、壁に設置された認証システムで自らを認証させ、ようやく開く代物だった。つまり出入りできる人間に限りがある。なぜか。
この奥にいるのは凶悪な犯罪者だからだ。
「こんにちは」
バシュンと鋭敏に開いた扉の奥へと進み、開けた箱型の部屋の中に足を踏み入れる。病室を思わせる簡素なその空間へと日常挨拶を発するも、当然の如く返事はない。
「お加減はいかがですか?」
「嫌味に答える気はない」
「おや、紛れもなく本心ですよ。あなたにはまだ死なれては困りますから」
気にすることもなく条野は寝台の横にあった椅子へと座る。ちらりとその様子を見遣った後、足首を寝台に繋がれた捕虜は嫌なものから目を逸らすように窓へと顔を向けた。その全身は包帯に包まれ、生きていることも不思議なほどに重傷であることを告げている。けれど彼は生きている。理由は明確、テロリストの一味という重要な情報源だからだ。
「国木田さん」
名を呼ぶも返事はない。それすらもわかりきっている。
「テロの全貌を自白する気はまだ起きませんか」
「何度も言わせるな。俺達はテロリストではない。自白するようなことは何一つとしてない」
簡素な答えだった。何度も言われていることだ。彼は頑固とでも表現して良いほどに、頑なに口を割ろうとしない。
それはあの名を告げた場合もそうだった。
「先日お話したクリス・マーロウのことですけどね」
ぴくりとその全身から動揺の音が漏れる。心音、呼吸、そういったわかりやすい、しかし不意を突かれれば誰もが隠せない音。けれどそれらは一瞬にして消える。
「……またそれか。何も話すことはないと言って」
「昨日、彼女とお会いすることができました」
さしもの国木田も言葉を続けることはできなかったようだ。浅い呼吸が数度。最悪の事態を想像し、それを恐れ、しかし「あり得ない」と自らに言い聞かせている胸中。
「……それが何だ」
「おや、詳細を聞きに来るかと思いましたが……まあ良いです、お話しましょう」
「暇なのか」
「世話焼きなんですよ」
「その程度の嘘なら俺も見破れる」
「失礼ですね、本当ですよ」
「……それはすまなかった」
「嘘ですけどね」
一通り国木田で遊んでから、条野は足を組んだ。
「――彼女の記録の一切が消えていた話はしましたね。そのことについてあなたも知らないと言っていました。女医も社長もそのように発言しています。示し合わせた様子ではありませんでした。おそらくは事実でしょう。であれば考えられることは、彼女だけが探偵社の作戦から離脱したということ。となると”探偵社”を追うだけではテロを防げません。”探偵社”と”クリス・マーロウ”、二つのテロ組織を追う必要が出てきます。そこで燁子さん達と私達とでそれぞれを追うことにしたんですが」
太ももの上で両手を組む。興味のない様子で微動だにしない国木田だが、しっかりと条野の話へ耳を傾けている。やはり彼女と彼は無縁ではない、面白い反応が得られそうだ。
「記録がないとはいえ彼女の存在は残っていました。正しくは、彼女が存在した証ともいえる空白が。国内の空白の入った記録を取り寄せ、その時系列を整理し、空白の行動を特定したところ、とある喫茶店が浮上しましてね。あなた方探偵社と親しいお店ですよ、うずまきという」
喫茶うずまき。武装探偵社が入っていたビルの一階にあった喫茶店だ。社員がそこを利用することも多かったというそこに事件の関与が疑われる人物が二人いたため、条野と鐵腸は昨日その喫茶店へと向かったのだった。
一人はモンゴメリという手伝いの少女。最近喫茶で働くようになったが、合同捜査本部に「探偵社は無実だ」と叫びながら暴れていたらしい。ただの一般市民だからと見逃されていたが、探偵社の味方が少ない現状、注視しておく必要があった。
そしてもう一人が、空白の少女――クリス・マーロウ。
「店長は彼女を社員だと思っていなかったようで、素直に話していただけました。名がクリスであること、近くの劇団で働いているらしいこと、外国から来たようであったこと、事件発生後は全く姿を見ていないこと。得られた情報はその程度でしたが十分でした。劇団へ赴くと同時に海外から空白を生じた情報を収集……そして劇団へと赴き、クリス・マーロウを知る人物を探し出し、彼が持っていた情報を暴く。簡単な仕事です。彼は少しばかり拷問慣れしているようでしたが……私のやり方は模範的とは言い難いですから、隠しきれるはずもありませんでしたね」
そして、と条野は片手を広げた。
「天空カジノへと向かっている燁子さんから情報が届きました。何かがカジノから落下したという知らせです。人のようであったというので落下予測地点に行ってみたんですが、まさかちょうど探し求めていた女性がそこに現れるとは思いませんでした」
「……彼女は」
ぼそりと呟かれた言葉を条野が聞き逃すわけもなかった。予想通りの反応、何かを予期し何かに怯えている気配。聡明な人間ほど面白いものだ、言いもしないことを勝手に憶測し、そして勝手に絶望し――そこへ満を期して事実を話せば、その絶望は隠しようもないほどに膨れ上がる。
「逃げられてしまいましたよ」
条野の言葉に国木田は安堵したようだった。けれど、と条野は笑みを隠せないままに続ける。
「最初は、ですが」
「……最初」
「戦闘になりましてね。鐵腸さんと二人で戦ったのですがすんでのところで姿を消されました。ですがその後、我々の元に現れたのですよ」
荒れた現場、暴風と共に突如消えた少女。電柱が降ってきた事実といい、条野と鐵腸は呆然とするしかなかった。荒れ狂う竜巻と落下してきた電柱――それらの騒音のせいで条野の耳が役に立たなくなった一瞬、その一瞬のうちに彼女は痕跡もなく消えてしまったのだ。軍警を呼び、周囲を捜索しようとしていた最中、彼女は歩いて条野達の元に現れた。
汚れた服もそのままに、青の眼差しに諦念を宿し、路地に佇んで。
「自首してきたんですよ」
絶句し黙り込んだ国木田へ、条野は告げた。
「なぜかわかりますか? 国木田さん。我々と戦ってでも逃げようとしたテロリストが、呆気なく自首してきた理由が」
国木田は答えなかった。けれど、わかっているようだった。
「――あなたですよ」
同行しなければ国木田達探偵社員を処刑すると条野は彼女に告げた。それは嘘ではない。現に彼女が現れたその時、状況を説明がてら処刑の件を本部へ言おうとしていた。
だから彼女は条野の前に姿を現した。
彼女が探偵社を――国木田を唯一としたがために、彼女は逃げるという選択肢を放棄した。
「あなたのせいなんです、国木田さん」
これが、愛しい少女一人も守り切れなかった、力なきテロリストの姿だ。
「我々に彼女の捕縛は無理だとあなた方は揃って言いましたが、我々の手にかかればこの通りですよ。――彼女から伝言です。『ごめんなさい』と」
国木田は何も言わなかった。言えないようだった。俺は、と微かな喘鳴が絶望を呟く。国木田独歩、理想を追う生真面目なテロリスト。今日も良いものを聞かせてもらった。
「この後彼女を尋問する予定があるので、失礼しますね」
椅子から立ち上がり寝台へ背を向ける。ふと見上げた先には監視カメラが動いていた。ふ、と零れる笑みをそのままに、条野は部屋を出ていく。自動ドアが切れの良い音を立てて開閉し、再び国木田一人を部屋に孤立させた。