第4幕
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拳銃を引き下げる。と同時に地を蹴って後退する。腰を地面に添えるかというほど低い姿勢のまま、クリスは条野の距離を取った。血が落ちる。吐き気と眩暈がのぼせ上ってくる。耐えきれず、膝と片手を地面についた。
それでも顔は上げたまま、条野を見つめ続ける。
既に思考はこの場のみに囚われていた。《猟犬》の二人を相手に【マクベス】の分散は進められない。それに、足音が聞こえてきていた。軍警だ。あらかじめ呼んであったのか、騒音を聞きつけてきたのか。
まずはこの場を突破しないと。
【マクベス】をまだ発動させていないとはいえ、あの光を生じさせ続けているだけでも負担はある。じわりじわりと腹の底に溜まっていく違和感がいつクリスの胴体を引き千切るか――猶予はさほどないだろう。が、その時になったとしても恐れることはなかった。舞台の終焉が目の前にあるのなら、この身の、クリスという登場人物の出番の終わりも近い。登場人物には、舞台が終わった後のことを考える必要はない。
何も怖くなかった。
今まで恐れていたものが何だったのかわからないほどに、今のクリスには安らぎしかなかった。
「引いてくれませんか」
拳銃の安全装置を外し、左手に持つ。使い慣れた拳銃の重みが手の中にある。
「無理なことです」
条野が剣を軽く振る。刀身が陽光を反射する。
その輝きが消えるや否や、クリスの背を殺気が貫いた。
「く……!」
体を横に転がす。クリスがいた場所を、斬撃とは思えない雷光に似た一閃が迸る。地面が抉れ、瓦礫が粉塵と化す。
「……馬鹿な」
呻いた。そうしなければ動揺が収まらなかった。
背後にいたのは鐵腸だった。異能攻撃を緩めてはいない。けれどいつの間にか突破されていた。攻撃全てを斬りつくしたというのか。
「我等は善を護り悪を斬る者」
長剣が真っ直ぐにクリスへと向く。切っ先が鋭利に輝く。その輝きと同じものを目に宿し、鐵腸は唱えた。
「少女の報いを護り男の真摯を庇う者。逃げ行く罪人を正しき天秤に委ねる者。悲嘆を滅し幸なる願いを支える者。特殊部隊《猟犬》が一隅、末広鐵腸――参る」
鐵腸が突っ込んでくる。距離が十分にある状態から、その軍刀を振りかぶってくる。雷電、稲光る地上の雷光。それを体を捻って躱し、息を詰めてつま先で地を蹴った。走り出す。疲労も貧血も無視して、突撃する。
大きく薙いできた切っ先が歪に屈曲、不規則に宙を裂く、それを視認、跳躍、刀身へと足をかけて踏み切る。剣を伸ばし切った鐵腸の顔が眼前に迫る。
左手の拳銃をその額へと撃った。顔を振って避けられたのは予測済み、右手に隠し持っていたナイフを薙いで鐵腸の目元を切りつける。
「ぐ……!」
血が散る。片目の瞼が切れる。しかし構わず鐵腸は剣を引いて突きの構えを見せた。至近距離からの高速の攻撃――鐵腸を蹴って後退、続けて地面へ転がり落ちる。横薙ぎに襲ってきた刀身を踏みつけさらに後退、攻撃の隙を作り出そうと左手の拳銃を鐵腸へと向け発砲。予測通り鐵腸は曲げ伸ばした刀身でそれを弾いた。クリスへと迫っていた切っ先が離れる。連続で発砲、鐵腸の長剣が完全に防御に徹する。銃声を高鳴らせつつ重心を前に倒し前傾姿勢、最後の銃弾が射出されると同時につま先で地を蹴ろうとし――瞬間、鐵腸を庇っていた刀身が向かってきた。クリスの突撃体勢を見、防御を中断したのだ。鐵腸の胴へ銃弾が貫通し血が噴き出す。それをも厭わず、切っ先が突っ込んでくる。突然のそれを避けきれず、クリスの脇腹を刀身が貫いた。
「ぅあ……!」
まずい、と瞬時に判断する。これはクリスへ深手を負わせるためのものではない、クリスの逃亡を阻止するためのものだ。早く軍刀を抜かなければ次の攻撃が来る。しかし伸びた刀身は半ばまで深く突き刺さっていた。引き抜けるようなものではない。ならばと鋼を掴み、横へと押しのけるように力を込める。押し引きで抜けないのならば横に薙いで肉を切らせてしまえば良い。
その思考、僅か一秒未満。けれどその隙を見逃す《猟犬》ではなかった。背後から条野が胸を一突きにしようと駆けてくる予感。このままでは心臓を突かれる。
ここでは死ねない。
こんな終わり方は、できない。
「ああああああ!」
瞬間的に異能を発動、暴風を巻き起こす。竜巻のようなそれは粉塵と瓦礫を巻き込みながらクリスを中心に生じ、驚く二人を押し飛ばそうとする。
クリスが軍刀を抜くか二人を吹き飛ばせばクリスが勝つ。クリスより先に条野が暴風を掻い潜りクリスを斬り倒せば二人が勝つ。
視認すらできない戦場が、そこにはあった。
刀身がクリスの脇腹を裂き、軍刀が抜ける。同時に、クリスの背に暴風を掻い潜った条野の切っ先が触れようとする。
「条野!」
鐵腸が叫ぶ。
――刹那。
一秒よりも一瞬よりも短い、生と死の狭間。
限りなく死に等しい一時。
半身振り返るように身を引き、切っ先を躱そうとする動き。
それより先に剣先を突き立てようとする動き。
交わるはずのない視線が交わされる。獲物を仕留めようとする猟犬と、危機を脱しようとするネズミが、至近距離で互いを睨み合う。
瞬間。
――二人の頭上に影が差した。
「……ッ!」
何かが降ってくる。
気付きすぐさま後退した条野とクリスの間へ、それはすさまじい落下音と共に地上へと墜落した。死闘の中へ割り込むように落ちた円柱状の細長い路上工作物――それは地面と衝突するや否やヒビを得てコンクリートの欠片を生じさせ、そしてクリスが生じさせた竜巻に飲まれて粉塵と化す。けれど三人の動きを止めるには十分なものだった。
「な……!」
竜巻の外で《猟犬》の二人は驚愕を露わにする。クリスもまた、煙幕と化した竜巻の内側で一人、目を見開いていた。
「電柱……?」
「はーい、ここで恒例のクイズッ!」
誰のものでもない声が竜巻の騒音の中から朗々と聞こえてくる。この暴風の中で人の声など聞こえるはずもない。
「今何が起こったでしょーかッ! ヒントは私! あ、久し振りにクイズっぽいクイズになった気がする!」
場の緊張感にそぐわない、陽気な調子。
「答えは『電柱落下』! うん、そのままだね! わかりやすい! じゃあ次のクイズに行ってみよう!」
背後に人影。今、竜巻の内部にはクリスしかいない。誰も入れるはずのないそこから、クリスは肩を掴まれグイと強く引かれた。よろめき、その手がいざなうままに後方へと倒れ込む。
首を回して背後を見る。暴風の最中に何かががはためいている。
外套だ。白い外套。貼り付けられたかのような楽しげな笑み、道化師を思わせる派手な服装、シルクハットの下に顔の半分を隠す仮面。
見覚えがある。忘れるはずもない。
「君は……!」
それ以上何を言うこともできなかった。
「これから何が起こるでしょーか! ヒントは逃げ道を失った女性と突然現れた私! 私? 私はちょっと訳あって生き返ってみたゴーゴリ!」
ドストエフスキーの仲間であるはずの白い道化師は、外套を広げその中にクリスを引き込みながら高らかに告げた。
「さァて答えは! 種の仕掛けもなし! 本当のことを言うなら私の異能! 世にも奇妙な人体消滅マジックでござァーい!」