第4幕
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[Act 4, Scene 13]
天人五衰。天人が長寿の末に迎える五つの死の兆候、そして無国籍テロ集団の名。仏教用語であるそれを模した連続殺人事件が行われ、そして四日前、《天人五衰》の正体が武装探偵社であることが判明した。
「彼らは世界中でテロ行為を行い、その犠牲者は百人以上と推定されています。武装探偵社の逮捕はもはや国内司法機関の最優先事項となりました」
言い、立原は手元の資料から顔を上げた。背後には事件の詳細を記したホワイトボード、眼前には整然と整えられた円卓のある会議室がある。
「うむうむ、なるほどのう!」
上機嫌な燁子の声が頭上から聞こえてくる。幼女の容貌をした彼女の声がなぜ成人男性たる立原より高い位置から聞こえるかというと、答えは単純、肩車をしているからである。なぜか。燁子の機嫌を取るためである。
先日、武装探偵社の一員である与謝野晶子の捕縛に成功した立原は、ポートマフィアへの潜入捜査官ではなく《猟犬》部隊の一員として事件を追うこととなった。ポートマフィアへの潜入は森への監視のためであったし、立原がそれに立候補したのは個人的な理由があったからではあるが、こうして探偵社を追い詰めることになった今としては非常に好都合な立ち位置ではある。
「探偵社の、目撃、情報は?」
腕立て伏せをしながら鐵腸が問う。なぜ会議室で、だとか、なぜ上裸で、だとか、そんなところに突っ込んでいる暇はない。ただでさえ突っ込みどころが多い職場なのだ、些細なところが気になってしまっては仕事に支障が出る。
「最後の目撃は二日前の銀行襲撃です。要人殺害の次に銀行……彼らのテロ行為の目的は不明なままですが、それ以降の目撃情報はありません」
「銀行を襲ったからには金銭目的なのでは?」
ただ一人、会議室の椅子を椅子として使用し会議に参加している条野が頬杖を突きながら発言した。
「ですが盗難されたのは数万円程度だったと報告が」
「銀行襲撃という名目のためのテロ行為だったと?」
「そこまでは何とも……」
立原の答えに条野は「そうですか」と短く返しただけだった。会議に集中できていない様子が窺える。理由はおそらく――というか十中八九、その隣の床で腕立て伏せをしている《猟犬》最強剣士だろう。
案の定条野がその背中を足蹴にするのは僅か数秒後のことだった。
腕立て伏せを邪魔しようとする条野と、それでも平然と鍛錬を続ける鐵腸――会議に相応しくない二人の応酬を横目に、立原は燁子を肩に乗せたまま手元の資料を眺めた。
「目撃情報が突如途絶えた……不自然ですね。銀行襲撃までは比較的目撃情報があったのに……」
「次の行動に移っているのやもしれぬな」
「次の行動?」
視線を上向けて頭上を見やれば、燁子は「左様」と目を細めた。
「拠点に腰を落ち着けて司令塔の指示に従う……逃げ惑う逃亡犯という像からの逸脱、テロリストとしての進歩じゃ」
テロリストとしての進歩。
おぞましい言葉だ。
「となると奴の方もそれに乗じているか……」
ふと燁子が声を潜める。が、頭上のそれに気付かないわけもなく、立原は「奴、ですか?」と詳細を問う言葉を発した。ぽむぽむと軍帽を叩かれ、その無言の指示に従い燁子を円卓へと下ろす。
「クリス・マーロウと言ったな」
円卓の上で胡坐をかき、燁子は立原を見上げた。
「ポートマフィアへ潜入している時に奴の姿を見たことは?」
「いえ、一度も。ボス……森から暗殺命令は出ていたんですが、それも数日後に取り消されましたし。銀……同僚は会ったことがあったみたいですけど」
「小娘一人を相手にマフィア全体へ暗殺を指示か……やはりただ者ではないようじゃな」
ふむ、と燁子は顎に指を触れて考え込む素振りを見せる。
「特務課にも確認を取った。資料の全てから奴の姿が消えておる。やはり何らかの異能が使われたと見るのが正しいじゃろうな」
「証拠隠滅の異能ですか」
「であれば様々なことの辻褄が合う」
「そうですね」
鐵腸の背に乗りながらげしげしと後頭部を蹴りつけていた条野が口を挟んだ。さすがにこちらの話はきちんと聞いていたようだ。
「太宰治の過去の経歴が消えていたのもその女性のことと関係しているのでしょう」
「とすると厄介じゃな。おそらくはどの探偵社員よりも危険じゃ」
首を傾げた立原へ、燁子は幼さが微塵もない視線を向ける。
「先日刊行された週刊誌にも奴のことが書かれておった。それによれば、クリス・マーロウは探偵社と共に行動している。いわば探偵社の仲間じゃ。しかし太宰治は逮捕され他の社員達は逃亡し続けている。奴が己のみの証拠を消し、仲間の証拠を消さぬのはなぜか?」
「……まさか、探偵社を裏切っていると?」
「テロリストの仲間割れ……であれば考えられることは、奴一人が今後のテロ行為を行う可能性」
「それも――探偵社が本来考えていたものよりも凶悪な?」
「であろうな」
クリス・マーロウ。彼女の姿を立原は知らない。その姓名と、ポートマフィアの敵であることしかわからない。何らかの異能者らしいという話は聞いているが、その詳細さえ定かではない。しかも監視カメラにも特務課資料にもその姿は記録されていない。これほど不鮮明な人物を捕らえるのは困難だ。
「どうするんですか」
「手はある」
ちら、と燁子が見遣ったのは条野だった。どれだけ蹴っても腕立て伏せをやめない鐵腸に、とうとう首絞めをかけている。さすがに異能技師によって身体強化された条野から海老反りを強いられては苦しいのだろう、鐵腸は背骨をピキピキと鳴らしながら「うおお」と呻いていた。が、無表情の多いその顔にやはり苦悶はない。奇妙な図だ。
「条野」
燁子に名を呼ばれ、条野は顔を上げた。無論腕は鐵腸の首にかかったままだ。
「はい」
「クリス・マーロウについて探れ」
どう見ても年下の子供でしかない燁子だが、その態度と口調、放つ威厳はその小さな体には収まりきらない。
「奴のテロ行為を阻止せよ。手段は問わぬ」
「了解しました」
従順に条野は頷く。クリス・マーロウを探すには人々の記憶を辿るしかない。条野ならばあらゆる人間から真実を引き出せる。この手のことには最適な人だ。
「では」
不敵な笑みを浮かべ、燁子は円卓の上で己の膝に肘をついた。
「――これより捜査を開始する」