第2幕
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
***
「ようこそ、アンの部屋へ」
少女の楽しげな声が部屋に響く。
そこは部屋だった。周囲を壁で固められた、一つの空間だ。部屋のあちこちに置かれた可愛らしいぬいぐるみやプレゼントボックスが、部屋の異様さを表現している。
戸惑っているのは探偵社員だけではない。近くを歩いていた一般人もまた、突然の出来事に目を見開いている。
「こんなにもたくさんの方に見つめられるなんて緊張しちゃう、あたし上手くお話できるかしら。でも頑張らなきゃいけないわよね、皆さん突然ここに連れてこられて、とてもお困りの様子ですもの。ええと、まずはあたしの自己紹介ね。初めまして、あたしはルーシー・モード・モンゴメリ。最近この街に来たの。じゃあ次は……アンの紹介をしようかしら。それとも皆さんの自己紹介を聞くのが良いのかしら?」
人々が異様さに沈黙する中、一人の少女だけは楽しげにおしゃべりを続けていた。それだけでわかる。彼女がこの異様な空間の主だと。
「ナオミはどこだ」
少女のおしゃべりなど聞きもせず、谷崎は低い声で問う。他の人ならその温厚な表情から湧き上がる殺意に息を呑むが、赤毛の少女は目を細めただけだった。
「あら、ごめんなさい。まずはその説明からね。……探偵社の皆さんは、あちらの扉よ」
少女が指す先には、人一人がかがんで通れる程度の小さな扉がある。ガラスのはまったその扉の中に人影のようなものが見えた。谷崎と敦が駆け寄る。
「ナオミ! 賢治君!」
谷崎が力一杯扉を叩き、ドアノブを回す。鍵がかかっているようだった。
鍵なしではその扉は開かない。そう言い、赤毛の少女が次に指したのはもう一つの扉だった。そちらは元の世界に繋がっている。この空間は現実世界から切り離されて作られた、異能空間なのだ。
少女――モンゴメリの異能力は部屋の異能、すなわち異能空間の生成および物体の捕獲だ。この空間に引きずり込まれたということは、彼女に捕縛されたことを意味する。
間に合わなかったのだ。敦の背を見、クリスは奥歯を噛みしめる。彼らの目的は〈本〉、そして敦だ。モンゴメリは敦の捕獲を指示されているはず。賢治やナオミの失踪もそれを誘導する策の一つだろう。この大胆な行為は探偵社への脅しを含んでいる可能性もあるが。
彼らしいやり方だ。金で解決できなければ武力で解決する。
ならば、とクリスは思案する。武力には武力で返すしかない。けれど敦と谷崎が目の前にいる。探偵社員にクリスの異能力を見せるわけにはいかない。
どうする。
「その扉から出ると、この空間の出来事は忘れてしまうわ。つまり、お仲間のことを忘れても良いのなら、貴方達はここから出られる」
「どうすればナオミ達を助けられるんだ」
谷崎が問う。それを待っていたとばかりに、モンゴメリはニィッと笑った。
「簡単よ。アンと遊んでいただきたいの」
「アン……?」
「ええ。――アン、いらっしゃい」
モンゴメリの合図を待ち焦がれていたかのように、ズズ、とそれは彼女の背後から姿を現した。
赤毛の人形だった。豊かなフリルの服に身を包んだ可愛らしい人形。しかし眼は底知れない闇色に渦巻き、両の手は人間を一人掴むことができるほどに大きい。
異能生命体だ。
その巨躯に人々は息を呑んだ。
「ひッ……」
その声に反応するように、人形の胴についた目がギョロリと動く。それだけで十分だった。
恐怖に煽られた人々は一斉に外へ繋がる扉へと殺到した。部屋が混乱で満ちる。パニック状態の中、クリスは敦の腕を掴んだ。
「敦さん」
今のこの騒ぎに乗じれば、彼を逃がせる。
「逃げて」
「え……?」
「奴らの狙いは君だ。君だけは捕まってはいけない」
「けど!」
谷崎の覇気に押されてアンと戦う決意を固めたらしい、敦は嫌だとばかりにクリスに訴えてくる。
「ナオミさんも、賢治君も、目の前にいるんです。なのに何もしないで逃げるなんて」
「逃げるも策のうちなんです」
なんて頑固なんだ。クリスは苛立ちを隠して敦を掴む手に力を込める。敦が捕らえられるのだけは避けなければいけないのだ。逆に言えば、それさえ避ければ良い、ただそれだけなのに。
危険を導く人間は他の人のことなど気にせず、ただひたすらに逃げるべきなのに。
「敵に対して決して渡してはいけない物がある時、一番にすべき事はそれを決して手の届かない場所に隠す事、もしくは決して手が届かないよう力で外部を圧する事です。君は探偵社に戻って福沢さんのそばを離れない方が」
「けど、奴らの狙いは探偵社なんですよ! 今回だって社長に脅しをかけて」
――今、何と言った。
「狙いが、探偵社そのもの……?」
息を呑む。なぜだ。フィッツジェラルドの望むものは、この虎の異能力者だけではなかったのか。彼が探しているのは〈本〉だけだ。その〈本〉を探すのに敦がいる。ならばなぜ、探偵社そのものを欲したのか。狙いが敦だけならば、そこまでする理由としては乏しい。
「どうして」
「おしゃべりは済んで?」
モンゴメリが口を挟む。
「あらあら、残ったのは……四人かしら? あんなにたくさんの人がいたのに残念ね、アンも寂しがっているわ。たくさんお友達ができる予定だったのに。ねえ、アン?」
猫を撫でるように人形に手を伸ばし、モンゴメリはふとクリスへと目を向けた。何かを思案する彼女の目が、クリスの眼を覗き込む。その奇妙な動きにクリスは後ずさった。
探られている。
――否、確信されている。
「そういえばあなた、どこかでお会いしたことがあったかしら?」
「ない」
即答する。実際、直接の面識はない。彼女のことは聞いていたものの、共に一つの仕事をしたことは一度としてなかった。
「クリスさん……?」
敦と谷崎が戸惑ったようにこちらを見る。その視線を無視してモンゴメリを睨みつければ、彼女は怯えたように大袈裟に身をすくめた。
「あらやだ、そんなに怖い顔はおやめになって。あたし怖いものは苦手なの。今でも足が震えてしょうがなくてよ。……そういえば似た人を思い出したわ」
クリスへとモンゴメリは微笑む。歯につけられた矯正器具がギラリと光った。
「話は聞いた事があったの。とても怖い人だと皆言っていたわ。ボスはずっとその人を探しているんですって。羨ましいったらないわね、いなくなった後でも探してもらえるなんて」
「……口を閉じろ、モンゴメリ」
「今あたしったらとても良い気分よ。だってあなたは」
「黙れ!」
これ以上喋らせるわけにはいかない。ポケットから取り出したナイフを投げ付ける。刃先は少女の喉元に真っ直ぐ向かい、そして。
アンに弾かれた。
「良いお土産ができたわ」
がく、と足が引っ張られる。見れば足首に何かが巻き付いていた。マネキンの手だ。不気味なそれは次々と現れ、クリスの体に巻きつく。強力な力に抗いきれず、クリスは床へと打ち付けられた。
「ぐッ」
「クリスさん!」
「丁寧に扱わなきゃ。壊れたら怒られてしまうわ。大切なお土産ですものね。ああそうだ、良いことを思いついた。大切なお客様には歓迎のパフォーマンスが必要だもの、お知り合いがここでアンと遊ぶのを見ていただきましょう!」
敦と谷崎が顔を見合わせ、頷き合う。まずいな、とクリスは何度目かのセリフを心の中で吐いた。
二人さえいなければ、できればもう一人の中年男性もいなければ、クリスの異能力でこの程度は突破できる。しかし仲間と妹を人質にされ、彼らが逃げるわけがなかった。
しかし一つ言うならば、あのおしゃべり娘がクリスから敦達へと興味を移したのは成功とすべきか。
あれ以上話させるわけにはいかなかった。ナイフごときで彼女の異能力で作られたこの空間で敵うとは微塵も思っていない。
敦が中年男性へ逃げるように言う。しかし彼は女の子を探しているというだけでこの場に残ることを選択した。一般人にしては肝が据わっている。正しく言うならば、女の子への愛が過剰すぎる。
しかし。
クリスは男性を見つめる。視線に気がついた男性がこちらを一瞥する。
目が合った。
無言の応酬。
――息を呑む。
年若く思わせる、きょとんとしたその眼差し――それに潜む、密かな笑み。
悪寒がクリスの体内を這う。
「……あなたは……」
「ルールは簡単よ」
モンゴメリがゲームのルールを説明する。異能生命体であるアンと生身の人間を競わせようとする辺り、彼女も鬼畜なものだ。
「アンに捕まる前にその鍵でドアを開ければ、皆さんの勝ち。人質は全員お返しするわ。どう? とても簡単でしょう?」
「二人同時でも良いのか」
空中に現れた鍵を前に、谷崎が問う。その鍵がどんなものかは、彼女の、ギルドのやり方を知っていれば容易く想像がつく。
「駄目だ! それは……!」
「お土産は黙っていて頂戴?」
モンゴメリが一言言うと同時に、クリスの口をマネキンの手が塞いでくる。呼吸が阻害され言葉が途切れる。
「……ッぐ……」
「おしゃべりのしすぎは良くないわよ。またボスに怒られちゃう。いいえ、ボスは怒りはしないけれど時々とっても怖いの。それこそ何も言えなくなるくらい。――参加人数についてだったかしら。ええ、何人でもオーケーよ。だってお遊戯はみんなの方が楽しいもの!」
無邪気を装った表情でモンゴメリは笑う。その嫌みな素振りは奴を真似たのか。
酸欠で視界に霞みがかかってくる。
――仮に君が自由を得たとしても、俺は君の前にまた現れるだろう。
あの高圧的で高慢な声が、幻聴となって耳に蘇る。
――どこへでも、君を取り戻しに行く。