第4幕
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***
――敦達が銀行破りを決行している、その同刻。
特務課拠点基地は騒然としていた。普段は図書館としての機能を表にひっそりと活動している彼らだが、その時ばかりは図書館としての役割も放棄していた。
理由は無論、彼らが異能開業許可証を発行していた武装探偵社なる会社がテロリストとして指名手配されたからである。元より政府機関の中では権力がある方ではない内務省特務課であるが、探偵社の横暴によりその地位をさらに危うくしていた。彼らがチェーンソーで切ろうとしていた御仁が司法省の人間だったのも輪をかけている。司法省にとって特務課は公然と法を無視する邪魔な部署だ、不祥事とも言えるこの状況を利用しないわけもない。
特務課としてはこの事件は完全なとばっちりだ。厳重な検査の後、許可証は発行される。探偵社にテロの兆しは一切なかったと言い切れる。彼らと共に事件を解決してきた軍警や市警にも、それを断言できる人間はいるだろう。けれど事は起こってしまった。今や「武装探偵社はテロリスト」というそれだけが常識と化している。
「どうしてこうなった」
ぐったりと辻村は机に突っ伏した。その机上には眠気覚ましのドリンク瓶が数個転がっている。
「いくら資料を見直しても何もなし。異能者リストはもう提出したし、これまで探偵社が関わった事件の報告書も全部提出済み、他にすることなんて何もないじゃない。なのに”探偵社の過去の事件を全て洗い直せ”だなんて……何件あると……」
「しょうがないっすよ」
フーセンガムを膨らませながら村社が肩をすくめた。
「探偵社のせいで特務課自体が疑われているんすから。探偵社に味方していないって態度を取り続けないといつ足元すくわれるかわかんないっすよ」
「そんなことわかって……あれ、先輩いないのにどうしてあなたはここに?」
「青木共々待機命令っすよ」
言い、彼女は後ろに控えている男性を親指で差した。
「安吾先輩は探偵社探しであちこちを走り回ってるっすね。たまに頼まれてカフェインドリンク持ってくんすけど……今までになくガチっぽいんすよね」
「へえ」
あの先輩が、と辻村は呟く。辻村の知っている先輩――坂口安吾は常に冷静だ。自分の足で街を探索するよりパソコンのある部屋で無線機越しに指示を出す方が似合う。その安吾が直々に動いているのだから、やはりこれは非常事態なのだ。
「指示を出すまでここで待機してろって言われてるんすけど……」
「じゃあ仕事手伝ってください」
「嫌っす」
「即答……!」
ぐうう、と睨み付ける辻村に対し村社はツンとそっぽを向くばかりだ。
「安吾先輩に言われてるんすよ、『辻村君を甘やかさないように』って」
「何ですかその助言は! まるで私が他人に仕事を押しつけるような人間だと言わんばかりの!」
これは馬鹿にされているのではないだろうか。事実、安吾よりは特務課エージェントとしての実力はかなり劣るけれども、けれども。
「別に他人の手を借りて仕事を早く終わらせようだとか、そんな卑怯なことは考えたりしない。私は私に課せられたことは全て私一人で解決する。私は一流のエージェント――になる女なんだから」
「心の声ダダ漏れな上言ってることとやってること真逆っすよ?」
村社が呆れた様子でため息をついた。
その時だった。
――騒がしかった室内に、ざわりと大きな一波が押し寄せてくる。
びくりと辻村は立ち上がった。立ち上がらざるを得なかった。そうしなければいけない気がした。視界の隅で村社が刀の柄に手を添えている。
波のように押し寄せて来たそれは殺気に似ていた。従わなければ首が飛ぶと予感させるものだった。
何だ、これは。
誰かが来る。
「猟犬だ」
誰かが呟いた。
「猟犬が来た」
猟犬。
何だそれは。
立ちすくむ辻村は、部屋の中に入ってくる何かを凝視した。それは澁澤龍彦の一件の時に中原中也が来た時と似た、けれどもっと静かでおぞましい何かだった。
「この部屋で一番偉い人間は誰じゃ?」
若い声が聞こえてきた。若いけれど、体の芯に食らいつかれそうな予感のある声だった。
「早う首を出せ。貴様らはもはや風前の灯火、抗うは無駄と知れ」
それは――入ってきた軍隊の、誰よりも小さな背丈の少女が発した声だった。
猟犬。
そうだ、と辻村は思い出す。
《猟犬》。軍警最強の特殊部隊。国内の全部隊から集められた最高の人材により結成された、悪を余さず噛み砕く断罪者。今は探偵社による事件を担当していると噂で聞いた。《猟犬》に追われているならば探偵社も終わりだろう、と。
それがどうして、特務課に。
「参事官補佐でしたら、現在探偵社捜索を……」
「何じゃ、不在か」
職員の答えに、ふん、と少女はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「まあ良い、お使い程度の用件じゃ。凡愚な貴様らにもできるであろう。――探偵社に関わった人間のリストを出せ」
有無を言わせない口調で少女は命令した。ざわ、と職員がざわめいたのも無理はない、それは二日前、探偵社が指名手配された直後、要請されてからすぐに提出した資料だったからだ。
「出せ」
少女はその肉食獣のような目を細めて再度告げる。
「出さねば国家反逆と見なす」
「ま、待ってください!」
辻村は思わず声を上げていた。こんな横暴、例え正義の軍隊の人間だとしても許されるものではない。
「何じゃ小娘」
ぎろりという擬態語が似合う目つきで少女は辻村を見遣った。どう見ても悪人顔だ。けれどここで怖じ気づいては一流エージェントの名が廃る。
「小娘じゃありません。辻村です。ご用命のリストは既に提出してあります。受領の報告も来ています。それに……それに、人に頼む時はもっと言い方があるんじゃないですか」
うっわ、と視界の隅で村社が絶句しているが気にしない。言わなければいけないことも世の中にはあるのだ。あるはずなのだ。
「ほう」
少女は獲物を見定めるように辻村を眺めた。その目に舌がついていたのなら、全身を舐め回されていただろう。それこそ、骨の髄まで。
生きた心地がしない。
「……ふ」
その口元が歪んだ。
「くかかかかか!」
突然少女は大声を上げて天井へと笑い声を上げた。
「良いのう、愚かな小娘よ! 惜しいほどに威勢が良い! もう少しでその顔に拳を突っ込んでやるところだったわ!」
これは褒められているのだろうか、怒られているのだろうか。褒められている気がするのでそういうことにしておく。
「小娘は悪かったのう、辻村とやら。儂は大倉と申す。大倉燁子じゃ」
「あ、はあ……どうも」
突然名乗られてもどう返せば良いのかわからない。
「そのリストに関してじゃが、不備があったものでな。貴様らの監視がてらこうして足を運んだというわけよ」
「不備?」
そんなものがあるはずはない。資料は数人によってチェックをした上で提出している。そもそも不備があったのならもっと早く連絡が来ているはずだ。
辻村の疑問を察してか、燁子は「うむ」と考え込む素振りを見せる。
「一人分、明らかに足らぬのじゃ。こちらでは存在を確認しておる、が……意図的に隠しているとなれば大問題じゃと思うてな」
「確認します」
辻村は恐怖に固まったままの周囲の職員へ声をかけ、資料提出を担当した数名を探し出した。怯えきってはいるものの、この程度で身を竦ませる特務課職員ではない。
「実は」
職員の一人がそれを報告した。
「一人分……提出できなかったんです」
「提出できなかった? どういうことです?」
「詳しく話せ」
燁子の威圧に彼は「ヒッ」と悲鳴を上げた後、震える声で続けた。
「は、白紙だったんです。既に番号が振られていて、資料としては完成しているはずだったんですが……全て、白紙だったんです。こんなものをお送りするわけにはいかないと思って、その部分だけ削除を」
白紙。
どういうことだ。
戸惑う辻村に対し、燁子は怒るでもなく静まり返っていた。それが逆に怖い。この幼女にどうしてここまでと自分で笑いたくなるほど、怖い。
見た目のせいではない、その軍服のせいでもない、本能がそうしろと命じているかのような畏怖が、この燁子という少女から発されている。
これが軍人。
《猟犬》に属する者。
「……白紙とな」
「は、はい」
「すり替えられていたと?」
「それはないと思います。番号が振られていましたので……それは完成書類を数人の上官が確認し付与するものですから」
「であれば」
燁子は確信しているかのように続けた。
「――奴について記述していた文字の全てが消えていたと、そういうことじゃな」
文字の全てが。
そんなことがあるはずもない。異能者を管理する異能特務課にとって、異能者に関する基本資料は最重要書類、書き換えが不可能になっている。追記事項を書き加えることしかできない。一度記したものを消すなどもってのほかだ。
「……なるほどのう」
燁子は再び黙り込んだ。今度のそれは、頭の中で何かを組み立てているものだった。
「これは思ったより厄介じゃな」
「あの……何がどうなっているんですか?」
「お主らには関係のないことじゃ。が……あえて言うならば、奇妙、か」
「奇妙……」
「奴に関しての情報の一切が消えておる」
思考を整理するかのように燁子は口を開いた。
「どの国の滞在履歴にもその記述はなし。監視カメラさえその姿を空白としてしか認識しておらぬ。じゃが存在はしておる。以前より探偵社の周辺で目撃されておるようでな、市民から情報が提供されておる……あらゆる証拠の消えた女……奇妙じゃ、探偵社とその周囲にそれができる異能者はおらぬ」
奇妙じゃのう、と燁子は再び呟いた。