第4幕
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二人の分の飲み物を準備し、クリスもまた敦の話を聞くことになった。飲み物を準備しがてらオルコットの元に向かい、その無事は確認してある。鏡花が医務室の場所を教えてくれというので偽りなく教えた。殺す以外のことをすすんでしようとしている彼女の姿に成長を見てしまったのは、やはり偽善だろうか。
自分は彼女がどうなろうと、殺さなくてはいけないのに。
敦の話では、探偵社は《天人五衰》という殺人結社に陥れられたのだという。敦達が殺人結社なのではなく、その濡れ衣を着せられたというのだ。
〈本〉の一部――〈頁〉を使って。
〈本〉が使われた。それがある場所もわかっていないのに、一方的に。これがドストエフスキーの策。これまでのことを考えてみれば、おそらくは共喰い事件すらもこの《天人五衰》事件のためのものだったのだろう。
――共に世界を創りませんか?
あの紫眼を思い出す。
彼は連続猟奇殺人事件を「余興」と称した。あれも彼の策の一つだったのだろうか。あの時から既に、この《天人五衰》事件を企てていたのだろうか。
その思考力に抗える気がしない。
敦の話を聞いたフィッツジェラルドは大いに笑った。滅多に見ないほどに大声で笑った。
「『探偵社は無実』だと! 今世紀最高のジョークだな! どのテレビ番組も探偵社の殺人映像を報道しているというのに! あれは何だ、合成か? 新手の映画告知か?」
「探偵社ははめられたんです!」
敦の必死の訴えすらも娯楽なのだろう、フィッツジェラルドは笑いを堪えきれないまま紅茶に口をつける。
「非常に良い気分だ、今ならダンスも踊れる。……それにしても紅茶を淹れる腕があったとは知らなかったぞ、クリス」
「残念だけど君とダンスをしてやるお人好しも君を笑わせてやる道化師もここには存在しない。笑い飛ばすには深刻すぎる話だと思うけど?」
「箱庭のお嬢が茶を淹れるようになるとはな。家事の一つもできない姫君が。誰かに教えてもらったのか?」
「だから話を……」
ふと脳裏に浮かんだ背中を、クリスは軽く頭を振って掻き消した。
今はあの人のことを考えたくない。
まあ良い、とフィッツジェラルドはカップをテーブルに置いた。そして眼前で笑みも困惑もなく視線を向けてくる少年を一瞥し、黙り込む。
「……仮に」
数秒後に発された声は、嘲笑もおどけもない、低い声だった。
「その話が真実だとすれば……探偵社はどうもできんよ。黒幕たるドストエフスキーを倒せんのだからな」
「どういう意味です?」
「そのままの意味だ。ムルソーを知っているか?」
敦は首を横に振った。ムルソーは欧州のどこかにあるという異能刑務所だ。正確な場所は欧州政府上層部しか知らない。クリスでもその位置を割り出すにはリスクが高すぎる刑務所だ。そこに収監された者への面会は許されていない、完全なる檻である。
「……まさか」
クリスは隣に座る上司を見遣った。頷き、彼は続ける。
「そこに奴はいる。――ムルソーはそれ自体が国家機密の異能刑務所だ、所在地は秘匿され、そこに収監された人間との接見は不可能。つまり奴にとっては世界一安全な隠れ家だ」
「……そんな」
ちらと期待のこもった目がクリスへと向けられる。クリスは首を横に振った。
「探し出そうとすればその瞬間、機密への接触を理由に捕まります。申し訳ないですが……」
「そんな」
数度その言葉を呟き、敦は肩を落として俯いた。それを見つつ、フィッツジェラルドがソファから立ち上がる。
「現状を例えるなら、奴だけが駒を動かし続けられるチェスだ。奴を倒せないとなるとルールを変えるか盤面そのものを破壊するくらいしか方法はないだろうな」
「ルールを……」
「奴が決めたルールを覆すということだ。まあ、あの共喰いとやらの事件では達成できなかったようだが」
敦はさらに俯く。後で聞いた話では、探偵社は一度ドストエフスキーが作り出した「探偵社とポートマフィアの潰し合い」というルールを変えようとし、結局犠牲を増やしただけに留まったらしい。ドストエフスキーの頭脳はあの乱歩すらも凌駕したのだ。
であれば、彼らの打てる手はほぼないに等しいだろう。
何も言えなくなった敦をよそに、フィッツジェラルドは壁へと歩み寄る。そこには万年筆が突き刺さっていた。先程、ホーソーンの手を貫通したものだ。フィッツジェラルドの異能によって投げられたそれは、筆記具とは思えないほどしっかりと壁の亀裂の中に立っている。
フィッツジェラルドの手がそれを引き抜こうとする。
刹那。
――殺気。
ドッと背筋を撫で上げたそれにクリスはそちらを凝視した。フィッツジェラルドや敦もまた、不意に現れたそれに気付き視線を送っている。
フィッツジェラルドが掴んだ万年筆――そこから血が宙に躍り出ていた。
ホーソーンの血、彼の異能【緋文字】だ。万年筆に仕込まれていたのだ。
彼のフィッツジェラルド暗殺はまだ終わっていなかった。
「フィー!」
叫び立ち上がる。異能を発動しようと思考する。けれど、間に合わない。今からではもう遅い。
「身体強化も間に合わん」
なぜかフィッツジェラルドは手元から現れた血片へ微笑んだ。
「死んだな」
死。
それは、赤の。
「――ッあ……!」
嫌だ、と誰かが叫んだ。
血の弾丸がフィッツジェラルドの脳天を突き抜ける、そのわずかな時間で、それはそちらへ手を伸ばして泣き叫んだ。
嫌だ、と。
もう、友と呼んだ誰も失いたくない、と。
――誰か助けて、と。