第4幕
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フィッツジェラルドが所有する建築物の見取り図は全て暗記してある。病室を抜け出すのは難しくなかった。
一応、と普段着の上に仕事用の外套を羽織り、フードを深く被って外を歩く。普段から堂々と彼らの一員のような振る舞いをしていたわけではないが、それでも共に歩いたりはしたことがある。街の人々に顔が知られていてもおかしくはない。武装探偵社そのものが危険視されている今、知り合いであると気付かれるのも避けたいところだった。
日曜日、乱歩と共に歩いたあの時と同じ光景が、今日も目の前に広がっている。人々が笑い合いながら行き交い、店に立ち寄り、会計を済ませ、時に靴紐を結び直し――何も変わりない日々が、ここにはあった。何か違うとすれば、クリスの隣には誰もいなくて、建築物の壁に貼られた巨大モニターがニュース番組を映すたびに見慣れた面々の顔写真を見せつけてくることくらいだ。
信号が定期的に赤と青を入れ替える。人々が縦に横にと移動していく。その中で、一人、ただひたすらに真っ直ぐ突き進む。
そうして見慣れたビルの近くまで来て、クリスはようやく立ち止まった。探偵社が入っているビル、階段とエレベーターへと繋がる唯一の扉が、黄色いテープで塞がれ、囲い込むように赤色の三角コーンが置かれている。立ち入り禁止、と書いてあるのが見えた。そばに立っているのは警官か。
「……入るのは難しいか」
不用意に近付くと怪しまれる。クリスは待ち合わせをしている風を装い、近くのビルの外壁に寄りかかって携帯端末を取り出し、メール操作の真似をしつつ考え込んだ。
社屋を調べられないとなると手が限られてくる。少々危険だが、軍警の捜査本部へ手を出すしかないか。となると前準備が必要、その辺りは警備会社であるフィッツジェラルドの会社を利用するのが一番だろう。
メール文面を考える素振りのまま、脳内で計画を練る。探偵社員それぞれの行き先などは報道されていない。が、軍警が全く掴めていないはずもない。既に一日以上経ったのだ、一度くらい接触していてもおかしくはないし、もはや誰かしらが捕らえられていても不思議ではない。
——しかし探偵社員もまた、捜査に手慣れた一団。簡単には捕まらないか。
であればなおさら好都合だ。
「……誰よりも先に、見つけ出さないと」
でなければ。
彼らが、国に捕まる。
クリスの情報が国の手元に渡る。
これだけは避けたい、何としてでも——誰を殺してでも。
忘れたはずの寂しさが痛みとなって胸を突く。
その時だった。カラン、という軽やかな音が聞こえてきたのは。
その音に聞き覚えがあった。開閉の音だ。とある店の、出入り口の扉に付けられたベルの音。
——喫茶うずまき。
ハッと顔を上げる。三角コーンと警官が並び立つその同じ建築物の一階から現れたのは、赤毛のお下げだった。
「……あれは」
歩道に出てきた彼女は、背後の警官を気にしながらこちらへと数歩歩き、そして何かを決意するように改めて前を向いた。瞬間、はた、と互いに顔を見合わせる。
「……モンゴメリ」
「……クリス・マーロウ」
名を呼び合う。会うつもりのなかった知人の登場に、互いに戸惑う。
「……あなた、生きてたの」
「君こそ……捜査関係者に連行されたりとかは」
「するわけないでしょ。偶然同じビルで働いてただけのバイトなんだから。そんなことより」
ツカツカとモンゴメリが歩み寄ってくる。抵抗する必要性も見出せないまま、クリスは腕を掴まれ近くの路地へと引きずられていった。薄暗いそこへ、投げ捨てられるように奥へと放られる。
「う、わ」
危うく転びかける。そんなクリスへモンゴメリは仁王立ちになって腕を組んだ。
「ちょうど良いわ。あなた、手伝いなさい」
「手伝い……?」
「トラ猫ちゃん達のことよ」
ふん、と彼女はニヤリとした笑みを浮かべた。良いことを思いついたと言わんばかりの表情だ。
「捜査本部を探し出しなさい。今すぐ、早急に。できるわよね、特殊戦闘員さん?」
「その呼び名はやめて欲しいな。……捜査本部って、《天人五衰》事件の?」
「他に何があるっていうの?」
モンゴメリは不満そうに目をすがめる。その手には茶封筒が握られていた。少しばかりの資料が入っていそうな封筒だ、封はされておらず、どこかに郵送するわけでもないらしい。
それをじっと見つめながら、クリスは目の前に立つ彼女へと慎重に問うた。
「……なんの、ために?」
「事件について証言をしに行くのよ」
「証言……?」
「ええ、そうよ」
モンゴメリは手にしていた茶封筒を見せつけるように掲げた。
「昨日一昨日で資料は作り上げたわ。あとはこれを捜査本部のお偉い様に見せるだけ。……そこにいた警官に言っても苦笑いされるばかりでまともに取り合ってもらえなかったの。なら、さらに上の人間に訴えるべきだわ。そうじゃなくて?」
「……彼らは既に指名手配されてる。それで十分じゃないのか」
「……は?」
ぴくりとモンゴメリの眉が上がる。
「何ですって?」
「彼らは日本全土を敵に回した。空港や港も抑えられている。逃げ場はもうない。君はそれ以上、何を望むと?」
「それ以上、って」
モンゴメリの顔に苛立ちとは違う感情が宿り始める。驚きに似たそれを、彼女はクリスへ呆然と向けた。
「……あなた、今自分が何を言っているかわかっていて?」
クリスもまた、呆然とモンゴメリを見つめていた。
犯人としての指名手配、それ以上に犯罪者へ望むことは何もないはずだ。あるとすれば、クリスのような私的な理由による国家機関よりも早い処断、つまり私刑くらいのもの。けれどモンゴメリは今——国家機関に何かを訴えようとしている。
何を。
「……まさか」
その答えにクリスが辿り着くと同時に、モンゴメリもまたクリスの思考に考え至っていた。
「……あなた、まさか」
驚愕で唇がわななく。
「……本当に、あの人達が犯罪者だと思ってるの? 正気?」
「それはこちらのセリフだ、モンゴメリ。……まさか、彼らの無実を捜査本部に訴えようとしているの?」
「当たり前でしょ!」
バサリと茶封筒を振り下ろしてモンゴメリは怒鳴った。
「どう考えてもおかしいじゃない! あなたにもわかっているでしょう! あたしよりも長く、あの人達のそばにいたんだから!」
「モンゴメリ」
名を呼ぶ。丁寧に呼んだその声は、路地に静かに響いた。改めて顔を上げ、見つめる。
目の前で戸惑ったように立ち竦む赤毛の少女を、見つめる。
「……彼らは犯罪者だ。それは事実でしかない。映像もある」
「けど」
「共にいただけでは人の本質は見抜けないよ」
そばにいて違和感がなかったからといって、その人が敵ではない証拠にはならない。そばにいて楽しかったからといって、その人が何も企んでいない証拠にはならない。そばにいて愛してくれたからといって、その人が自分の消失を望んでいない証拠にはならない。そういうものだ、全て、そういうものなのだ。
ヘカテもベンもウィリアムも、そうだった。
あの人達がそうではないという証拠は、この世界のどこにもない。
「探偵社は殺人を行い指名手配された。紛れもない事実だ。これは覆らない。本来の彼らがどんなものであったとしても……事実は事実なんだ、過ちも裏切りも殺しも、なかったことにはならない。どんなに後悔しても、どんなにそこに自分自身の意思がなかったとしても……罪を犯したことには、変わりないんだ」
そのことは誰よりも、わたしがわかっている。
「今の彼らを庇いに行ったら君が危ないよ、モンゴメリ。犯罪者の弁護はすべきじゃない」
「……けど」
「やっと手に入れた平穏だろう?」
モンゴメリが息を呑む。それを見、クリスは目を逸らした。
目の前の赤毛の少女に、探偵社の皆の姿が重なって見えた。
——猟奇殺人の犯罪者として追われたクリスを探偵社という立場だというのに庇いに来た、彼らの姿に。
「……犯罪者の側に立つのは良くないよ。平穏が君の手にあるのならなおさら……君がやっと手に入れた全てが壊れてしまう。君のことだ、彼らが本当に犯罪者だったとして、彼らの無実を訴えたその後のことは何も考えてないんだろう? 帰る場所を今度こそ失ってしまうかもしれない。だから」
「ッあなたねえ!」
最後まで言うことはできなかった。突然、胸ぐらを掴まれたのだ。
「ふざけるのもいい加減になさい!」
歩み寄ってきたモンゴメリが片手でクリスの胸元を掴み、己の顔に引き寄せる。怒りに染まる両の目に、クリスの驚いた顔が映り込む。
「あの人達が犯罪者だと、殺人犯だと、本気で思ってるわけ? 違うでしょう? わかってるのよね? 探偵社は無実よ、陥れられたに違いないの! そうでなくてはおかしいの!」
「……モンゴメリ」
「あたしはあの人達に、敦に救われたの! それこそ紛れもない事実よ!」
その眼差しは強く、激しく、真っ直ぐだ。
「だからあたしは探偵社に恩を返す! 探偵社が無実だと信じる! 例え世界があの人達を悪だと断言したとしても、あたしは違うと叫ぶの!」
どうして。
「あたしが、あたし達が、あの人達に救われたあたし達が信じるの!」
どうして、君は。
「あたし達が探偵社を信じなくて誰が探偵社を信じるのよ!」
「……信じる信じないの話じゃない」
君達は。
「じゃあ何だって言うのよ!」
「探偵社が犯罪組織だった、それが事実だという話だ」
「だからそれは何かの間違いで!」
「事実なんだよ……!」
叫ぶ。目の前にある純真な怒りへと手を伸ばし、その襟元を引き立てるように引っ掴む。
「彼らはもう手遅れなんだ! 国から追われてる、それだけが確かな真実だ! それ以外なんて関係ない、彼らが無実だろうが何だろうが何も関係ない! だから君は手を引け!」
「引けるわけないじゃない! あたしはやるべきことをするわ! 探偵社を悪者にはさせない!」
「引け!」
「嫌よ!」
「引けと言っている!」
「引かないから! あたしは恩を返す! そう決めたの! 何を失っても何を駄目にしても、これだけはやり抜き通す!」
その叫びはその眼差しと同様、強い意志を宿す。
「あたしが探偵社の無実を証明するの!」
あの人達のように。
——背中に庇うことはできないかもしれないが、互いに背中を庇い合うことはできる。
あの強さが、ここにも。
「……ッ」
懐かしさで泣きそうになる。あの時の苦しさが胸に蘇ってくる。
「……駄目だ」
駄目なのだ。モンゴメリにそれをさせてはいけない。
「君は、駄目だ」
「何でよ!」
「やっと平穏を、帰る場所を、君は手に入れたんじゃないか」
「……は?」
「どうしてそうやって手放そうとするんだ」
どうして。
どうして、君達は。
「戦いもなく、痛みも寒さもない……ずっと望み続けて、やっと手に入れた日々が君にはある。なのに何で、わざわざ手放しに行くんだ」
あの陽だまりのような。
あの優しい笑顔のような。
あの穏やかな日々のような。
クリスが二度と取り戻せないあの平穏と同じものがその手の中にあるというのに、どうして。
「何で、すすんで捨てようとするんだ」
どうして君達は、手のひらを広げてしまえばそれが失われるとわかっているのに、他者のためにその手を広げてそちらへと伸ばすのか。
わたしがどう頑張ってももう手に入らないそれを、簡単に捨てようとするのか。
一度失ってしまえば、後は苦しくて悲しいだけなのに。
「捨てないで」
失いたくないのに失ったわたしの目の前で、それを捨てないで。
わかっている、これはエゴだ。自己満足だ。相手を気遣うふりをした、偽善だ。それでも。
ぐ、とモンゴメリの服を掴み上げる手に力が入る。
「……失って欲しくない」
同じ苦しみを、悲しみを、背負わせるべきではない。
わたしが存在するはずのないものだったなら、せめてそのくらいの余計なお世話をしておきたいのだ。それが結局無駄になるとしても、わたしがわたしとしてこの世界にいるならば。
せめて。