第4幕
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***
乗り込んだ車が動き出す。フィッツジェラルドは窓から見える景色を一瞥した後、隣の席へと目を移した。痛みに耐えるように目を閉じたクリスが、背もたれに寄りかかりながら短い呼吸を繰り返している。その手は強く腹部を掴んでいた。
本来ならばクリスを担架にでも乗せるべきなのだろうが、彼女が無防備な体勢になることを受け入れるわけがない。通常のように座席に座った彼女だが、その眉間のしわを見る限り意識を保つことで精一杯のようだった。
事情は電話口でおおよそ聞いている。探偵社の社員と共に《天人五衰》が起こしていた事件について洗い直そうとしていた矢先の出来事だったらしい。だがしかし《天人五衰》は武装探偵社の別の顔だ、それを探偵社員が追っていたというのは些か奇妙ではある。クリスがしていたことは一体何を目的にしていたのだろうか。
そして、突如前触れもなく発動した再定義の異能。
ギルドにいた頃から彼女の天候操作の異能はしばしば暴走した。しかし再定義の異能が彼女の意思に反したことは一度もない。ただ一度だけ、街を野原に変えたことはあったものの、それすらも彼女の願いを聞き届けた末の悲劇的結末でしかない。
「……ッ、う」
クリスが呻く。吐血に汚れた服を掴む手が強張る。解毒薬が効き始めているのだろう。早く治療室へと運び込み麻酔で眠らせなければ、麻痺から逃れ再び顔を出し始めた痛みを元に、彼女の天候操作の異能が暴発する。そうしたならフィッツジェラルドも欠片にすらなれまい。
今のクリスは核爆弾並みに危険だ。
「急げ」
運転手に指示を出す。窓の外の景色が流れていく速度が上がった。もうすぐ遠くに目的のビルが見え始める頃だ、急げば間に合う。
「……フィー」
呟くような呼び声にそちらを見る。乱れた髪から僅かに覗き見える青が、苦痛に揺らぎながら宙を彷徨っている。
「……なにが、あったのか、しらべて」
声は幼く弱々しい。けれどそれが告げた言葉は、鋭く圧があった。
「じけんの、じょうほうを……〈神の目〉の、じゅんびも、して。わたしは、あのひとたちの、ところに、いく」
それは訴えに似た指示だった。内臓を破く壮絶な痛みの中で、彼女はそれでも冷静に、冷徹に、この先のことを考えていたのだ。
この先のことを。
「――あのひとたちを、ころしに、いく」
その青は闇を宿して暗く渦巻いている。
「……わかった」
そう言う他なかった。彼女はそれを求められ、それを成さねばならない存在だ。それは電話で助けを求められた時からわかっている。
例えそれが、彼女の意思でなくとも。
「ともかく治療だ。俺の部下になって早々に死んでもらっては困る」
「……し、ぬ」
「そうだ、死ぬぞ。それこそヨコハマという街全てをゴミのように破壊してな」
そうか、と彼女の唇が動く。声は掠れてフィッツジェラルドの耳には届かなかった。それ以降、会話は続かずフィッツジェラルドは窓の外を眺める。
自らの会社の前に着いた時、ようやくフィッツジェラルドはクリスを見遣った。そして青が閉じられぐったりと脱力している様子に気付く。
いよいよ痛みに耐え切れず、あらかじめ自らを気絶させたか。諜報や暗殺に秀でている彼女ならば、どうすれば安全に気絶できるかといったことも把握しているのだろう。
自らの体を粗雑に扱うことに関しては、彼女の右に出る者はそう多くない。
ため息を一つ押し殺し、フィッツジェラルドは金額を呟いた後クリスへと手を伸ばした。一度としてまともに触れたことのないその背から腕を差し入れ肩を抱き寄せる。出会った頃より身長の伸びたそれは、少女というより女性と呼ぶ方が相応しい。それでも、膝の裏に差し出した腕に隠しナイフの鞘が当たった辺り、彼女は世間一般に言う”女性”ではないのだろう。
抱え上げるようにクリスを持ち、フィッツジェラルドは車から降りた。異能強化した肌にチリチリと針で刺されるような痛みが広がる。僅かながら天候操作の異能が発動しているようだ。
「手を出すな。俺が運ぶ」
周囲の部下に言い、フィッツジェラルドはビルの中に入っていく。ウィン、と開いた自動ドアの音に紛れてクリスが呟いた聞き慣れない他人の名は、聞かなかったことにした。