第4幕
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***
陥れられた。
その事実に気付いた時には既に、探偵社という名は地獄の底へと叩きつけられていて。
ザザ、と森の中を走る。目的地はない。なるべく事件現場である建物から遠くへ、遠くへ、それしか今は考えられない。
全員の息が絶え絶えになった頃、国木田達は木の幹へと寄りかかり小休止を取った。
「多少は、距離を稼いだか……」
肺が吸気を求めている。大きく膨らもうとする胸が肋骨を圧迫し千切れそうな痛みを発していた。これほどの疾走は任務でもなかなかない。加えて今は、未経験の緊迫感に襲われている。
犯罪者として追われるという、あるはずのない緊迫感に。
「国木田さん」
谷崎が呼吸を整えつつ国木田に携帯電話を見せる。
「電波が入ってません……ここ、そんなに山奥ってわけでも、ないはずなのに……」
「電波封鎖だ」
つまりそれは、国木田達を追い詰めるための工作。それがされたということは、次は道路封鎖や警察犬といった物理封鎖が国木田達を苦しめに来る。
「妾達の異能じゃあどうしようもないってわけだ」
いつになく静かに、与謝野は呟いた。
「現代科学が発展した今じゃあ、異能よりも技術が上回るなんてことはザラだからねえ」
おそらくナオミに連絡を取ろうとしたのだろう谷崎が、顔をさらに青ざめさせる。
「そんな……じゃあ僕達は、こんなところで……こんな終わり方で……まさかナオミも」
「連絡が取れない以上はわかんないね。無事を祈るしか……」
「そんな!」
谷崎が抗議の悲鳴を上げる。
「ナオミが犯罪者にされてるかもしれないのに……! 何か、何か方法は……」
谷崎の拳が木の幹を殴る。
「何か……!」
数度殴り、しかし虚しい音が響くばかりだ。
「……何か……」
愛しくも会えない相手の名を呟く声音で、谷崎は木に打ち付けた拳に額を押し当てた。ナオミ、とその唇が名を呼ぶ。その背へ誰も声をかけられなかった。かけられるわけもなかった。
自分達はもう、手遅れだ。
――信じて、良いんですよね。
あの声に報いることもできない。
そうだ、と彼女を思う。彼女は、クリスは無事だろうか。共にいた乱歩は襲撃を受けて連絡が取れなくなった。なら彼女は。
彼女なら、あらゆる危機をあらかじめ回避して、自分達のために何かを講じようとしてくれているのではないか。
――もし彼女が、国木田達の無実を信じてくれているのならば。
けれど、電波も届かず連絡の取れない中、どうやってクリスに居場所を知らせるのか。そもそも彼女は今、本当に無事なのか。思考が滑る。
ふと、国木田は手の中に手帳があることに気が付いた。いつもの癖で取り出していたらしい。落ち着かない時はこれを眺めていたものだが。
パラ、と数ページ捲る。そこには数日前のスケジュールが書かれていた。いつも通りの勤勉な自分の痕跡が、そこにはある。犯罪者とは程遠い、理想的な自分が。
「……これは」
呟いた声は望みを失い沈黙する仲間達には届かなかった。ただ一人、国木田は過去の手帳のページを食い入るように見つめる。
スケジュールがそこにはある。隙間なく、分刻みに、書き込まれている。
そのはずだ。なのに――空白がある。一行だけではない、捲れば捲るほど、国木田が意図してそうするはずもない空白の行があらゆるところに現れる。
これは。
これは、何だ。
空白に書かれていた予定を、国木田は全て覚えている。忘れるはずもない。なぜならそこに書かれていたのは、全て。
「……クリス」
――彼女に関する予定ばかりだったからだ。
手帳を呆然と眺める。クリスの記載の全てが失せた奇妙な手帳を、見つめる。まるで鉛筆で書いていた一部の箇所を消しゴムで消したかのように、彼女の名も存在も、手帳の中に残っていない。
どこにも、彼女はいない。
あの亜麻色の髪が、緑を宿す青の煌めきが、微笑みが、背を向けて去ってしまう錯覚。
そうか、とまとまらない思考が答えを出す。
「……俺達は、もう」
もう、手遅れなのだ。
絶望が沈黙となり五人にのしかかる。その中で打ち鳴らされた明瞭な音は、否応なく国木田達の意識をそちらへと向かせた。
「皆さん!」
パン、と両手を叩き合わせた賢治がいつも通りの底抜けの明るい笑顔を浮かべている。薄暗い森の中で、間近に漂う太陽のようだった。
「お腹、空きません?」
底抜けに明るい少年は底抜けに明るい声で突然そう言った。
それはまさしく太陽の陽光のような一声だったと、国木田達は数秒後に知ることになる。