第4幕
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[Act 4, Scene 7]
路地にうずくまり、冷えた外壁に背を預ける。息をつく。じわりと弱い痛みを伝えてくる体内から意識を引き剥がし、クリスは空を見上げた。青い空が建物の隙間からクリスを見下ろしている。一方向に流れていく雲は白く、それを押し流していく風は柔らかい。
いつもと同じ空だ。いつもと同じ景色、きっとこの下ではいつもと同じ笑顔が、背が、いつものように万人の幸福のために走り回っているのだろう。
そう、思いたかった。
「……嘘、みたいだな」
呟く。
「……嘘だったら、良かったのに」
「残念ながら真実だ」
足音と共に現れた人影は、青空を見上げていたクリスの視界へと顔を覗き込ませてくる。
整えられた金髪に、意志の強い空色の目。幾人もの死を眺めてきた黄金の玉座に腰掛ける王。
「……フィー」
「意外だな、意識があるのか」
「毒で痛みを麻痺させた」
「……君の無謀さは相変わらずか」
呆れを隠しもせずフィッツジェラルドは眉を潜めた。そして、路地の向こうへ顔を向け、そちらにいた部下らしき男達に指示を出す。無骨な男達の間から白衣を着た人間が数名現れた。フィッツジェラルドの雇った医師達だろう。
「となるとまずは解毒、そして鎮痛剤の注入だ。完全に解毒してから鎮痛剤を入れることになるが……いっそ意識を失っていた方が楽だ、どうする」
「任せる。……いや、寝ていた方が良いかな、その方が異能が暴走しないから」
言い、クリスは目を伏せた。投げやりとも受け取れるその様子に、フィッツジェラルドは無言を返す。訝しんでいるのだろう。彼の元にいた頃は、意識の有無に限らず他人の手そのものを拒んでいた。
「……変わったな」
「緊急事態だからだよ、フィー。他に方法がない。いつもなら与謝野さんに手を貸してもらっていたけど、今は」
続けようとした言葉は喉につかえた。
――探偵社が指名手配を受けている。
その事実を電話越しに聞いた時は耳を疑った。何があってそのようなことになったのか、皆目見当がつかなかった。探偵社は国にその実力を認められたばかりだったのだ、なのになぜ、今、彼らが犯罪者として追われることになったのだろう。
フィッツジェラルドの指示に従い、医者の一人がクリスの腕を掴んで袖を捲り上げる。ビニール手袋越しに触れた人の肌はおぞましいほどに柔らかく力強かった。息を詰め、そちらを意識しないよう顔を背ける。
「最近この街では『天人五衰』とかいうものになぞらえた連続殺人事件が起こっていたらしいな」
腕に注射針が刺されると同時にフィッツジェラルドが口を開いた。
「その最後の事件が先程発生した。その事件現場にいた犯人達は皆頭巾で顔を隠していたが、何を思ったのかその場で頭巾を脱ぎ、顔を晒した」
「……それが、探偵社の社員達だった……?」
「そうだ」
薬物が体内に入り込んでくる違和感から逃げるように、クリスはフィッツジェラルドとの会話を進めていく。
「なぜ頭巾を外した? それだと指名手配してくれと言わんばかりだ」
「知らん。報道によれば奴らが自らそうしたらしいが」
「……報道されているのか」
「ああ。どの報道局も絶賛生中継だ。世界各地で殺人を犯していた殺人結社《天人五衰》の正体が、国から褒章を与えられたばかりの民間企業だとな。事件現場は山間にあった洋館だ、既に軍警が近場に待機していた中での犯人特定……現場から逃げ出すのは容易ではないだろう」
注射針が腕から抜かれる。その痛みを感じないままに、クリスはフィッツジェラルドとの会話に集中する。
「指名手配を誘発したにしては奇妙だ、要人を一ヶ所に集めた後の計画性がまるでない……陽動? 現場に行った五人以外の社員がテロの本命?」
クリスの問いにフィッツジェラルドは首を振るだけだ。詳細はわからないのだろう。それほどに、探偵社の行動は計画性が著しく失われている。けれどこれほど杜撰な計画を乱歩を擁する探偵社が考えるとも思えないし、これほど杜撰ならば彼らと親しくしていたクリスが計画に気付かないわけがない。
一体何が起こっているのか。
「……彼らは逃げ切れる?」
「さてな。追う側の専門家ではあるから軍警の動きを先読みすることはできるだろうが、それを回避できるかは別の話だ。一番は逃走手段の問題だろう。徒歩ではまず不可能だ。……逆に言えば、逃走経路は限定できる」
「……そうか」
短く呟き、クリスは目を閉じる。思考、回顧、決心。数秒の後、瞼を開けた。
「そうか」
「……行くのか」
「今はまだ。この状態じゃ戦えない」
「これ以上の治療はここではできん、一旦俺の会社に戻るが」
「頼むよ。……どのくらいで終わるかな」
「数時間はかかる。過去の君がそうだったからな。――彼女を連れて行け。至急、手術の準備を」
医者のうちの一人がクリスへと手を差し伸べてくる。それを無視し、クリスは外壁へと手をついて立ち上がった。胴体に鈍痛が走る。血の臭いが喉元にのぼせ上がる。なおも手を貸そうとしてくる医者をひと睨みし、外壁を伝うように歩き出した。戸惑う医者に、フィッツジェラルドは軽く首を振ってみせる。
「放っておけ。でなくば切り刻まれるぞ」
フィッツジェラルドの実力を知っているのか、それともフィッツジェラルドに痛い目に遭わされたことがあるのか、冗談にも聞こえるその言葉をその場にいる誰もが信じたらしい、その場にいた全員がクリスから距離を置いた。じろりと見遣れば、彼は得意げな顔をそのままに大袈裟に肩をすくめてくる。
「事実だろう。俺とて無駄な金を消費して君の異能の暴走を止めたくはない。何か間違っているか? ”新人”」
何かを含ませたその言葉に、クリスはフィッツジェラルドを睨みつけた。それでも変わらない高慢な笑みに、「いや」と呟くように返す。
「何も。おっしゃる通りです、”ボス”」
クリスの答えに、北米異能組織の長だった男は口端を釣り上げる。
「ああ。――これで取引は成立だ、クリス」