第4幕
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事態は手際よく進んだ。
「やはりな」
ちゅう、とオレンジジュースをストローで飲みながら、乱歩はクリスが差し出した紙束を眺め見た。電子メールや通信機でのやり取りの一覧の他、事件現場への指示の内容やそれを行った人物なども記されている。
探偵社から随分と離れた場所にある、ファミリーレストランで二人は席を同じくしていた。乱歩と二人で出かけるのはこれが初めてだが、乱歩と一緒にいて困らないのはあらゆることに対して決断が早いことだろうと思う。この店を見かけてすぐに「ここに入ろう」と言ってくれたし、注文する品に迷う様子もなかった。「あれがない、これが欲しい」と騒がれたらどうしようかと内心心配だったが、ドリンクバーがあったので杞憂で済んで良かった。
「となると……」
乱歩は一人で考え込んでいる。この時に「何かわかりましたか」と聞いたところで鬱陶しがられるのは目に見えていた。誰だって試験の最終難解問題について真剣に思考している最中に「最初の選択問題はどう解きましたか」などと聞かれたくはない。彼らにとって、クリス達のような人間の問いかけはその程度のものだ。
乱歩はずるずるとオレンジジュースを飲み続けている。大量の細かな氷の中に歪な水面を作り出していた橙色のそれが、見る間に水位を下げていく。柔らかな雰囲気を出そうとしている蛍光灯の鋭い光が溶けかかった氷の表面につるりと反射していた。
ず、とグラスの底でストローが空回りした音を立てる。
「疑問はいくつか残っている」
ようやくストローから口を離し、乱歩は紙面を指でとんとんと叩いた。
「一番は虫太郎君がなぜこの事件が起こることを知っていたかだ」
「……彼が関わった人間が、この事件を引き起こしているからでは?」
「虫太郎君が関わった人間といえば?」
乱歩の問いはクリスに向けられたものではない。それを声に出して言うことで、自分の中の疑問点を整理しているのだ。
クリスは黙り込む。その問いの意味を、その先の乱歩の思考を読む。
虫太郎が関わった人間として考えつくのは、ただ一人だ。しかし奴は捕まった。それがあったから探偵社は梓弓章を与えられている。
――ドストエフスキーを捕まえたからこそ、探偵社は天人五衰の事件を任されている。
「……ドストがまだ何か企んでいる? どこかの監視を受けながら、”探偵社滅亡”のために……」
「違う」
飲み干したジュースのストローを齧りながら乱歩は低く呟く。
「奴なら一会社を潰すくらい、もっと簡単にできる。僕でもできる」
「……その点は気になっていました。乱歩さんのご友人が言った言葉はあまりにも簡単すぎる」
探偵社滅亡。その文字面は強烈ではあるものの、探偵社は民間企業に過ぎないのだ、秘匿を暴くなり醜聞をぶつけるなり金を奪うなりすれば簡単に崩落させられる、簡易な砦。なのに虫太郎はそれをさも重大だと言わんばかりに忠告してきた。
つまり、この事件の終末は探偵社滅亡だけではない。
「……それに引き起こされる他の何かがある、と」
もっと大きな、重大な何かが。
「そうだろうな」
乱歩はズイと空になったグラスを押し付けてきた。お代わりを持って来いということだろう。何も言わず、クリスは席を立ってグラスを持ち、ドリンクバーのコーナーへと向かう。氷を入れ直し、ドリンクサーバーにグラスをセットしてボタンを押しながら思考した。
梓弓章が授与されたことにより依頼された天人五衰事件。梓弓章の授与はドストエフスキーらの逮捕がきっかけだ。そして、天人五衰事件にはドストエフスキーが関与している。
つまり――梓弓章授与すらもドストエフスキーの企みである可能性が否めない。
――共に世界を創りませんか?
あの言葉を思い出し、クリスは強く頭を振った。振り切るようにオレンジジュースを溜め込んだグラスを掴み取り、乱歩の待つ席へと戻る。
考えたくない。今考えるべきは奴の言葉ではなく、奴の思惑であり、今後の展開だ。
乱歩はクリスの資料を見つめたまま沈黙していた。その傍らへグラスを置けば、「ありがと」と寝言のように言い、すぐさまストローへ齧り付く。
「……だとしたら、政府に奴の仲間がいる」
唐突に乱歩は口を開いた。
「それを探し出すのは厄介だな。こちらの動きが知られるのはまずい」
乱歩の独り言は加速していく。なぜ、その結論に至ったかは聞き出せない。それでもクリスは黙ってその向かいで乱歩を見守る。
なぜか。無論、彼が江戸川乱歩だからだ。
「……なら、僕達ができるのは奴の手駒と接触することか」
ジュースを飲み干し、石のように不動だった乱歩は突然手元の紙束をガサガサと探った。粗雑に一枚の紙を取り出し、それをクリスへと突きつけてくる。
「こいつに連絡を取れ。探偵社の名前でな。文面は”直接確認したいことがある”とでもしておけば良い」
「この方は?」
「おそらくそいつが奴らと裏で繋がってる。知らないうちに踊らされているのかもしれないけど」
「奴ら……?」
「天人五衰の事件を起こした奴らだ」
テーブルに手をついて乱歩が立ち上がる。カタカタと机の上で空になったグラスが細かく跳ねる。
「探偵社を標的にしているなら、必ず連絡を傍受している。僕達の動きを知って何かしてくるはずだ。相手は必ず動く。確実に、天人五衰事件を遂行し探偵社を滅ぼすために」
乱歩は帽子を深く被って背を向けてしまう。その表情は見えなかった。しかし、見えずともわかる。クリスもまた、その後を追った。
言葉はない、視線のやり取りもない。それでも、乱歩の、そしてクリスの心はただ一つのことだけを考えている。