第4幕
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祓魔梓弓章の授与式は午前中に終わり、その後は為政者を多く交えた懇親会があると聞いていた。が、福沢達が帰ってきたのは午後二時頃だった。
「緊急任務だ」
帰社したばかりの福沢に呼び出されていた国木田が、社長室から出るや否や社員へと緊急会議を指示する。どうやら式の終了に伴って大きな仕事を持ち帰ってきたらしい。国から正式に実力を認められた探偵社としては最初の任務ということだ。
国木田の一声ですぐさま探偵社員全員が会議室へと向かった。太宰は勿論いない。国木田がそれへ怒りを露わにするのはいつものことであり、その怒号がビルの四階全域に響き渡るのもいつものことである。なので誰も気にしなかった。クリスもまた、気にしなかった。またやっているな、と思いつつ自分の仕事を進めるつもりだった。
が、今回はそうも言ってはいられないらしい。
「クリス」
事務仕事を行おうとしていたクリスへ、国木田は太宰への怒りをぶちまけた後ため息をつくように声をかけてきた。
「悪いが出席してくれ。場合によっては力を借りるかもしれん」
「それは……構いませんが」
珍しいですね、とクリスは続ける。国木田がクリスに調査員として協力を求めてきたのは過去にも澁澤の件のみであり、この二週間に至っては一度としてない。
クリスの指摘に、国木田は真剣で真っ直ぐな面持ちのまま頷く。
「凶悪な殺人集団が起こしている事件だ。力を借りたい」
国木田がそこまで言うのなら、かなり深刻で重大な事件なのだろう。しかし調査員として行動するとなると嫌でも世間に姿を晒すことになる。気は進まない。が、世話になっておいて重大任務の手伝いの一つもしないのは気が引ける。
「……わかりました」
「それにしてもなぜ太宰はおらんのだ。いつもいつも、会議があることを知っているかのようなタイミングで消えおって……」
ぶつくさと文句を言う国木田に、クリスは笑みを返すだけに留めた。太宰の奔放さについて話題にすればするほど、国木田の怒りが増すことは想像に難くない。
結局、太宰を抜きクリスが入った状態で緊急会議が開始された。
「これより緊急会議を行います」
会議室のホワイトボードの前で国木田が明瞭な声を響かせる。
「政府より緊急の要請です。連続殺人と思われる猟奇的殺人事件が今週立て続けに起こっており、それらは同一グループによる犯行であると想定されています。我々は国認定の捜査会社として直接依頼を受け、この事件を軍警と共に追うこととなりました」
猟奇的殺人事件。
その懐かしさすら覚えるおぞましい言葉に、クリスは僅かに顔をしかめる。
その向かいで賢治が「同一グループだと考えられる根拠があるんです?」と質問を投げかけた。それへと頷き、国木田は手元の資料束から一枚の写真をホワイトボードに貼る。
「被害者の殺害状況に共通点が見られる。メッセージ性とも言えるがな。……こちらをご覧ください」
会議室に集った社員達の視線が一斉に国木田の指先へ集まる。葉書一枚程度の大きさしかないその写真は、遠目からでは赤い塊を写したもののようにしか見えない。が、その赤が何なのかはすぐに理解できた。
人間だ。それも、上半身の皮を剥がされ、それを裏返しにされている。ぶつ切りにされた筋繊維がその赤い表面に張り付いていた。
「酷い……」
耐えかねた敦が社員全員の心中をこぼす。
「被害者はヨコハマの若手議員。会議を中座した五分後、この状態で発見されました。見ての通り上半身の皮を剥がされ裏返しに着せられています」
凄惨な現場状況を国木田は声音をそのままに報告していく。
「皮は高級シャツの縫製を施され、ネクタイやカフスで装飾された状態でした。遺体の状況から、被害者は皮を剥がされている最中も生存していた可能性があります」
へえ、と与謝野が呆れたような声を出した。
「大した趣味の良さだねえ」
それに、とクリスは写真を睨みつけながら思う。
五分。五分でその状態を作り出せるとなるとかなりの手際の良さだ。被害者は大人の男性、ともあれば力尽くの抵抗もされるだろうし、生きたままとなると騒音もあったはず。犯行中誰にも気付かれないまま、絶叫し暴れる成人男性から皮を千切れないように丁重に剥ぎ、装飾をし、着せる。
五分で可能なのだろうか。可能にしたとしたら、実行犯は死体捌きか人肉解体に手慣れている。単独犯ではないし、もしかしたら時間を操れるような異能、もしくはその手際を支えるような異能を持つ者かもしれない。
会社支給のノートパソコンを開き、そこへ小型パソコンを接続、ネットワークへと繋ぎ処理を始める。人体解体を数多く行ったことのある組織。それも、民間人ではなく議員という接触しづらく注目を集めやすい標的を選ぶ、計画的に殺人を行う理由と経済力と地位がある者。となるとこれはただの荒くれ者の仕業ではない。
パソコンを起動するクリスを横目に、国木田は事件の報告を進めていく。
「同一犯による犯行が、今週四件発生しています。皆さんも新聞やニュースでご存知かと思いますが……」
一つ一つの事件を説明しつつ、国木田は現場写真をホワイトボードに貼り付けていく。ちらとそちらを見、その手際を把握しつつクリスはキーボードの上に指を走らせる。
今回の連続殺人事件はかなり特徴的だ。人体解体経験、皮の縫製技術、腐食性劇薬の入手、エアコンプレッサーの導入、南米原産植物の知識。そして政府中枢に潜り込み標的のみを殺人実行空間へ誘拐、監禁、途中で露見することなく手の込んだ殺人をやり遂げ痕跡を残さず撤収する手際。犯人を特定するのは難しくないだろう。
「なるほど」
四件の事件状況を静かに聞いていた乱歩が呟いた。
「天人五衰か」
「てんにんのごすい……?」
敦がそれを復唱する。乱歩はそれ以上口を開かなかった。代わりに敦の疑問に答えたのは、会議室の扉を開けて入ってきた人物だった。
「天人五衰とは、六道輪廻の最高位たる『天人』が死の間際にあらわす五つのサインのことだ」
「……社長」
会議室に集う全員の視線を一身に受けつつ、福沢は強い眼差しで続ける。曰く、六道輪廻とは仏教の言葉であり、仏教というものは生前に積んだ徳に相応しい世界へと転生するという考えに基づく宗教である。魂が死後赴く世界は合わせて六つあり、人間が住むこの世界が「人間道」、十分な徳を積んだ者が行ける世界が「天道」であり、天道に住まう者を天人と呼ぶ。天人とはいえ六道輪廻に囚われている状態であり、徳を積む機会もないので、やがて天人は徳を消費し死を迎え下位の世界へ転落する。
天人が長寿の末死を迎える、その際にあらわれる兆候のことを「天人五衰」と呼ぶのだと福沢は言った。
「衣服垢穢、頭上華萎、身体臭穢、腋下汗流、不楽本座。この五つの死の兆しを『天人五衰』という」
「じゃあこれは、見立て型の連続殺人ってことですか……?」
谷崎が思考に目を泳がせながら呟く。ハッと息を呑んで敦がガタリと立ち上がった。
「まだ一つ足りない……!」
「そうだ」
国木田が神妙に頷く。
「五つの衰のうち『不楽本座』がまだ起きていない」
不楽本座――天道での生活を楽しめなくなり自分の席に戻るのを嫌がる兆し。これが谷崎の言ったように見立て殺人なのだとしたら、五つ目の事件が必ず起こるということになる。
「起きぬ」
社員達の動揺を打ち消すかのような福沢の低い声が、部屋を強く叩く。
「起こさぬ。なぜなら我々が阻止するからだ」
強い語尾で断言し、福沢は会議室全体を見回した。
「一同、全力を挙げ凶賊の企みを阻止せよ」
福沢の言葉に、声に、会議室の空気が不安を失い決意を宿す。誰もがその強い言葉に背筋を伸ばし福沢と同じ意思を胸に燃やす。
――いつもならば、そうだった。
「反対だね」
静かな否定の声が、はっきりとそれらを遮る。
誰もが息を呑んだ。クリスもまた、手を止めた。誰も予想しなかった言葉、社長の命を拒む言葉。しかもそれを発したのは。
「……乱歩」
誰よりも福沢を敬愛し信頼しているはずの乱歩だった。その眼差しは何かを思うように、福沢のものとは違う強さの光を宿している。
「反対だ」
乱歩は再度言った。
「この依頼は断る」
「理由は」
「……一ヶ月前、共喰い事件に関わった異能者と会った。ドストエフスキーと一時的に組んだ、証拠隠滅の異能者だ。彼は僕に警告を残した後、銃撃に遭って行方不明になった」
乱歩の声は低く、起伏がない。
「『もうじき探偵社に大きな依頼が来るが、絶対に受けるな。受ければ探偵社は滅ぶ』……それが彼の、友人の最後の言葉だ。銃撃に遭いながら残してくれた言葉を無視できるような根拠が僕にはまだない。だから受けない。この仕事は断るべきだ」
乱歩の言葉に誰もが黙り込む。その沈黙に含まれているのは戸惑いだ。
探偵社が滅ぶ。これほど簡潔で不可解な警告があるだろうか。この程度の粗雑な脅迫に対し、探偵社が足を止めることはない。通常ならばそうだった。けれどそれを告げた相手は生死すら不明で、何より乱歩がその言葉を信じている。探偵社の誰もが、未来を予測するほどに明晰な頭脳を持つ乱歩の意思を無視できるわけもなかった。
沈黙、誰も何も言えない、数秒。
「……乱歩」
物静かな声が宥めるようにその名を呼んだ。
「祓魔梓弓章は見たか」
「見たよ。けどあんなの、ただの木片だ。あれを貰ったから友人の警告を無視しろって言うの?」
「否。我々が武装探偵社だからだ」
福沢は腕を組んだまま乱歩を見下ろしている。
「その事実に勲章も賞賛も関与はせぬ。勲章があろうとなかろうと、我々が武装探偵社でありこの街にある限り、この身に何が降りかかろうともこの殺人を止めるために命を賭ける」
強い意思がそこにはあった。『命を賭ける』、その言葉を、命のやり取りを目の前で見ている福沢が口にした意味を、その心を、わからない社員達ではない。
だからこそ、誰も福沢を止められない。
乱歩が友人から得た警告が命懸けで発されたものだと知ってもなお、探偵社社長はその眼差しを揺らすことなく街の平穏を優先するのだ。
「……ッ!」
ガタリ、と乱歩が椅子を跳ね飛ばして立ち上がった。何かを言いかけ、何も言えないまま身を翻して会議室を出て行く。乱歩さん、と国木田がその背に声をかけるも、それ以上のことはできなかった。
バタン、と乱歩の姿を遮るように扉が閉まる。誰もが固唾を呑んでいる、耳に届かないざわめきが静寂の上を漂う。
「これで良い」
福沢は会議室の奥へと足を進め、乱歩が座っていた椅子を起こしながら福沢は変わらない声音で言った。
「探偵社は殺人犯を追う。同時に、乱歩は『探偵社滅亡』の真相を追う」
「ですが……」
敦が重い口を開く。今までの事件は全て探偵社員が一丸となって解決してきた。なのに、探偵社の存続がかかっているという不鮮明な不安がある中での乱歩の単独行動。
信じるべきは、貫くべきは、何か。
――今すべきことは、何か。
迷いはない。
カタリ、と椅子が床を叩く音が足元から鳴る。立ち上がったクリスに社員達の視線が集まる。
「……クリスさん?」
敦が呆然とこちらを見つめてくる。そちらへ微笑んでから、クリスは福沢へと顔を向けた。目が合う。
「わたしは乱歩さんの方につきます」
福沢は何も言わなかった。
「国の人間の安否よりも行方知れずの人が残した警告を……乱歩さんのご友人の言葉を、わたしは重要視します」
パソコンからUSBを引き抜き、それを持ってクリスはホワイトボードの方へ歩み寄った。呆然とこちらの動きを見つめ続けていた国木田へ、それを差し出す。
「人体解体経験や皮の縫製技術の取得、腐食性劇薬の入手、エアコンプレッサーの購入、南米原産植物の輸入……これらが可能な犯罪者及び異能者の一覧です。データそのものは膨大ですが、入国履歴や輸入履歴、事件発生当時の監視カメラといった情報と照合すればある程度は絞れるかと」
「……クリス」
「乱歩さんにはわたしが付き添います」
微笑む。
「乱歩さん一人では、社に戻れませんから。――この先何があるかわからないけど、また、何とかしてくれるんですよね」
国木田は瞠目したままだった。その揺れ動く表情へ、クリスは微笑みを向け続ける。
「信じて、良いんですよね」
「……ああ」
国木田は頷いた。頷いて、その眼差しに強い光を映しながら、真っ直ぐにクリスを見据える。
「信じろ」
「はい」
頷き返す。USBを渡し、クリスは小型パソコンを手に会議室を飛び出した。