第4幕
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終業時間を迎えたクリスは、事務員らに挨拶をした後国木田の元へと顔を出した。
「お疲れ様です」
「やあクリスちゃん」
国木田の向かいで太宰が今日初めて会ったかのように片手を振って声を掛けてくる。
「お疲れ様。仕事には慣れてきた?」
「だいぶできるようになってきたと思います。太宰さんも元に戻ったんですね」
「ん? 何のこと?」
太宰はこてんと首を傾げた。誰も何も教えていないらしい。ということは、何も言わないのが正解か。黙ってニコニコとしてみせれば、太宰は不思議そうな顔をしたまま何かを納得したようだった。まあ良いか、と一人で頷いている。
「で、国木田君は帰る様子ないけど?」
「まだ終わりそうにないんでな」
国木田がパソコンから目を離すことなく告げた。胸元から鍵を取り出し、やはりパソコンから目を離すことなくそれをクリスの方へと差し出す。
「先に帰っていろ。夕飯はどこかで買って行け」
頷き、鍵を受け取る。
「遅くなるんですか?」
「日付が変わるかもしれん。先に寝ていて良い」
「え、何? 国木田君とクリスちゃんって一緒に寝てるの?」
不躾な質問をわざとらしく大声で言った太宰に探偵社内がざわつく。帰社時間のため社員の多くが席に着いていたこともあり、そのどよめきと困惑は波のようにクリスと国木田へと押し寄せた。案の定国木田は仕事をする手を止め、ガタリと椅子を跳ね飛ばして立ち上がる。
「んなわけがあるか! ありもしないことを吹聴するな!」
「だあって、先に寝ていて良いだなんて聞いたら誰だってそう思うじゃない」
太宰のもっともな発言に、国木田は眉間のしわを深めつつ腰に手を当てた。
「夜九時に翌日の朝の動きを確認しているのだ。それに、その打ち合わせが終わり次第消灯し、それぞれ部屋にこもって朝まで顔を合わせないこととしている」
「うわ何それ。小学生の修学旅行みたいじゃない」
堅苦しいなあ、と太宰は嫌そうな顔をした。太宰がそれを強いられているわけではないというのに、ものすごく嫌そうである。
「国木田君らしいと言えばらしいけど。そんなのでよく我慢できるね、クリスちゃん」
「特に不便はしていませんよ。ただ、夜間の外出ができないのが少し困るくらいで」
「あー、それは仕方がないねえ」
にへらと太宰は笑った。
「夜に女性一人は危ないもの」
「一般人相手なら殺さずに制圧できます。太宰さんもわかっているはずですけど」
「命の危険っていう問題も勿論あるけれど、そうじゃなくて」
ちら、と太宰は国木田を一瞥した。
「同居中の女の子が一人で夜の街を歩いてたら、気が気じゃなくて手帳の確認なんてできなくなるでしょ」
「手帳の確認?」
きょとんとクリスは聞き返した。国木田の一日の動きは把握しているものの、夜間については接触していないので詳しくは知らない。が、それは予想していなかった。というのも、朝や昼に手帳チェックの時間が予定されているからだ。
「あれ、知らないのクリスちゃん」
太宰は意外そうな顔をした。
「国木田君は一日のうち十時間が仕事、六時間が睡眠、三時間が食事、一時間が身支度や入浴、残り四時間が手帳確認だよ?」
「……四時間も何をするんですか?」
「わからんのか。手帳の読み直しに、書き換え、書き加え、やることは山積みだ。四時間でも足りん」
パソコンに向き直っていた国木田がとうとう口を挟んできた。
「俺の手帳は常に最新、最良の理想が書かれていなければならん」
「はあ……」
「さすがのクリスちゃんも言葉を失うよね、それ聞いたら」
太宰がにこやかに言う。それを聞いた国木田は物言いたげに沈黙した。しばらくして頭に手を遣り、疲れ切ったかのような大きくため息をつく。
「……俺の日課については良い、クリスは先に帰っていろ。太宰はまだ帰るなよ」
「ええッそんなあ!」
「この状況で帰すわけがないだろうが」
「私もう十分仕事したよ! 定時は定時に帰るから定時であって残業は悪の習慣なんだからね今のご時世!」
「午前中丸々無駄に費やした奴が言うな!」
ぶうぶうと文句を言いつつ、太宰は目の前の書類へと手を伸ばした。ようやくやる気になった、というよりも隙を見て逃げ出すつもりなのだろう。しかし国木田はというと太宰の様子を見、満足したように大きく一つ頷いてから手元の作業を再開している。これはどうやら、太宰の逃亡が成功しそうだ。
「じゃあ帰ってますね。皆さんお疲れ様です」
挨拶をすれば太宰を始めとした社員達が「お疲れ様」と笑顔と共に返してくれる。それらへと笑みを向け、クリスは探偵社を後にした。